伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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流れる時間は、その時の目的に合わせて選ぶべき一つのものを決める

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これは、11月18日、文京区男女平等センターで開催された「国際女性の地位協会」設立30周年記念シンポジウム、「21世紀のジェンダー平等―女性差別撤廃条約からみる課題と展望ー」の第2報告者者「ビジネスとジェンダー」(菅原絵美氏)のPPTのスライドの1枚である。

他の報告者は、「SDGsとジェンダー」(織田由紀子氏)、「平和とジェンダー」(早川紀代氏)であった。

今東京では、連日、シンポジウム、講演会、集会が折り重なってそれこそ五万とある。八王子だけとってもしかり。

新刊書籍を始め、取り入れるべき情報に溢れ、自分の貴重な時間が、今何を選ぶべきかを直感で決めて、私は行くべきと思ったところにはでかけ、買うべきと思った本は買う。

かって院生を指導する身の時はひたすら院生のテーマが頭にあった。このスライドなどは、瞬時に◇さん、△さんに関連するテーマだ!と思って、張り詰めた思いで聴いたものだ。

今は違う。

私は本当は、自分の「終章」まで来たテーマと、自宅で取り組んで居たくて仕方がなかったのだが、八王子市男女共同参画センターが主催で、企画運営が八王子女性史サークルの公開講座の講師を引き受けてしまったので、それに役立つ最新情報をとりいれなければならない義務感からやってきたのである。

「本当の『女性活躍の時代』にするために―女性のエンパワーメントで『平等』を引き寄せようー」という題。

PPTを途中まで用意してハタとゆきづまる。もう喜寿もすぎた年齢ともなると、80歳代以上のこと以外はすでに経験してきたわけだから、すべてのライフステージを念頭に入れて、本当の「女性活躍の時代」とは何か、何のために、年齢を問わず、どう「活躍」するのかを考えることはできるはずだが、それがわかるからこそかえって本当に難しいと、頭を抱えてしまう。

勿論私は、「女性活躍推進法」の範囲で「活躍」なるものを考えているわけではないのだからー。

特養老人ホームにいる、傾聴ボランティアでお話を聞かせてくださる方々は、若き日をふりかえる。そして私を「若くて元気でいいねえ」とおっしゃる!傾聴ボラ、市民運動、各種の講演会、シンポジウム、これらは、講演の構成をどうするか、本当の女性活躍のための、一人一人の女性のエンパワーメントをどうするかの素材となる。

しかし、私は、講演はやっぱりき苦手である。書く方がいい。

しかも与えられたテーマではなく、自分のテーマを追求して書く方が好きだ。その好きなはずの事をやっているのに、毎日苦しんでいる。

なんというわがまま!身勝手!自分であきれている。

それでも、時間を勝手には使えない。時間は直感で最も必要とされるものに当てざるを得ないのだ。

 

| 近況 | 00:24 | - | - |
終章にたどりついたもののー終章とは序章の事か?

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昨年、1個しかつかなかった柿が、今年は200個くらいもついて、野鳥が喜んで食べている。

10月31日の日付が変わるころ、無理やり10章を打ち切って、終章に入った。

終章を書いていて錯覚する。終章とは序章の事か?と。

すべて、ここから始まればいいのに!

ということは、すでに10回以上書き換えている序章に、また最後の手を入れて、1章から全部、序章と終章の視点で、筋が通るように点検し直すという作業があるー。それが簡単に終わるとは思えない。まだまだ、気になるところを残し、会うべき人に会っておらず、図書館での詰めをやっていない。全部をやろうとするときりがなく、寿命も尽き果てる。

 

クラーラ・ツェトキーンの場合は、50年の月日をかけていたから、いくら不十分と言っても安定感はあった。

今回は専念してからまだ4年もたっていない。醸す時間、養生の時間、寝かせておく時間が不足している。

これまで出した、単著の事を時々ふりかえる。

このあと、不十分さに嫌気がさして空中分解することなしに、うまく出版にこぎつけることができれば丁度10冊目の単著となる筈だ。

1990年に、有斐閣経済学叢書15として『家庭経済学』(約300頁)を出したときは、私が、大学院博士課程の時代の非常勤講師としての講義をした時から20年以上積み上げた内容をまとめたものであった。あの時も、20年という月日が私の不安を軽くしてくれた。

しかし、今回は、もはや20年だの、50年だのと言っておられず、数年の間に、まとめたいと思うものについては無理やりまとめなければ、「おしまい」になってしまうのである。「おしまい」になってしまうくらいなら、ここらで打ち切ろうということも必要なのだと自分に言い聞かせる。もちろんけっしていい加減に考えているのではない。自分が書かなければ誰が書くかという思いがなければやれる仕事ではないから、可能な限り私らしいものにしたい。

 

10月に、2度、日本女子大名誉教授の宮崎礼子先生のお宅に行って、いろいろお話を伺い、オリジナル資料もおかりした。

そしてまたいろいろの発見があった。まあ、ここまで来てしまったのだし、5章までの第一稿は、すでに編集者に渡してしまっているし(もちろん、終わりまで通してから加筆修正を認めていただいての上ではあるが)、最後まで気を抜かずにやろうと思っている。

まあ、柿が1個もなくなるころまでにはー。

| 近況 | 00:24 | - | - |
もう一息

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最後の章に入って久しいのに、あれこれ考えて進まない。資料があまりに乱雑になるので少し整理した。多少は取出しやすくなったか。

真夜中、あ、これは、安川悦子氏の1980年代のはじめに出されたイギリス労働運動研究の本と関係がある、みなくては・・・、と書庫に走る。やっぱりね。そうだった。

お、これはひょっとして、西川正雄氏が、やはり1980年代の半ばに書かれた、日本の『初期社会主義者運動と万国社会党』に出てくることと関連してはいないか。これは書庫に行かなくても傍にあるはずがすぐには出てこない。

というぐあいで、時間は容赦なく過ぎていく。夜中に、毎夜、全く今まで気づいていなかったことに気づく。真夜中に、私の思考はいろいろなサインを出す。

いろいろのかかわりを考え、菊栄は、ここでなぜこういうことを云ったのか書き込む。

 

どうしてこうも、この時間にいろいろのことを思いつくのだろう。もう寝ないと明日はどうなる?と思わずに過ごす日なんてない。

明日、一日中どこにも行かなくても済む日ぐらい嬉しいことはない。結論に向かう大事なところを書いているというのに行きたいところなんてない。あるとすれば、突拍子もないところ!そう。数日前行って来た。ブラマンク展を観に・・・。甲府へ。

それ以外はこうしてずっと、思考を巡らして眠らずに机に向かっている事さえできればそれでいい。

だがそれが出来ないのだ。そういうものだろう。社会的生活しているのだから。これでも選挙運動にも多少ともかかわった。

あれこれやらねばならないことを考え、書き出しチェックする。嫌だなあ。あたりまえだろう。好きなことだけでは済まされないのが社会的生活というものだ。

 

そして時々フッと思う。次にやるテーマのことをー。楽しみだ。どれだけ残されているかわからない時間の中でどこまでやれるかー。

あれとこれだ。当面二つ。そういうことを考えるのは楽しい。果てることのない研究のしごとを考えることで、そしてその仕事が社会的に意味あるに決まっていると思うことで私は救われている。

 

| 近況 | 00:50 | - | - |
私についている糸が私を強く引く!

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これは、山川菊栄が、労働省婦人少年局長を辞した1951年の暮れから渡英して、翌年帰国のあと1953年から55年までに出した2冊の翻訳(コールとべヴァン)と1冊の自著である。Amazonで購入した私物である。線を引いたり、折ったり、フセンを張り付けるには、私物でないとできない。菊栄は、ご覧のとおり驚くほど生産性が高い。優れた資質の持ち主なのだ。

 

前回の倉敷訪問のブログから、今日までのあいだに、神奈川県立図書館の山川文庫の閲覧に行き、晩年に菊栄とつきあいのあった、日本女子大学名誉教授の宮崎礼子先生にインタビューに行ってきた。そこで得たことは、該当箇所に入れ込まねばならない。

そしてまだまだ行かなけれなならないところがある。本命という所がいくつか残されていて落ち着かない。

 

それなのに今の情勢に比例しやるべきこといろいろあって、なかなかできないし、したがって進まない。

今日、雨で「反原発八王子金曜デモ」が中止になったので息をついた。

私は没頭することができる研究テーマのおかげで、精神の安定を保つことができる。

どんなに進まない時でも、他の活動をしている時でも、「ここに帰る」という糸が私を強く引いていて、それを思うと救われる。

 

あれこれ考えて空中分解しそうになる時もある。全部ダメ。消してしまえ!と思う時、この程度で完成するわけがない、と思う時、自分の独自性にたちもどって、私でなければ誰がこういう問題意識で書こうと思いつくかと、自分をはげまして、時間のかかることをしこしこ積み重ねる。根気がいる。そんなとき、この仕事以外なにもなければいいと思う。中断されたくないと心底思う。

 

しかし、生きているということは、そんなわがままをゆるしてはくれない。

ボランティアがあり、地域や市民運動があり、スポーツクラブがあり、生活上のやるべきことがある。全部自分が勝手に選んでやっていることだとはいえ、そう言い切れない面も付属するのも当たり前だ。しかし/そして、それがあってこそ生じる私の研究のオリジナリティなのである。

 

「ここが正中線だ。私の自発性もそこから大きく揺れたり、ぶれたりさせることはできない」と自戒する。

「私でなければ誰がこういう問題意識で書こうと思いつくか。そして書けるか!」という傲慢さも必要だ。

それがなければ、研究者としては生き続けられない。「何のために?」は明白である。

 

 

 

 

 

 

 

| 近況 | 00:02 | - | - |
岡山市、倉敷市への小旅行ージェンダー統計と山川菊栄研究

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9月17日、大型台風18号の接近により、暴風警報が発令されている岡山市へ、朝早く「エイままよ」とYと出かけた。

2012年にジェンダー統計「岡山市の女性と男性」というリーフレットを岡山市からの助成金で、市民協働事業として発行して5年が経過し、今年その統計資料の改訂版を出すため、Yが市民グループの助言に出かけるのに、私が便乗したのである。
2011年9月にも、1回、私はやはり、便乗して岡山県から島根県まで行ってそのことを、このBlogにも書いたことがある。

 

「ジェンダー統計」は、かって私のテーマのひとつでもあり、学部学生にも、MとDの院生にもかなり熱心に講義もしていたし、卒論、M論、D論の方法としても奨励して、今も「経済統計学会」の名前だけ会員でもある。10名ほどの市民グループ(といっても、メンバーの中には、市議さんや大学教員、「さんかく岡山」の元専門職員も市民として入っている)が月1回地道に研究を継続し、「人口・世帯」「寿命と健康」「労働と所得」「社会福祉・社会保障」「意思決定」「女性への暴力」など、分担していよいよ詰めの段階に入ったのだ。2017年半にはYの教え子のOさん(環太平洋大・経済学部教員)も参加して、岡山市役所関係部局、県、警察、福祉事務所、教育機関等々から収集した様々な統計資料について、1時半から5時まで密度の高い熱心な討論が展開された。

最後に私も発言の機会が与えられ、「ジェンダー統計」の研究にも向き合って、政府統計各部局とわたりあったあの日々、「ジェンダー統計」をツールとして、学生・院生教育に、深夜まであたったあの熱い日々を思い出さずにはいられなかった。

2011年9月の後6年が経った。あのころすでに「ジェンダー統計」とはサヨナラし、ライフワークのクラーラ・ツェトキーン研究は仕上げに近づいていた。それでもさらに2年を要し翌2013年の暮れに、クラーラ・ツェトキーン研究の本は完成し、2014年の社会政策学会で学術賞をいただいて区切りをつけた。

今回の便乗は、その後テーマとして選んだ山川菊栄研究のためである。研究をはじめてわずか、4年足らず、もうはやこのテーマを終えたいという思いが募っている。

今日9月18日、台風一過の秋晴れの倉敷市へ行った。山川菊栄と夫山川均の墓があるという長連寺を訪ねた。寺で案内を乞うと、すぐ山門手前左横の山川家先祖代々の墓がならぶ一角をに入る門の閂を開けてくださった。写真集で見てはいたが、墓の実物は多くを語ることを私は知っている。クラーラ・ツェトキーンの墓は、モスクワのクレムリンの壁。ここには1989年に行った。オシップ・ツェトキーンの墓を訪ねて、パリのイヴォリー墓地に(墓はすでになかったがー)、そしてアウグスト・ベーベルの墓をチューリヒに訪ねた時のことを思い出す。

 

墓はやはり多くを語るのだ。帰りの新幹線で、序章で設定した山川菊栄研究への私の独自の7つの問題意識というヤツをあらためて点検し、このテーマは、私の手に余ると再考をせまられる気がする。いや背筋を伸ばしやれるだけやるのだ。私は研究者として現役なのだから。それが私にできるだろうか。いややるのだ。そう、姿勢を正してやるしかない!



 

 

| 近況 | 20:29 | - | - |
『資本論』第1巻150年、Clara Zetkin 生誕160年 と 菊栄と百合子

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『日本の科学者』Vol.52,No.9(2017.9):22-27に、写真のようなものを書いた。『資本論』第1巻150年記念の特集だが、私にとっては、Clara Zetkin 生誕160年記念でもある。

 

今は、山川菊栄をテーマとしているが、とある理由から、7月15日に、宮本百合子が降ってきた。

菊と百合の対比を一部にとりこむことによって、この研究にある筋を通すことが出来るのではないかと思ったのである。

7月は、まだ第9章を書いていた。不十分なままではあるが、第9章を少し寝かせることにして、8月に第10章に入った。

8月19日に、多喜二・百合子研究会主催の公開講座「新しい時代に宮本百合子を読む―個人の尊厳をよりどころにして」全4回の第1回「未来を信じて―弾圧下の「広場」「三月の第四日曜」を、講師:岩崎明日香さん、9月2日に、第2回を「わたしたちからわたしへ、そしてわたしたちへ―百合子と女性運動」を講師:由比ヶ浜直子さんでやるという。そのあと2回はとても行く余裕がなさそうだ。そのことを聞いたのが7月15日だったのだ。それで申し訳ないが前半だけ行く覚悟をした。2人の講師は30代、40代と若くてぴちぴちしていた。

 

私は、このような文学の会には出たことがない。でも、第1回の1940年代の百合子の二つの作品を文芸評論家はどう扱うのかということ、第2回の百合子と女性運動をどのように組み立てるかということには、ドキドキするくらい興味があった。

1回目は、作品を読んで時代背景を頭に入れていくぐらいの準備だったが、講師の進め方はなかなか面白かった。

2回目は、2週間私は自分ならこう組み立てるというやり方で、不完全だが約1万5千字くらいの小品を書いていった。

しかし、私が不十分な点として、後回しにしていた百合子の日記部分を講師はふんだんに使うという方法をとったのだ。

私は、百合子の評論部分から組み立てていた。なるほど。私も日記で補ってみよう。

家に帰って、我が家にある百合子の全集の日記部分を大急ぎで追った。

それで、私がたてた、ある仮説は証明されたか。いやあ、すべてについてそうだが、そう簡単ではない。

百合子の世界に引きずられると本末転倒になるし、大体わたしに百合子をあつかえるわけがない。

深入りは禁物だ!

百合子には何種かの全集があるし、菊栄は選集(2度出した)しかない。選集しかない場合、文献リストを頼りに、実物にあたる手間は大変だ。百合子の全集は確かだが索引がそれほど細かくは出来ていない。

その点、マルクス・エンゲルス全集の索引たるやどんなにすごかったかが思い知らされる。

クラーラ・ツェトキーンも選集しかない。従って、27年主筆として彼女が編集したGleichheit(平等)一つを見るにも、全巻に目を通すのにどれだけの時間を懸けたかわからない。その他の漏れときたらもう手に負えなかった。

あれこれ、心懸かりなことばかりで、前に進めるのは容易ではない。まあ、容易な研究などあるはずもないし、それを研究とは呼ばないわけではあるがー。

少し涼しくなってきたことが救いであるが、ただでさえ狭いごたごたの書斎コーナーに、百合子の分厚い全集が、書庫から運び込まれて、もう大変なことである。

それでも2度の、異分野の公開講座で、新鮮な空気が入ってきたことを、大事にして組み込みたい。

 

| 近況 | 01:03 | - | - |
72年前の記憶は鮮明だが先へ進むしかない

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今日はあの戦争が終って72年。小学校一年生だったから、忘れるわけがない。

 

でも、思い出す時間もおしい。いろいろなことを「これ以下はないだろう」と思うほど粗雑にやって、とにかく今のテーマを前に進めることに集中したい。このところ、夜な夜な、私が仕事をしている後ろに、22歳と3ヶ月目を生きているフー吉がやってきて、遠慮がちに「ニャン」と声をかける。ふりむけば、「抱っこ!」というわけだ。左腕に抱いて、生きている温かみをかみしめる。

お互いに「生きているねー」と共感する。

でもそれどころでない。最終章に入ってもう半月。今、1950年代。「彼女」が、60歳ではじめて外国に出て、多くを書いている。

英国、ユーゴスラヴィア、フランス、イタリア、インド、タイ、中華人民共和国である。

私がはじめて外国に行ったのは1975年、国際女性年の時、ユーゴ、英、仏、伊だった。

インドは2001年、タイは1987年、中国は1991年、年代はバラバラだがとにかく、「彼女」が行った全ての国に行った経過があることは確かだ。しかし、いつ行ったか。何のために、どのくらいの期間、どこを見たかが問題となる。そこで、これらすべての国の歴史を調べて「彼女」が、どういう歴史的段階でそこにいたかを知らなければならない。

例えば、ユーゴである。私が行ったのは1975年だが、ユーゴの歴史書3冊くらい並べて、読み比べ、私は1940年代の始めチトーの後ろに付いてバルカンの山岳地帯をドイツ兵とゲリラ戦をやらなければならないというわけである。寝ても覚めてもその気になっていた。

やっとそれが終ると、それで、「彼女」が行った時どうだったかになり、私が行ったときとの歴史的距離感覚をはからなければならない。

そして、考えをまとめて書くことは1ページばかりか。それを各国についてやる。

毎日発見があり非常に面白いといえばそのとおりである。しかし、単なる興味・関心でその本を読んでいるわけではないのだ。

「何でこういうことを、私は今まで考えなかったか」の自問自答が始まる。もういいかげんにしろ。

「彼女」を1980年まで追わなくてはならないのだし、これまでの章も「寝かせたまま」にしてあったり、気づいたことから振り返って書きなおしたり加筆すべきことが多々あり、忘れたらどうする!。

 

フーちゃんごめん。「抱っこ」は終わり。とそっと降ろす。「彼」は、もくもくと自分の寝場所に帰っていく。

私は、思考能力の停止寸前まで、あれこれ考える。

 

| 近況 | 11:02 | - | - |
時計は2017年8月1日を示した

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遼寧省撫順からきたアサガオの種、我が家で3代目が花を咲かせている。これは昨年放っておいたのが、一人で芽を出して窓に巻き付いて咲いたもの。アサガオって野生なんだろうか。すごい生命力。繁殖力!

 

8月が勝手に来てしまった。

仕事はまだ完成度は高くはないが、最後の章に入ろうとしている。

いろんなことを調べ、とりこんだけれど、まだまだ不十分。全く、自分で切り上げない限りきりがない。

考えてみるに、このテーマって本当に難しいのだ。少なくとも私にはそう思える。

私が設定した問題意識で書くというのがそもそも難しいのである。

そして私にはその問題意識でなければ、今やる意味はない、時間を使う意味はないとさえ思ってやっているのだし。

傲慢だな。

何事も起きないで順調に進んで、本が出たとして、しかし、誰が読む? 誰が買う?

私にはたとえようもなく重要な問題意識だが、そう思ってくれる人はいるのだろうか?

ひょっとして誰もいない? いなくたっていいのだ。それでも書く。書いておかなくてはならない。なぜだろう。

重要な問題だと私が思うからだ。いや、私が思うだけでなく客観的に誰かが研究しておかなければならない重要なことだからだ。

 

だったら、同じ問題設定で今誰かが、どこかでもっと高い水準でやっているかもしれない。

架空の、まだ見ぬその人と、水準と時間の競争をしよう。

 

| 近況 | 00:53 | - | - |
4日間集中してみたら・・・

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昨年は本当にたった1個だった柿の実が、今年はどうしたのかと思うくらいついている。重くてみんな落ちてしまうんじゃないの?

 

もう、一行でも、とか、少しでもと言っている場合ではなくて、スポーツクラブも、傾聴ボランティアも自分の意思で投げ出して、この4日間朝から夜遅くまで研究に集中していた。まず問題意識があり、たくさんの関連事項、先行研究を読み、資料が机の周りに散乱し、頭の回線が切れそうになり、とってもゆっくりなんてやっていられないって気になる。こんなに焦りを覚えるのはやはり年齢のせいか?

 

資料が足りない。神奈川県立図書館に行かなくてはー。大原社研を検索しなくてはー。アマゾンで探し、手に入る安い古書は前後の見境もなく注文している。今月あと4冊は届くはず。複数在庫あるものはためらいもなく、最も安いものを選ぶ。済んだらまた売るなんて考えられない。私は片っ端からマーカーで印をつけたり破ったりするから、用がすんだら捨てるしかないのだ。もう家の収容容量はとっくに超えている。断捨離だの終活だのをきちんとしている人から見たら、狂気の沙汰である。でもこんな生活死ぬまでというわけにはいくまいとちらりと思う。研究を仕事とする場合、どうしても人並みの生活はできない。だって、なんでこんなことやっているのか、ご近所さんに説明できない。

家の周り草ぼうぼう。ご迷惑だろうなと申し訳なく思うけど、この暑い中、草むしって消耗したくない。いいじゃないか、草ぼうぼうだってー。

なんだか変人のごみ屋敷ならぬ草屋敷になってきた。季節が来ればみんな枯れて目立たなくなるに決まっている。

なんで人間は3回食べるんだ?

 

フーキチは本当に22才になった。立派な髭をすりよせて、邪魔しにくる。

こっちも、食欲あって日に最低3度食事を要求する。

食べて、寝て、私の邪魔をするのが彼の仕事。いつまで続くかなあ!

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| 近況 | 00:32 | - | - |
待ち遠しいという感覚の喪失

 

 

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冷酷にも6月は終わって7月も半ばに地近づく。このごたごたの机上を見よ。まだ同じところでてこずっている。

しかし、この難所を超えるのも時間の問題だろう。すこしづつなどというものではなく、この数日ほとんど机に向かっているにもかかわらず、進むことが出来ないのである。行きつ戻りつというべきか。認識は深まっている。

深まれば深まるほど、気づきも多く、「なぜか」と問う箇所もますます増え、今まで考えもしなかったようなところに手を出し、またそこの深みを知り、この程度で書いてはならない自戒する。全体のバランスもあるから一カ所にこだわって多くのページをさくのは好ましくはない。

毎日毎日、GHQの占領政策とその転換について、読み返しも含めて大著・中(?)著、1970年代ころのものからつい最近の研究成果まで10冊ばかり、さまざまな角度から追っていくと・・・・・。見えてくるものがある。

ページ数の問題でない。新たな関連付けと凝縮度の問題だ。「誰もやったことがないテーマでやれ」師、新川士郎は言ったではないか。この部分いつ終わるかもしれないとも思うが、ちゃんと終わりがくることもわかっている。クラーラ・ツェトキーンの時もそうだった。

このカーソルで、もう何百回(いや何千回だろう)も同時並行で年表をスクロールし、これまで書いた章の修正・加筆箇所を探し出し、右手人差し指はよく壊れない!かわりになぜか左手親指が5月から腱鞘炎になっているけど―。

 

もう何一つ待ち遠しいというものはない。待つまでももなくその日が来て、あっというまに過ぎていくだけだ。

そしてもっとも暑苦しい季節に差し掛かった。

 

冷房をきかせて終日PCに向かって背中を丸くしていると・・・。

背筋をのばすために、背骨コンディショニングに行き、気分転換に、プールに入って「水中ウォーク」をやってこよう!

今週それをやれるのは今日午後しかない!時 間を捕まえてやるべきことをやらないとまたあっという間に失われるから・・・

 

 

| 近況 | 10:55 | - | - |
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