伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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私についている糸が私を強く引く!

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これは、山川菊栄が、労働省婦人少年局長を辞した1951年の暮れから渡英して、翌年帰国のあと1953年から55年までに出した2冊の翻訳(コールとべヴァン)と1冊の自著である。Amazonで購入した私物である。線を引いたり、折ったり、フセンを張り付けるには、私物でないとできない。菊栄は、ご覧のとおり驚くほど生産性が高い。優れた資質の持ち主なのだ。

 

前回の倉敷訪問のブログから、今日までのあいだに、神奈川県立図書館の山川文庫の閲覧に行き、晩年に菊栄とつきあいのあった、日本女子大学名誉教授の宮崎礼子先生にインタビューに行ってきた。そこで得たことは、該当箇所に入れ込まねばならない。

そしてまだまだ行かなけれなならないところがある。本命という所がいくつか残されていて落ち着かない。

 

それなのに今の情勢に比例しやるべきこといろいろあって、なかなかできないし、したがって進まない。

今日、雨で「反原発八王子金曜デモ」が中止になったので息をついた。

私は没頭することができる研究テーマのおかげで、精神の安定を保つことができる。

どんなに進まない時でも、他の活動をしている時でも、「ここに帰る」という糸が私を強く引いていて、それを思うと救われる。

 

あれこれ考えて空中分解しそうになる時もある。全部ダメ。消してしまえ!と思う時、この程度で完成するわけがない、と思う時、自分の独自性にたちもどって、私でなければ誰がこういう問題意識で書こうと思いつくかと、自分をはげまして、時間のかかることをしこしこ積み重ねる。根気がいる。そんなとき、この仕事以外なにもなければいいと思う。中断されたくないと心底思う。

 

しかし、生きているということは、そんなわがままをゆるしてはくれない。

ボランティアがあり、地域や市民運動があり、スポーツクラブがあり、生活上のやるべきことがある。全部自分が勝手に選んでやっていることだとはいえ、そう言い切れない面も付属するのも当たり前だ。しかし/そして、それがあってこそ生じる私の研究のオリジナリティなのである。

 

「ここが正中線だ。私の自発性もそこから大きく揺れたり、ぶれたりさせることはできない」と自戒する。

「私でなければ誰がこういう問題意識で書こうと思いつくか。そして書けるか!」という傲慢さも必要だ。

それがなければ、研究者としては生き続けられない。「何のために?」は明白である。

 

 

 

 

 

 

 

| 近況 | 00:02 | - | - |
岡山市、倉敷市への小旅行ージェンダー統計と山川菊栄研究

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9月17日、大型台風18号の接近により、暴風警報が発令されている岡山市へ、朝早く「エイままよ」とYと出かけた。

2012年にジェンダー統計「岡山市の女性と男性」というリーフレットを岡山市からの助成金で、市民協働事業として発行して5年が経過し、今年その統計資料の改訂版を出すため、Yが市民グループの助言に出かけるのに、私が便乗したのである。
2011年9月にも、1回、私はやはり、便乗して岡山県から島根県まで行ってそのことを、このBlogにも書いたことがある。

 

「ジェンダー統計」は、かって私のテーマのひとつでもあり、学部学生にも、MとDの院生にもかなり熱心に講義もしていたし、卒論、M論、D論の方法としても奨励して、今も「経済統計学会」の名前だけ会員でもある。10名ほどの市民グループ(といっても、メンバーの中には、市議さんや大学教員、「さんかく岡山」の元専門職員も市民として入っている)が月1回地道に研究を継続し、「人口・世帯」「寿命と健康」「労働と所得」「社会福祉・社会保障」「意思決定」「女性への暴力」など、分担していよいよ詰めの段階に入ったのだ。2017年半にはYの教え子のOさん(環太平洋大・経済学部教員)も参加して、岡山市役所関係部局、県、警察、福祉事務所、教育機関等々から収集した様々な統計資料について、1時半から5時まで密度の高い熱心な討論が展開された。

最後に私も発言の機会が与えられ、「ジェンダー統計」の研究にも向き合って、政府統計各部局とわたりあったあの日々、「ジェンダー統計」をツールとして、学生・院生教育に、深夜まであたったあの熱い日々を思い出さずにはいられなかった。

2011年9月の後6年が経った。あのころすでに「ジェンダー統計」とはサヨナラし、ライフワークのクラーラ・ツェトキーン研究は仕上げに近づいていた。それでもさらに2年を要し翌2013年の暮れに、クラーラ・ツェトキーン研究の本は完成し、2014年の社会政策学会で学術賞をいただいて区切りをつけた。

今回の便乗は、その後テーマとして選んだ山川菊栄研究のためである。研究をはじめてわずか、4年足らず、もうはやこのテーマを終えたいという思いが募っている。

今日9月18日、台風一過の秋晴れの倉敷市へ行った。山川菊栄と夫山川均の墓があるという長連寺を訪ねた。寺で案内を乞うと、すぐ山門手前左横の山川家先祖代々の墓がならぶ一角をに入る門の閂を開けてくださった。写真集で見てはいたが、墓の実物は多くを語ることを私は知っている。クラーラ・ツェトキーンの墓は、モスクワのクレムリンの壁。ここには1989年に行った。オシップ・ツェトキーンの墓を訪ねて、パリのイヴォリー墓地に(墓はすでになかったがー)、そしてアウグスト・ベーベルの墓をチューリヒに訪ねた時のことを思い出す。

 

墓はやはり多くを語るのだ。帰りの新幹線で、序章で設定した山川菊栄研究への私の独自の7つの問題意識というヤツをあらためて点検し、このテーマは、私の手に余ると再考をせまられる気がする。いや背筋を伸ばしやれるだけやるのだ。私は研究者として現役なのだから。それが私にできるだろうか。いややるのだ。そう、姿勢を正してやるしかない!



 

 

| 近況 | 20:29 | - | - |
『資本論』第1巻150年、Clara Zetkin 生誕160年 と 菊栄と百合子

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『日本の科学者』Vol.52,No.9(2017.9):22-27に、写真のようなものを書いた。『資本論』第1巻150年記念の特集だが、私にとっては、Clara Zetkin 生誕160年記念でもある。

 

今は、山川菊栄をテーマとしているが、とある理由から、7月15日に、宮本百合子が降ってきた。

菊と百合の対比を一部にとりこむことによって、この研究にある筋を通すことが出来るのではないかと思ったのである。

7月は、まだ第9章を書いていた。不十分なままではあるが、第9章を少し寝かせることにして、8月に第10章に入った。

8月19日に、多喜二・百合子研究会主催の公開講座「新しい時代に宮本百合子を読む―個人の尊厳をよりどころにして」全4回の第1回「未来を信じて―弾圧下の「広場」「三月の第四日曜」を、講師:岩崎明日香さん、9月2日に、第2回を「わたしたちからわたしへ、そしてわたしたちへ―百合子と女性運動」を講師:由比ヶ浜直子さんでやるという。そのあと2回はとても行く余裕がなさそうだ。そのことを聞いたのが7月15日だったのだ。それで申し訳ないが前半だけ行く覚悟をした。2人の講師は30代、40代と若くてぴちぴちしていた。

 

私は、このような文学の会には出たことがない。でも、第1回の1940年代の百合子の二つの作品を文芸評論家はどう扱うのかということ、第2回の百合子と女性運動をどのように組み立てるかということには、ドキドキするくらい興味があった。

1回目は、作品を読んで時代背景を頭に入れていくぐらいの準備だったが、講師の進め方はなかなか面白かった。

2回目は、2週間私は自分ならこう組み立てるというやり方で、不完全だが約1万5千字くらいの小品を書いていった。

しかし、私が不十分な点として、後回しにしていた百合子の日記部分を講師はふんだんに使うという方法をとったのだ。

私は、百合子の評論部分から組み立てていた。なるほど。私も日記で補ってみよう。

家に帰って、我が家にある百合子の全集の日記部分を大急ぎで追った。

それで、私がたてた、ある仮説は証明されたか。いやあ、すべてについてそうだが、そう簡単ではない。

百合子の世界に引きずられると本末転倒になるし、大体わたしに百合子をあつかえるわけがない。

深入りは禁物だ!

百合子には何種かの全集があるし、菊栄は選集(2度出した)しかない。選集しかない場合、文献リストを頼りに、実物にあたる手間は大変だ。百合子の全集は確かだが索引がそれほど細かくは出来ていない。

その点、マルクス・エンゲルス全集の索引たるやどんなにすごかったかが思い知らされる。

クラーラ・ツェトキーンも選集しかない。従って、27年主筆として彼女が編集したGleichheit(平等)一つを見るにも、全巻に目を通すのにどれだけの時間を懸けたかわからない。その他の漏れときたらもう手に負えなかった。

あれこれ、心懸かりなことばかりで、前に進めるのは容易ではない。まあ、容易な研究などあるはずもないし、それを研究とは呼ばないわけではあるがー。

少し涼しくなってきたことが救いであるが、ただでさえ狭いごたごたの書斎コーナーに、百合子の分厚い全集が、書庫から運び込まれて、もう大変なことである。

それでも2度の、異分野の公開講座で、新鮮な空気が入ってきたことを、大事にして組み込みたい。

 

| 近況 | 01:03 | - | - |
72年前の記憶は鮮明だが先へ進むしかない

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今日はあの戦争が終って72年。小学校一年生だったから、忘れるわけがない。

 

でも、思い出す時間もおしい。いろいろなことを「これ以下はないだろう」と思うほど粗雑にやって、とにかく今のテーマを前に進めることに集中したい。このところ、夜な夜な、私が仕事をしている後ろに、22歳と3ヶ月目を生きているフー吉がやってきて、遠慮がちに「ニャン」と声をかける。ふりむけば、「抱っこ!」というわけだ。左腕に抱いて、生きている温かみをかみしめる。

お互いに「生きているねー」と共感する。

でもそれどころでない。最終章に入ってもう半月。今、1950年代。「彼女」が、60歳ではじめて外国に出て、多くを書いている。

英国、ユーゴスラヴィア、フランス、イタリア、インド、タイ、中華人民共和国である。

私がはじめて外国に行ったのは1975年、国際女性年の時、ユーゴ、英、仏、伊だった。

インドは2001年、タイは1987年、中国は1991年、年代はバラバラだがとにかく、「彼女」が行った全ての国に行った経過があることは確かだ。しかし、いつ行ったか。何のために、どのくらいの期間、どこを見たかが問題となる。そこで、これらすべての国の歴史を調べて「彼女」が、どういう歴史的段階でそこにいたかを知らなければならない。

例えば、ユーゴである。私が行ったのは1975年だが、ユーゴの歴史書3冊くらい並べて、読み比べ、私は1940年代の始めチトーの後ろに付いてバルカンの山岳地帯をドイツ兵とゲリラ戦をやらなければならないというわけである。寝ても覚めてもその気になっていた。

やっとそれが終ると、それで、「彼女」が行った時どうだったかになり、私が行ったときとの歴史的距離感覚をはからなければならない。

そして、考えをまとめて書くことは1ページばかりか。それを各国についてやる。

毎日発見があり非常に面白いといえばそのとおりである。しかし、単なる興味・関心でその本を読んでいるわけではないのだ。

「何でこういうことを、私は今まで考えなかったか」の自問自答が始まる。もういいかげんにしろ。

「彼女」を1980年まで追わなくてはならないのだし、これまでの章も「寝かせたまま」にしてあったり、気づいたことから振り返って書きなおしたり加筆すべきことが多々あり、忘れたらどうする!。

 

フーちゃんごめん。「抱っこ」は終わり。とそっと降ろす。「彼」は、もくもくと自分の寝場所に帰っていく。

私は、思考能力の停止寸前まで、あれこれ考える。

 

| 近況 | 11:02 | - | - |
時計は2017年8月1日を示した

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遼寧省撫順からきたアサガオの種、我が家で3代目が花を咲かせている。これは昨年放っておいたのが、一人で芽を出して窓に巻き付いて咲いたもの。アサガオって野生なんだろうか。すごい生命力。繁殖力!

 

8月が勝手に来てしまった。

仕事はまだ完成度は高くはないが、最後の章に入ろうとしている。

いろんなことを調べ、とりこんだけれど、まだまだ不十分。全く、自分で切り上げない限りきりがない。

考えてみるに、このテーマって本当に難しいのだ。少なくとも私にはそう思える。

私が設定した問題意識で書くというのがそもそも難しいのである。

そして私にはその問題意識でなければ、今やる意味はない、時間を使う意味はないとさえ思ってやっているのだし。

傲慢だな。

何事も起きないで順調に進んで、本が出たとして、しかし、誰が読む? 誰が買う?

私にはたとえようもなく重要な問題意識だが、そう思ってくれる人はいるのだろうか?

ひょっとして誰もいない? いなくたっていいのだ。それでも書く。書いておかなくてはならない。なぜだろう。

重要な問題だと私が思うからだ。いや、私が思うだけでなく客観的に誰かが研究しておかなければならない重要なことだからだ。

 

だったら、同じ問題設定で今誰かが、どこかでもっと高い水準でやっているかもしれない。

架空の、まだ見ぬその人と、水準と時間の競争をしよう。

 

| 近況 | 00:53 | - | - |
4日間集中してみたら・・・

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昨年は本当にたった1個だった柿の実が、今年はどうしたのかと思うくらいついている。重くてみんな落ちてしまうんじゃないの?

 

もう、一行でも、とか、少しでもと言っている場合ではなくて、スポーツクラブも、傾聴ボランティアも自分の意思で投げ出して、この4日間朝から夜遅くまで研究に集中していた。まず問題意識があり、たくさんの関連事項、先行研究を読み、資料が机の周りに散乱し、頭の回線が切れそうになり、とってもゆっくりなんてやっていられないって気になる。こんなに焦りを覚えるのはやはり年齢のせいか?

 

資料が足りない。神奈川県立図書館に行かなくてはー。大原社研を検索しなくてはー。アマゾンで探し、手に入る安い古書は前後の見境もなく注文している。今月あと4冊は届くはず。複数在庫あるものはためらいもなく、最も安いものを選ぶ。済んだらまた売るなんて考えられない。私は片っ端からマーカーで印をつけたり破ったりするから、用がすんだら捨てるしかないのだ。もう家の収容容量はとっくに超えている。断捨離だの終活だのをきちんとしている人から見たら、狂気の沙汰である。でもこんな生活死ぬまでというわけにはいくまいとちらりと思う。研究を仕事とする場合、どうしても人並みの生活はできない。だって、なんでこんなことやっているのか、ご近所さんに説明できない。

家の周り草ぼうぼう。ご迷惑だろうなと申し訳なく思うけど、この暑い中、草むしって消耗したくない。いいじゃないか、草ぼうぼうだってー。

なんだか変人のごみ屋敷ならぬ草屋敷になってきた。季節が来ればみんな枯れて目立たなくなるに決まっている。

なんで人間は3回食べるんだ?

 

フーキチは本当に22才になった。立派な髭をすりよせて、邪魔しにくる。

こっちも、食欲あって日に最低3度食事を要求する。

食べて、寝て、私の邪魔をするのが彼の仕事。いつまで続くかなあ!

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| 近況 | 00:32 | - | - |
待ち遠しいという感覚の喪失

 

 

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冷酷にも6月は終わって7月も半ばに地近づく。このごたごたの机上を見よ。まだ同じところでてこずっている。

しかし、この難所を超えるのも時間の問題だろう。すこしづつなどというものではなく、この数日ほとんど机に向かっているにもかかわらず、進むことが出来ないのである。行きつ戻りつというべきか。認識は深まっている。

深まれば深まるほど、気づきも多く、「なぜか」と問う箇所もますます増え、今まで考えもしなかったようなところに手を出し、またそこの深みを知り、この程度で書いてはならない自戒する。全体のバランスもあるから一カ所にこだわって多くのページをさくのは好ましくはない。

毎日毎日、GHQの占領政策とその転換について、読み返しも含めて大著・中(?)著、1970年代ころのものからつい最近の研究成果まで10冊ばかり、さまざまな角度から追っていくと・・・・・。見えてくるものがある。

ページ数の問題でない。新たな関連付けと凝縮度の問題だ。「誰もやったことがないテーマでやれ」師、新川士郎は言ったではないか。この部分いつ終わるかもしれないとも思うが、ちゃんと終わりがくることもわかっている。クラーラ・ツェトキーンの時もそうだった。

このカーソルで、もう何百回(いや何千回だろう)も同時並行で年表をスクロールし、これまで書いた章の修正・加筆箇所を探し出し、右手人差し指はよく壊れない!かわりになぜか左手親指が5月から腱鞘炎になっているけど―。

 

もう何一つ待ち遠しいというものはない。待つまでももなくその日が来て、あっというまに過ぎていくだけだ。

そしてもっとも暑苦しい季節に差し掛かった。

 

冷房をきかせて終日PCに向かって背中を丸くしていると・・・。

背筋をのばすために、背骨コンディショニングに行き、気分転換に、プールに入って「水中ウォーク」をやってこよう!

今週それをやれるのは今日午後しかない!時 間を捕まえてやるべきことをやらないとまたあっという間に失われるから・・・

 

 

| 近況 | 10:55 | - | - |
6月よ、終わらないで!

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6月よ、まだ終わらないでー。しがみついて延ばしたい気持ち。だってまだ9章が書き終わりそうにない!

この6月は、ただでさえひどい社会状況なので時間が途中で切れてしまうのを知りながら、自分でいくつかの禁をやぶってしまったのだ。

6月10日に、小論2本締め切り。そのあと、1週間おき(17日と24日に)講演2回。

Blogなんて書いている場合じゃない。今月3回目だしー。それなのに書いている。という調子ー。

 

全回に続いて2回目の講演についてやっぱりちょっと書いておきたい思いがあってー。

地元の「八王子手をつなぐ女性の会」30周年記念の講演を引き受けてしまったのだ。

バザーをやるから何か持参せよとのことで、私は手芸もしないしジャムもつくらないから、今世紀に入ってから出した本を数種出品した。

 

意外なことに、買い手がついたのである。御茶の水書房から出した、あの重く、高い本が3冊。信じられない!

同じ出版社からの、かなり私の思いいれのある国際女性デーの本の3冊。嬉しい!

そして、わたしの現役時代の最後の『生活・女性問題をとらえる視点』(法律文化社、2008年10月、3300円)になんと11冊。びっくり!!この最後の本で学習会をしようという申し出もあってー。それでそれぞれの出版社に注文した。法律文化社の田靡純子社長がとても喜んでくれた。

 

この最後の本は、現役最後の半期、大学院博士課程の講義のテキストにした。私の思いのたけを入れ込んだ本だった。

定年後、「はたらく女性のフロアかながわ」の有志の方たちに呼ばれて学習会をした。

しかし、この本はわかりやすく説明するのはそう簡単ではない。それを地元八王子のみなさんの御希望でやることになるとはね!

今時、有難いことである。ただし、読者の信頼を裏切らないためには、これまでと違った様々な工夫をこらさなくてはならない。

 

そのためには、6月に終えようと思った、山川菊栄の第9章を今月(あああと3日もない)終えなくては・・・・。とはいっても・・・・。

 

戦後の占領下での菊栄をどう書くかは予想を超える難しさがある。占領と女性については2007年に女性解放との関係と女性労働改革との関係で2冊、2014年には、性政策との関係で2冊、立派な研究書が出されているし、近年GHQ研究も続続進められ、出版されている。

それらが、私のテーマとは関係づけられているわけでないのは当然で、どう関係づけられるかが私の問題意識にかかわっているのである。もうこれ以上は書けない。

 

6月、日本は騒然としており、加えて今都議選で少しも猶予がならない情勢である。

そのなかで密度の高い研究を手を抜かずに進めたいというのは、いささか無理をしているということである。

 

庭のあじさいがまっ盛り。柿は何百と実をつけて、もうすでに実るのを諦めて庭に散っている。なるがままに放っておくしかない。庭を見ている時間がない。

 

 

 

 

 

 

| 近況 | 22:37 | - | - |
昭和女子大学「近代文庫」と雑誌『番紅花』(1914)―光葉同窓会に招かれて

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私が昭和女子大学に勤めはじめた28年前この右側の古い建物の3階には、昭和女子大が誇る特殊コレクション「近代文庫」があった。

大正デモクラシーの精神を受け継いだ、詩人・文化人創設者人見円吉が集めたこの「近代文庫」のある大学に職を得たことは嬉しいことであった。さっそく閲覧させていただき、アカデミズムの香りに触れて、なぜか「もし嫌なことがあったらここに来て泣こう」とまで思ったものだった。それからしばらくして、「近代文庫」の蔵書は図書館に統合され、この建物には、教員の研究室が沢山作られた。

 

そしてこの大学での私の3度目の研究室が、「近代文庫」の受付があったその場所になったのである。その研究室で私は日夜働いた。

泣くどころではない。正面からも、振り返っても、写真など写す余裕などなかった。

定年後8年目にはいって、昭和女子大に行く機会があり、はじめてカメラを向けたのである。ああ、あの3階の真ん中。

 

6月17日、光葉同窓会からお声がかかってちょっとした講演をすることになったのだ。

講演の後、山川菊栄の最初の翻訳数編を掲載した『番紅花』(サフラン)という雑誌を見せていただくお願いをした。

「近代文庫」にこの雑誌が入っていることを数年前からつきとめていたのに、そのままにしてあったのだ。

とうとう対面する機会が来た。嬉しかった。何しろ定年後8年間で、この職場に来たのはこれが3度目だったのだ。

 

講演の題は、同窓会側の要望とかみあわせて<「今をこれからを」悔いなく生きたいー定年後も研究者として、市民として>というようなものであり、第一に、現職にあるとはどういうことか、第二に、定年後10年の設計をどうしたか、第三に、Post Truth といわれる今をどう考え、研究と市民運動をどう統一して生きていこうとしているか、についてお話しした。

 

3度目ここにきて、はじめて私はここが懐かしいと思えた。数え切れないほどの会議をやった「本部館3階大会議室」!

この職場で私は鍛えられた。3つ目の職場として、私を20年も雇って給料を払ってくれたくれたこの職場での日々の苦楽には感謝してもしきれないものがある。 ここでの20年があったから今があると思える。

 

光葉同窓会の役員のみなさんの、この大学の建学の精神が身についたホスピタリティにも敬意を表する。

お願いしておいた「近代文庫」所収の雑誌と、コピーをとっておいてくださったのだ。

そこには、今私がテーマとしている山川菊栄の最初(23歳)の翻訳(コロレンコ、カーペンター)が、待っていた。

確認できてよかった。とても有難かった。

 

終ってから、教え子で研究者になった2人と久しぶりにずっとお話しして帰ってきた。まさに「現職にある」バリバリの2人と―。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 近況 | 01:39 | - | - |
2017年6月、おそらくかってない日本の政治情勢の山場で

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家の玄関の横に、ほっておいて自然と芽が出たアサガオが花をつけ1本だけ残っているツツジが咲いている。

 

この間、珍しく6月10日締め切りの依頼原稿を書いていた。短いものだが、『日本の科学者』9月号に掲載されるはずのものである。

『資本論』第一巻刊行150年記念の特集に、「クラーラ・ツェトキーンと『資本論』第1巻」について書いたのである。しかも締め切り前に書き終わった。そんなことはあるはずがない。あとで読み返せば読み返すほど後悔が沸き起こる。

誰も書かないことを書くというモットーには沿っている。しかし、今進めるべきテーマは「山川菊栄」であるから、邪道といえば邪道なのだ。それなのに、「おわりに」で結びつけてしまった。結びつけないでは終わることができなかった。

 

それに、この6月、講演を二つ引き受けた。これもモットーに反している。どんなに小さな講演でも準備に一定の時間がとられ、当日を含めて、目的にすすむはずの時間が奪われることはこれまでの経験から百も承知だからー。それなのに引き受けてしまった。

依頼原稿や講演をそんなに深く考えてあれこれいうものでもないことも知っているといえば知っている。

いいじゃないか、たまには自分で敷いた軌道からはずれたって―。それも面白いではないか。

でも講演の一つは、私でなくたって、いや私でない方がよほどうまくやれるようなテーマである。これは、たぶん、この際、自分が勉強するに値すると思ってお誘いにあえて乗ったのだ。

 

そして、本業は?やっていますよ。難所をあえぎあえぎ進んでいる。戦後に入ってまだGHQと菊栄のところを進んでいる。まだ?そう!

この個所、先行研究がないとはいわないが、私が考えているようなことを包括的にズバリ書いている研究はやはりない。なんでだろう? 

ないからこそ、私の問題意識に沿って苦労しているんでしょう!やる意味があるんでしょう!!

しかしあるのに私が知らないだけではないかという思いが常に付きまとう。もしあったら、私があっさり引き下がらなくてはならない。

あれこれ考えているうちに、時間は容赦なく過ぎる。

日本の政治情勢が、60年安保の時以上の山場だ。あのときは札幌にいた。今は首都東京にいる。この時を私はどう配分して生きるかが重大問題なのである。

 

 

 

 

| 近況 | 22:26 | - | - |
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