伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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72年前の記憶は鮮明だが先へ進むしかない

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今日はあの戦争が終って72年。小学校一年生だったから、忘れるわけがない。

 

でも、思い出す時間もおしい。いろいろなことを「これ以下はないだろう」と思うほど粗雑にやって、とにかく今のテーマを前に進めることに集中したい。このところ、夜な夜な、私が仕事をしている後ろに、22歳と3ヶ月目を生きているフー吉がやってきて、遠慮がちに「ニャン」と声をかける。ふりむけば、「抱っこ!」というわけだ。左腕に抱いて、生きている温かみをかみしめる。

お互いに「生きているねー」と共感する。

でもそれどころでない。最終章に入ってもう半月。今、1950年代。「彼女」が、60歳ではじめて外国に出て、多くを書いている。

英国、ユーゴスラヴィア、フランス、イタリア、インド、タイ、中華人民共和国である。

私がはじめて外国に行ったのは1975年、国際女性年の時、ユーゴ、英、仏、伊だった。

インドは2001年、タイは1987年、中国は1991年、年代はバラバラだがとにかく、「彼女」が行った全ての国に行った経過があることは確かだ。しかし、いつ行ったか。何のために、どのくらいの期間、どこを見たかが問題となる。そこで、これらすべての国の歴史を調べて「彼女」が、どういう歴史的段階でそこにいたかを知らなければならない。

例えば、ユーゴである。私が行ったのは1975年だが、ユーゴの歴史書3冊くらい並べて、読み比べ、私は1940年代の始めチトーの後ろに付いてバルカンの山岳地帯をドイツ兵とゲリラ戦をやらなければならないというわけである。寝ても覚めてもその気になっていた。

やっとそれが終ると、それで、「彼女」が行った時どうだったかになり、私が行ったときとの歴史的距離感覚をはからなければならない。

そして、考えをまとめて書くことは1ページばかりか。それを各国についてやる。

毎日発見があり非常に面白いといえばそのとおりである。しかし、単なる興味・関心でその本を読んでいるわけではないのだ。

「何でこういうことを、私は今まで考えなかったか」の自問自答が始まる。もういいかげんにしろ。

「彼女」を1980年まで追わなくてはならないのだし、これまでの章も「寝かせたまま」にしてあったり、気づいたことから振り返って書きなおしたり加筆すべきことが多々あり、忘れたらどうする!。

 

フーちゃんごめん。「抱っこ」は終わり。とそっと降ろす。「彼」は、もくもくと自分の寝場所に帰っていく。

私は、思考能力の停止寸前まで、あれこれ考える。

 

| 近況 | 11:02 | - | - |
時計は2017年8月1日を示した

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遼寧省撫順からきたアサガオの種、我が家で3代目が花を咲かせている。これは昨年放っておいたのが、一人で芽を出して窓に巻き付いて咲いたもの。アサガオって野生なんだろうか。すごい生命力。繁殖力!

 

8月が勝手に来てしまった。

仕事はまだ完成度は高くはないが、最後の章に入ろうとしている。

いろんなことを調べ、とりこんだけれど、まだまだ不十分。全く、自分で切り上げない限りきりがない。

考えてみるに、このテーマって本当に難しいのだ。少なくとも私にはそう思える。

私が設定した問題意識で書くというのがそもそも難しいのである。

そして私にはその問題意識でなければ、今やる意味はない、時間を使う意味はないとさえ思ってやっているのだし。

傲慢だな。

何事も起きないで順調に進んで、本が出たとして、しかし、誰が読む? 誰が買う?

私にはたとえようもなく重要な問題意識だが、そう思ってくれる人はいるのだろうか?

ひょっとして誰もいない? いなくたっていいのだ。それでも書く。書いておかなくてはならない。なぜだろう。

重要な問題だと私が思うからだ。いや、私が思うだけでなく客観的に誰かが研究しておかなければならない重要なことだからだ。

 

だったら、同じ問題設定で今誰かが、どこかでもっと高い水準でやっているかもしれない。

架空の、まだ見ぬその人と、水準と時間の競争をしよう。

 

| 近況 | 00:53 | - | - |
4日間集中してみたら・・・

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昨年は本当にたった1個だった柿の実が、今年はどうしたのかと思うくらいついている。重くてみんな落ちてしまうんじゃないの?

 

もう、一行でも、とか、少しでもと言っている場合ではなくて、スポーツクラブも、傾聴ボランティアも自分の意思で投げ出して、この4日間朝から夜遅くまで研究に集中していた。まず問題意識があり、たくさんの関連事項、先行研究を読み、資料が机の周りに散乱し、頭の回線が切れそうになり、とってもゆっくりなんてやっていられないって気になる。こんなに焦りを覚えるのはやはり年齢のせいか?

 

資料が足りない。神奈川県立図書館に行かなくてはー。大原社研を検索しなくてはー。アマゾンで探し、手に入る安い古書は前後の見境もなく注文している。今月あと4冊は届くはず。複数在庫あるものはためらいもなく、最も安いものを選ぶ。済んだらまた売るなんて考えられない。私は片っ端からマーカーで印をつけたり破ったりするから、用がすんだら捨てるしかないのだ。もう家の収容容量はとっくに超えている。断捨離だの終活だのをきちんとしている人から見たら、狂気の沙汰である。でもこんな生活死ぬまでというわけにはいくまいとちらりと思う。研究を仕事とする場合、どうしても人並みの生活はできない。だって、なんでこんなことやっているのか、ご近所さんに説明できない。

家の周り草ぼうぼう。ご迷惑だろうなと申し訳なく思うけど、この暑い中、草むしって消耗したくない。いいじゃないか、草ぼうぼうだってー。

なんだか変人のごみ屋敷ならぬ草屋敷になってきた。季節が来ればみんな枯れて目立たなくなるに決まっている。

なんで人間は3回食べるんだ?

 

フーキチは本当に22才になった。立派な髭をすりよせて、邪魔しにくる。

こっちも、食欲あって日に最低3度食事を要求する。

食べて、寝て、私の邪魔をするのが彼の仕事。いつまで続くかなあ!

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| 近況 | 00:32 | - | - |
待ち遠しいという感覚の喪失

 

 

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冷酷にも6月は終わって7月も半ばに地近づく。このごたごたの机上を見よ。まだ同じところでてこずっている。

しかし、この難所を超えるのも時間の問題だろう。すこしづつなどというものではなく、この数日ほとんど机に向かっているにもかかわらず、進むことが出来ないのである。行きつ戻りつというべきか。認識は深まっている。

深まれば深まるほど、気づきも多く、「なぜか」と問う箇所もますます増え、今まで考えもしなかったようなところに手を出し、またそこの深みを知り、この程度で書いてはならない自戒する。全体のバランスもあるから一カ所にこだわって多くのページをさくのは好ましくはない。

毎日毎日、GHQの占領政策とその転換について、読み返しも含めて大著・中(?)著、1970年代ころのものからつい最近の研究成果まで10冊ばかり、さまざまな角度から追っていくと・・・・・。見えてくるものがある。

ページ数の問題でない。新たな関連付けと凝縮度の問題だ。「誰もやったことがないテーマでやれ」師、新川士郎は言ったではないか。この部分いつ終わるかもしれないとも思うが、ちゃんと終わりがくることもわかっている。クラーラ・ツェトキーンの時もそうだった。

このカーソルで、もう何百回(いや何千回だろう)も同時並行で年表をスクロールし、これまで書いた章の修正・加筆箇所を探し出し、右手人差し指はよく壊れない!かわりになぜか左手親指が5月から腱鞘炎になっているけど―。

 

もう何一つ待ち遠しいというものはない。待つまでももなくその日が来て、あっというまに過ぎていくだけだ。

そしてもっとも暑苦しい季節に差し掛かった。

 

冷房をきかせて終日PCに向かって背中を丸くしていると・・・。

背筋をのばすために、背骨コンディショニングに行き、気分転換に、プールに入って「水中ウォーク」をやってこよう!

今週それをやれるのは今日午後しかない!時 間を捕まえてやるべきことをやらないとまたあっという間に失われるから・・・

 

 

| 近況 | 10:55 | - | - |
6月よ、終わらないで!

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6月よ、まだ終わらないでー。しがみついて延ばしたい気持ち。だってまだ9章が書き終わりそうにない!

この6月は、ただでさえひどい社会状況なので時間が途中で切れてしまうのを知りながら、自分でいくつかの禁をやぶってしまったのだ。

6月10日に、小論2本締め切り。そのあと、1週間おき(17日と24日に)講演2回。

Blogなんて書いている場合じゃない。今月3回目だしー。それなのに書いている。という調子ー。

 

全回に続いて2回目の講演についてやっぱりちょっと書いておきたい思いがあってー。

地元の「八王子手をつなぐ女性の会」30周年記念の講演を引き受けてしまったのだ。

バザーをやるから何か持参せよとのことで、私は手芸もしないしジャムもつくらないから、今世紀に入ってから出した本を数種出品した。

 

意外なことに、買い手がついたのである。御茶の水書房から出した、あの重く、高い本が3冊。信じられない!

同じ出版社からの、かなり私の思いいれのある国際女性デーの本の3冊。嬉しい!

そして、わたしの現役時代の最後の『生活・女性問題をとらえる視点』(法律文化社、2008年10月、3300円)になんと11冊。びっくり!!この最後の本で学習会をしようという申し出もあってー。それでそれぞれの出版社に注文した。法律文化社の田靡純子社長がとても喜んでくれた。

 

この最後の本は、現役最後の半期、大学院博士課程の講義のテキストにした。私の思いのたけを入れ込んだ本だった。

定年後、「はたらく女性のフロアかながわ」の有志の方たちに呼ばれて学習会をした。

しかし、この本はわかりやすく説明するのはそう簡単ではない。それを地元八王子のみなさんの御希望でやることになるとはね!

今時、有難いことである。ただし、読者の信頼を裏切らないためには、これまでと違った様々な工夫をこらさなくてはならない。

 

そのためには、6月に終えようと思った、山川菊栄の第9章を今月(あああと3日もない)終えなくては・・・・。とはいっても・・・・。

 

戦後の占領下での菊栄をどう書くかは予想を超える難しさがある。占領と女性については2007年に女性解放との関係と女性労働改革との関係で2冊、2014年には、性政策との関係で2冊、立派な研究書が出されているし、近年GHQ研究も続続進められ、出版されている。

それらが、私のテーマとは関係づけられているわけでないのは当然で、どう関係づけられるかが私の問題意識にかかわっているのである。もうこれ以上は書けない。

 

6月、日本は騒然としており、加えて今都議選で少しも猶予がならない情勢である。

そのなかで密度の高い研究を手を抜かずに進めたいというのは、いささか無理をしているということである。

 

庭のあじさいがまっ盛り。柿は何百と実をつけて、もうすでに実るのを諦めて庭に散っている。なるがままに放っておくしかない。庭を見ている時間がない。

 

 

 

 

 

 

| 近況 | 22:37 | - | - |
昭和女子大学「近代文庫」と雑誌『番紅花』(1914)―光葉同窓会に招かれて

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私が昭和女子大学に勤めはじめた28年前この右側の古い建物の3階には、昭和女子大が誇る特殊コレクション「近代文庫」があった。

大正デモクラシーの精神を受け継いだ、詩人・文化人創設者人見円吉が集めたこの「近代文庫」のある大学に職を得たことは嬉しいことであった。さっそく閲覧させていただき、アカデミズムの香りに触れて、なぜか「もし嫌なことがあったらここに来て泣こう」とまで思ったものだった。それからしばらくして、「近代文庫」の蔵書は図書館に統合され、この建物には、教員の研究室が沢山作られた。

 

そしてこの大学での私の3度目の研究室が、「近代文庫」の受付があったその場所になったのである。その研究室で私は日夜働いた。

泣くどころではない。正面からも、振り返っても、写真など写す余裕などなかった。

定年後8年目にはいって、昭和女子大に行く機会があり、はじめてカメラを向けたのである。ああ、あの3階の真ん中。

 

6月17日、光葉同窓会からお声がかかってちょっとした講演をすることになったのだ。

講演の後、山川菊栄の最初の翻訳数編を掲載した『番紅花』(サフラン)という雑誌を見せていただくお願いをした。

「近代文庫」にこの雑誌が入っていることを数年前からつきとめていたのに、そのままにしてあったのだ。

とうとう対面する機会が来た。嬉しかった。何しろ定年後8年間で、この職場に来たのはこれが3度目だったのだ。

 

講演の題は、同窓会側の要望とかみあわせて<「今をこれからを」悔いなく生きたいー定年後も研究者として、市民として>というようなものであり、第一に、現職にあるとはどういうことか、第二に、定年後10年の設計をどうしたか、第三に、Post Truth といわれる今をどう考え、研究と市民運動をどう統一して生きていこうとしているか、についてお話しした。

 

3度目ここにきて、はじめて私はここが懐かしいと思えた。数え切れないほどの会議をやった「本部館3階大会議室」!

この職場で私は鍛えられた。3つ目の職場として、私を20年も雇って給料を払ってくれたくれたこの職場での日々の苦楽には感謝してもしきれないものがある。 ここでの20年があったから今があると思える。

 

光葉同窓会の役員のみなさんの、この大学の建学の精神が身についたホスピタリティにも敬意を表する。

お願いしておいた「近代文庫」所収の雑誌と、コピーをとっておいてくださったのだ。

そこには、今私がテーマとしている山川菊栄の最初(23歳)の翻訳(コロレンコ、カーペンター)が、待っていた。

確認できてよかった。とても有難かった。

 

終ってから、教え子で研究者になった2人と久しぶりにずっとお話しして帰ってきた。まさに「現職にある」バリバリの2人と―。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 近況 | 01:39 | - | - |
2017年6月、おそらくかってない日本の政治情勢の山場で

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家の玄関の横に、ほっておいて自然と芽が出たアサガオが花をつけ1本だけ残っているツツジが咲いている。

 

この間、珍しく6月10日締め切りの依頼原稿を書いていた。短いものだが、『日本の科学者』9月号に掲載されるはずのものである。

『資本論』第一巻刊行150年記念の特集に、「クラーラ・ツェトキーンと『資本論』第1巻」について書いたのである。しかも締め切り前に書き終わった。そんなことはあるはずがない。あとで読み返せば読み返すほど後悔が沸き起こる。

誰も書かないことを書くというモットーには沿っている。しかし、今進めるべきテーマは「山川菊栄」であるから、邪道といえば邪道なのだ。それなのに、「おわりに」で結びつけてしまった。結びつけないでは終わることができなかった。

 

それに、この6月、講演を二つ引き受けた。これもモットーに反している。どんなに小さな講演でも準備に一定の時間がとられ、当日を含めて、目的にすすむはずの時間が奪われることはこれまでの経験から百も承知だからー。それなのに引き受けてしまった。

依頼原稿や講演をそんなに深く考えてあれこれいうものでもないことも知っているといえば知っている。

いいじゃないか、たまには自分で敷いた軌道からはずれたって―。それも面白いではないか。

でも講演の一つは、私でなくたって、いや私でない方がよほどうまくやれるようなテーマである。これは、たぶん、この際、自分が勉強するに値すると思ってお誘いにあえて乗ったのだ。

 

そして、本業は?やっていますよ。難所をあえぎあえぎ進んでいる。戦後に入ってまだGHQと菊栄のところを進んでいる。まだ?そう!

この個所、先行研究がないとはいわないが、私が考えているようなことを包括的にズバリ書いている研究はやはりない。なんでだろう? 

ないからこそ、私の問題意識に沿って苦労しているんでしょう!やる意味があるんでしょう!!

しかしあるのに私が知らないだけではないかという思いが常に付きまとう。もしあったら、私があっさり引き下がらなくてはならない。

あれこれ考えているうちに、時間は容赦なく過ぎる。

日本の政治情勢が、60年安保の時以上の山場だ。あのときは札幌にいた。今は首都東京にいる。この時を私はどう配分して生きるかが重大問題なのである。

 

 

 

 

| 近況 | 22:26 | - | - |
忙中閑あり

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ここは、山野学苑の愛治庵(八王子)、ご縁があって、この裏千家の茶室で御薄をいただいた。

 

先週1週間から今週にかけて、連日出歩き(12日は恒例の「金八デモ」、13日は「八王子市歌を考える会」学習会、14日は第22回 No War 八王子アクション、15日は太極拳で一息ついたが、16日は日比谷野外音楽堂の集会から夜の銀座を「共謀罪阻止」のパレード、という調子)、第9章が進まないのである。一つは、私が戦後のGHQの占領政策の本質にせまれないでいることと、一つは当時の政党の動きをいまいち飲み込めないでいることが原因である。そのほか、断らないでしまった小論の構成がなかなかうまくいかず、何度も書きなおしているということもある。

 

そんななか、17日、緑に囲まれた茶室で、こともあろうに「宮澤・レーン事件の真相を広める会」の仲間たちと、すてきな数時間を過ごしたのである。夢のように素敵な時間だった。家に帰って来て、がさごそと探し物をした。いつもは必ず見つからないはずのものがすぐ見つかった。不思議なことなので、その一部を写真に撮った。

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こんなものが出て来たのである。1959年3月10日という日付、松原セツという私の名前。大学1年生の時のもの。

茶道をやっていたという証拠である。札幌で友人と習いに行っていたことは確かだ。クラブ活動ではない。

クラブはフォークダンスクラブに入っていたが、女子学生は近くの藤女子大の学生に人気が集まることと、5%しかいなかった自分の大学の「女子学生の会」の活動にのめり込んで行って、やめてしまった。それに1959年は、60年安保の前夜だった。

 

「北海道平和婦人会」のボランティアをしたり、第5回日本母親大会の「女子学生の会」代表で上京したりしているうちに、この茶道も、時間不足で、月謝捻出の家庭教師その他のアルバイトとのバランスもとれず、やめてしまった。でも確かに短い期間でもやっていたことは確かなのだ。これまでも、家で時々、お茶をたしなんでいたことがなくなはい。しかし、この本格的な愛治庵で、この時のことを、しみじみ思い出したのである。それは、60年安保の情勢と重なる思い出である。

 

家に帰って夕刊を広げると、高浜4号機午後再稼働、「共謀罪」法案巡り云々。嫌でも、つかのまの「忙中閑あり」から覚めなくてはならない。やれる時間に少しでも前に進めないとせっかく第9章まで来た原稿が空中分解するような情勢だ。

 

それにしても、戦前・戦中はもちろん、戦後少しの暇もなく始まった「逆コース」からずっと、戦いはひと時も止んだ時期はない。

また「マイ年表」を上下、左右にスクロールして、考え、発見し、書き込み、疑問があふれ、机の周りや足元が、混乱をきわめ、ため息が出る。「マイ年表」は8ポイントで40ページを超えてしまっている。もちろん、最後には、これを整理し削除するところも多い。

 

本当に少しずつしか進まない。調子が悪いPCのダウンロードをまって、いつまでもかかって、途中で待てなくなる思いにも似ている。しかし1行でも前に進めなくてはならないし、前よりはたしかに進んでいるのだ。

 

私が、これまで手掛けた、もう忘れかけた多くの物事のなかで、まちがいなく残っているのは、二つ。「研究」と「不条理なものへの抵抗」。

まあ、その二つは、御師新川士郎先生の言葉を借りれば、「心中に値する」。

 

 

 

| 近況 | 02:05 | - | - |
JAICOWS研究会

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毎年、5月の連休中に撒いているアサガオの種。遼寧省撫順の「戦犯管理所」の中庭に咲いていたアサガオの種。捕虜だった日本兵が管理所の職員から持たされて帰国したという「赦しの花」であるアサガオの種の末裔を宮崎礼子先生からいただいて、3年目。

さてと思ったら、何と昨年採りそこなった種がこのようにちゃっかり芽を出してもう伸びているではないか。

昨年、千粒以上と思われるほどの種を付けて自然と落ちて、自分で芽をだしていたのだ。

 

昨年、実を殆どつけなかった柿のきも青々と葉を伸ばし、葉の根元に、もうこんな小さな実をたくさんつけている。

すごい生命力!

 

それにくらべて、私のしていることといったら、ゆきつ、もどりつ、また、年表の上へ下へ、左右へ、カーソルを何百回もスクロールして諸関連を確認し、頭に入れ、考え、調べー。進まない。毎日たくさんの書籍が刊行されて、毎週の新聞の書評欄をにぎわし、興味深い本が次々と出されるのをみて、感心する。

 

そんなところへ、「JAICOWS会員の皆様」というメールが飛びこんできた。JAICOWS(女性科学研究者の環境改善に関する懇談会)ネ。なつかしい。『女性研究者のエンパワーメント』(ドメス出版 2008)の第8章に、この会について書いたものだった。

メールは、5月9日に、今年度最初の研究会を青山学院大学でやる。講師は大沢真理氏。テーマは、「格差・貧困をどうとらえるかージェンダーの視点から」。むやみに行ってみたくなってでかけた。予定外の行動。JAICOWSへ行くなんて10年ぶりですよ。

 

かってこの会の事務局をやったことのあるものとしては、何人かのなつかしい顔ぶれに出会った。私は、自分で、その時々一生懸命やった「事」に関しては、振り返りたくない人間である。でも久しぶりの原ひろ子先生にお会いして、この方に鍛えられたことに感謝し、大沢真理さんの報告は歯切れよく、最高の研究者の報告とはなんと刺激されるものかと嬉しく、初対面だった今を時めく羽場久美子日本学術会議会員との喫茶店での会話から最近の日本学術会議の情報も得て、八王子に戻った。

 

そしてその翌日5月10日は、「八王子市歌を考える会」の会合。私が八王子の市民運動で知り合った新しい友人たち。

2時間ほど5月13日の「ますらおって何? 八王子市歌と男女平等を考える」学習会の資料作りをやった。作業が終わって1時間ほどいろいろな話をした。

新しい友人たちも素晴らしい。新鮮だ!これは、私のfacebookの領域なのでここでは書かない。

 

5月14日の、第22回 No War 八王子集会 では、共謀罪の寸劇の代役をたのまれた。

ああ、いろんなことをしなくてはならない。

 

こうして新たな道が切り開かれていく。もうJAICOWSにいくことはないだろう。2017年5月9日の思い出を胸にー。

なにしろ、こんななかで、自分の本の原稿を書き進めなくてはならないのだから・・・・・。それが本命だから。

 

| 近況 | 00:26 | - | - |
敗戦までたどりつき、占領下に入る

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こんなに大きなフー吉の顔をのせてしまっていいのかためらうがー。

このところ22歳直前のフー吉が、とても若返って、よく食べ、階段を下りたり上ったり、ベランダをうろうろ、庭を行ったり来たり、外の階段から2階へ上がって、猫専用入り口から家に入ったり、風呂場を覗いたり、元気である。その上、私が仕事をしているところへ来て、邪魔をする。要求は、「だっこしてほしい」ということなのだから驚く。この写真は、私の膝の上にいるところ。

一日に何回も、ちょっと遠慮がちに「ニヤオン」と呼びかけて近づいてくる。

 

そのせいとは言わないが、第8章を何とか終えてやっと、戦後の 第9章 占領下の日本 に入ろうとしたところ、約1週間、どうしても手が付かなかった。一行でも、一語でもという方針をずっと貫いてきたのに、それなのになぜか、空白が生じたのである。

 

理由はいろいろあったが、やはり戦前と戦後は、対象に向かう構えを変えなくてはならなかったのだ。決して連続しない。その構えができていなかった。

やむを得ず、一年以上前に終えていた、マイ年表の戦後を見直し、確認することから初めて(助走)、数日間かかって、年表から今日かろうじて離陸した。

そして思う。世界も日本も、いや歴史は、どの瞬間だって複雑に絡み合って動いていない時なんてなかったのだと。

今の情勢に、あきれているなどということではダメなのだと。

それにつけても、計画より、時間をかけて、じっくり取り組まなければならないということが自ずと明らかになる。

 

クラーラ・ツェトキーンを50年かけてやった。山川菊栄をまだ3年少ししかやっていない。それを思えば、私の生命と競争になることはやむをえなかろう。時間がたてばたつほど主体的肉体的条件は悪くなるはずだが、研究にはじっくり時間をかけたいという思いは募る。困った。担当の編集者さん。待ってください!待っていただけるだろうか。

 

フー吉は22歳、人間の寿命に換算すれば100歳を超えているという。年に2回ほどホテルを利用させていただいているM動物クリニックの先生は、「うちのにきている猫の中で一番高齢です」とおっしゃった。年に一度ワクチンを接種するだけで、病気にかかったことはない。クラーラ・ツェトキーンをやっていた時は、パソコンの上を歩いたりしていたが、今は私の膝の上で私の顔をこうしてジッと見ているだけで手を出さない。この目は「がんばってね」と応援してくれているのかな。とってもかわいい!

 

 

 

| 近況 | 02:03 | - | - |
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