伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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書下ろしで研究単著を書くという冒険

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非常識な日常生活をしている。

今手掛けている本を仕上げなくてはという思いがつのって、昼となく、夜となく・・・・。寝ても、覚めても・・・・。

もう少しで終わりが来そうだが、終わりが来そうな時ほどとても大変で狂気となる!

これまで、単著は9冊出したが、研究学術書が多く、非常に時間がかかるものであった。50年かかったもの、20年かかったものとか。

それにくらべ、今のは、10章中、1章以外は書下ろしで、とりかかってから完成まで5年以内の予定である。

こんなことでいいのかと不安がよぎる。

 

それにご近所の方たちとまるで違った生活様式であることを、素知らぬふりをしてさりげなく生きていかなくてはならない。

花々を美しいとは思うが自分で育てる気にはならない。自然に生えてくる雑草を取り除くということに頭が向かない。

衣替えの季節だというのに、そんなことはどうでもよい。この雑然さをそのまま生きようとしている。

 

ところで、上の表札は、生前、親しくしていただいた広田純、寿子ご夫妻のものである。2002年に寿子先生が亡くなり、寿子先生の書斎や蔵書にご夫君の純先生は一切手を付けずに、2011年まで一人で生きておられた。純先生の書斎はもちろん独立していたが、家じゅうが、蔵書・資料類で一杯だった。ご親族に呼ばれて2012年に、私たち夫妻が池袋のお宅に整理に行った。

研究者カップルの家が本・資料であふれているなんて別に驚きはしない。いずこもだいたいそうだから。

ご親族が、役立つものは全部私たちにくださるとおっしゃるので、Yは統計学関係のものを、私はまだその時手掛けていなかった(クラーラ・ツェトキーン研究が終っていなかったから)山川菊栄関係のものを頂いた。菊栄の署名入りのものも多かった。その他多くはとても頂けなかった。我が家も、全員出て行った子ども部屋を潰して書庫にして、その他亡くなった両親の部屋もほとんど本で埋もれており、許容スペースが限界だったから、ほしくてもいただくわけにはいかなかった。

 

これは、古書店に、これは、資源ごみにと、何日か通ってよりわけた。大学は引き取らないと言っているけれどこれは貴重本だから、とが、ご親族と語り合いながら―。この家をすぐ壊されるとご親族がおっしゃったので、表札を記念にカメラに収めて別れを告げた。我が家の行く末もこんなものだろうなと思いながら・・・・。宮崎礼子先生も立ち会って下さった。

私達の仕事に、生きて研究の意欲が続く限り断捨離はなく、これらと切り離されることは死と同じだから―。

そのとき頂いた本が何と、今、驚くほど役に立っているのである。寿子先生がまるで語り掛けてくれるようである。

 

寿子先生とも、いろいろ思い出があった。寿子先生は山川菊栄と親しかったから、その繋がりも、ありがたい。

それに、宮崎礼子先生も、山川菊栄との交流があり、何度かインタビューに恵比寿のお宅に伺った。

今の仕事の終わりはそろそろ見えている。そして次の仕事のテーマの芽がはえてきつつある。

まるで、粗雑に水をやっている「豆苗」のようだナ。

それにしても研究単著の書下ろしは恐ろしい。

 

 

 

 

| 近況 | 00:49 | - | - |
クラーラの本の増補改訂版の責了と23歳になったフー吉

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先月5月24日責了。カバーは、薄い紫色。初版と区別できる。                                                  チラシができた。6月20日、クラーラ・ツェトキーンの没後85年の日付で陽の目を見る予定である。

山川菊栄研究との同時進行、女性労働問題研究会の新体制準備のまたっだなか、それに町会の役員や、市の男女共同参画センターへの市民枠公募参加者としての仕事も始まって、スケジュールをどうこなすか、70歳代最後の1年の仕事としてはもう不足はない。

今年やらなければもうできないだろうという思いもある。そういうことを寄せ集めて、毎日が過ぎていく。                                                                                         そうこうしているうちに、我が家のフー吉が23歳を迎えた。今年に入って自分の定位置を自分で次々と変えている。

居間のテレビの下に陣取っていたはずが、今は洗面所の前のマットの上に寝て居て、いつもしっぽを踏まれて「ニャン」と言って抗議する。

老いの進行は彼が先輩であり、まず、歯がなくなり(まだ少しあるが)、後ろ足が曲がり、外へ出る関心が失せ、耳も聞こえなくなったようだ。目はよく見えている。嗅覚もおとろえていないらしい。食欲はある。自分の餌より、人間が食べているものに関心を示し、じっと座って私たちの目を見て「食べたい」と意思表示する。好物は、スモークサーモンと、まぐろの中落ちである。

自分のトイレにはちゃんと向かうが、前足2本だけ入れて失敬していることが多くなった。                                  かわいらしさは変わらない。そのことが、この猫の使用価値である。

彼は我が家に生後2か月で来た時には、ミシガン州から来た先輩猫がおり、一時はラオスから来た若い猫と3匹でにぎわっていた。4年前、2匹が次々逝って一人っ子となり、独占的にかわいがられているということを実感して安心しきっている。                       いつまで一緒に暮らせるかわからない。

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| 近況 | 01:08 | - | - |
Read the Past, See the Future(国立国会図書館)

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最近、国立国会図書館にたてつづけに2回行った。

どうしても、恩師新川士郎先生の1962年の学位論文を確認したかったのだ。師が私を招いたのだ。

先生はILOの研究をやられており、原稿用紙に青インクで手書きの論文を北海道大学に出されたが、出版はなさらなかった。

1994年、先生が亡くなった時、追悼文集に、せめてタイトルページでも入れようと、東京在住の教え子たちが考えて、国立国会図書館に収められている原論文を検索した。その時は上野分館にあったが、今回は関西館にあるというので、取り寄せてもらった。       国会図書館から丁寧に「用意が出来ました」というメールが来た。閲覧日は、19,21,22の3日だけ。

19日は「5.19国会前集会」の日だ!

タイトル「国際社会政策の根本問題:国際社会政策に於ける普遍性原則と三者構成原則との展開過程に関する一研究」請求記号UT51-55-M3529.

なつかしかった。大体コピーもないような時代だから何部か、ゼミの院生や学生が手分けして書き写したのだ。私の字もあった。

目当てのところを大急ぎで読んで、引用すべきところだけ書き写した。

思い出してばかりいる暇もない。早く終えて、外でやっている議員会館前集会に参加しようと思ったがそう簡単には終わらず、外に出た時は国会図書館前まではみ出していた参加者はみんな引き上げたあとだった。

 

上の写真は、国立国会図書館70周年のロゴマークと標語だという。いい言葉だ。

もっとも、Yが何度も行き、私も2003年に一度覗いた「アメリカ合衆国国立公文書館」の標語は「民主主義はここからスタートする」(Democracy Starts Here)だったけどー。これも素晴らしい!

 

今の研究に、神奈川県立図書館や、大原社会問題研究所を利用していたが、もっと早く国会図書館を利用すべきだった。

クラーラ・ツェトキーンのときは、1970年代終わりから、30年以上かけて、ベルリン、ライプツィヒ、シュツットガルト、ボン、チュービンゲン、チューリヒ、アムステルダム、モスクワ、ワシントン、ニューヨーク、ウイスコンシン、メリーランドその他USAの図書館に行っていたのに、今、日本人の山川菊栄を研究対象としているというのに、うかつだった。

クラーラの増補版はいよいよ今週最後をむかえ、6月中には陽の目を見るだろう。菊栄もあと1か月ぐらいで手をはなれる。

その間もっと国会図書館の利用を考えよう。いつでもそう思うけれど、大きな図書館は私にとって、何物にもましてSchatzkammerである。

 

 

| 近況 | 01:46 | - | - |
クラーラ増補改訂版「全ゲラ在中」のやりとり!

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5月に入り、4月24日からはじまったこの仕事を最初に終えなければならなかった。何しろ二つのテーマが重なったので、後送りにした方も気が気でないけれど、こちらの仕事を優先しなければならないことは迷う余地もなかった。                 

そもそも昨年12月7日のドレスデンの真夜中の電話に端を発した、本当に有難い仕事だったからー。                       

ここまでくるのに丁度5カ月かかかった。

私が最初の訂正・加筆・増補原稿を出版社に手渡したのが国際女性デーの3月8日、それが印刷されて最初のゲラが編集部に届いたのが4月10日、編集部の内校後のゲラが送られてきたのが4月24日だった。

希望とスリルに満ちた日々だったともいえばいえる。無我夢中。気が遠くなりそうなドイツ語文献のスペルと、人名索引のチェックは、いつものことだが、人(いや私)の能力を超えていると思わざるを得なかった。もう50年以上もそう思い、そう云っている!

誤植や思い違いを直し、補章に新しいことを付け加えることができたのは本当に有難かった。

こういう仕事をやり続けていけることに感謝!私は生きていると思える。院生教育が主な仕事の時もそう思えた。          

もう55年もそういう仕事をやってきたが、すでに次の仕事が私を待っている。いつまでかな?

それは誰にもわからない。

ただ、この仕事終えたおかげで、とにかく今日の5.3憲法集会に行くことができた。このことにも感謝!

 

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| 近況 | 19:06 | - | - |
2018年度が始まり4月が終わりにちかづいた。

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自由の身になって10年目の4月もだいぶ経ったが、この10年の総決算にふさわしい日々を過ごしている。

花々が一斉に咲きみだれ、書庫に入るのも寒くはない絶好の季節である。

この月、私は、菊栄の6章までを、D出版社の編集者に戻し、クラーラの「増補改訂版」(O出版社がそう呼んでいる)の全ゲラを点検しなければならない。膨大な全ゲラが、今日届きいよいよ実現に近づいている感覚が高まった。こういうことは、私の人生にこれまでもなかったし、もう2度とあることではない!

それに、市の公募市民枠での男女共同参画推進会議の「参加者」になって、26日までにべらぼうな分量の報告書等を読まねばならない。

町会の総会は22日に終わり、1年間、だから町会の仕事がどのように回ってくるかを知った。今年は「いろんな行事」から逃れられない。

 

「アベ政治を許さない」の声、「Me too」「With You」の叫びはかってないほどにたかまり、今や最低、毎週の「金八デモ」や毎月の「No War 八王子アクション」をさぼるなんて考えられない。「今だ!」「今こそ!」ではないか。

 

けれども体だって鍛えなければー。14年目に入った毎週の「太極拳」や「背骨コンディショニング」だって、やめることはあり得ない。実はすでに週2回をさすがに週1回に落としはしたがー。それで「水中ウォーク」をやることができないでいるのが気になる。「太極拳」をやるより前からやっていたというのにー。傾聴ボラは、心苦しいが月1回にしてもらおう。ごめん、○○シルバーハウスのみなさん!

その他、その他・・・・・。「くらし、平和、環境 八王子学術文化の会」運営委員・・・この4月、第5回バスツァーで五日市憲法が発見された土蔵に行った。奥多摩を散策しなつかしかった。

 

Yに、Yの書斎コーナーを借りた。彼は階下に、5年前に私と交代した10畳の書斎があるのだから・・・・。                       そういえばこの4月Yとの結婚52周年が過ぎていった!何もしなかった。みんな忘れていた。

かなりのページ数になるはずの「菊栄」と、増補して1027ページをさらに超えたクラーラの点検を同じ書斎コーナーで、同時進行やったら、どういうことになるか目に見えている。

2か所と書庫を行き来し、1年中で最も優しい季節であることに感謝している。こういう日々を過ごせていることに感謝している。

 

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| 近況 | 22:02 | - | - |
自由の身になって9年が終り10年目に入った!

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自由を得て(ということは給料のための労働から解放されて)、あっという間に10回目の桜が咲く季節を迎えた。

9年が過ぎ去ったのだ。10年を一区切りにしようと思っているから、それまでには今日からあと1年ある。

まあ、自分の研究については、ほぼ当初計画通りにすぎている。急旋回しているのは社会情勢の方である。

 

2009年に衆議院選挙で民主党が政権を得たと思ったら、そのさなかに、2011年3.11が起きた。

2012年には、自民・公明政権となり、2013年には秘密保護法強行採決、2014年には衆院選挙で自民・公明が3分の2を突破。2015年に戦争法強行採決、2016年には安倍内閣の集団的自衛権容認の「閣議決定」、2017年共謀法強行成立・・・・・

そして、改憲、モリカケである。

 

そういう流れのおかげで、この10年、予期せぬ展開がいくつかあった。それは、八王子市民としての自覚・行動が強まったということである。

その前から続く研究、趣味としての太極拳とスポーツクラブ通いは直線的にあいかわらず続いている。

 

・退職後新たにやろうとして準備したことは、傾聴ボランティアだった。1年の準備期間を経て、今年度で9年目に入る。

・最初は地域活動が大事と、里山ボランテイアもやっていた。上に書いた情勢の変化の中で、新たな市民運動が大きな比重を以て襲い掛かって来た。3.11がなにしろ、その起点だった。最初は毎週金曜日の官邸前デモ、それから反原発金八デモに転じて、もう200回以上になる。岩手、福島、チェルノブイリまで行った。

・次に2016年1月の八王子市長選挙に五十嵐仁氏が、市民連合の統一候補として立つことになり、2015年の終わりから八王子の学術・文化人が応援することになった。あの経験こそ決定的だった。その中で、宮澤賢治ひとり語りの林洋子さんを知ったのだった。ごいっしょに街頭演説までやった。選挙の後、「平和・くらし・環境 八王子学術文化の会」をつくって、洋子さんは副代表に、私は運営委員になった。彼女は魔女。私も魔女修行をして「魔女会」をしばしばやった。彼女の影響を多分に受けている。

・選挙のプロジェクトの共同代表だった橋本良仁さんと親しくなった。このことで、 JSA八王子科学フォーラムが再開され、私は世話人となった。

・毎月NO War八王子アクションがもたれ、ここでも演説する機会があり、街頭演説のむつかしさに今も悩まされている。

・八王子市政100年で、「八王子市歌」のジェンダーと平和の問題にぶつかり(北原白秋、山田耕筰作曲、1936年)、「市歌を考える会」に自ら飛び込み、「八王子手をつなぐ女性の会」の会員にもなった。そのながれで、八王子市の男女共同参画施策推進会議に公募市民枠で参加することになったのである。もとより、足元からの実践抜きに空回りの議論をしたくないという私の思いからではあるが・・・・。これをやらないと女性問題の研究者として何もわからなことになるのではないかと―。

 

3月31日から4月1日、菊栄の、原稿の最終調整をやって過ごした。第2章までー。4月1杯に第6章、5月の終わりに第10章・終章・付属物まですべてを最終原稿で出すことになっている。

そればかりではない。今週の終わりに、クラーラのあの恐ろしくも嬉しいゲラが降りてくるはずだ。

想像のつかない多忙さが待っている! それにこの情勢だ! 3000万人署名は私の目標まで行っていない。

 

解放された10年目を、こういう状態で迎える。有難いことである。

何でこういうことをしなければならないのかということも多いけれども、やれることはやらなければならない。

まあ、10年が終るには、あと1年! この1年に掛けることは多い。

いつまでもこういう状態を続けることができるとは限らないからー。11年目の事は1年後までに熟成してくるはずだ。

 

 

| 近況 | 00:55 | - | - |
ちょっとしたインターヴアル

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家も築36年ともなれば、このとおり。何度目かの修復中。今回は主に屋根(2度目)。あと10年くらい住める程度でいいからと、安くしていただいたが、この10年が曲者。予測もたたないことをきちんと考える時間を持たないのでテキトーである。

 

3月8日に、出版社にクラーラ関係をもろもろ提出してきて以来、3月24日に、菊栄関係が本格化するまで2週間余り、毎年家計関係を見直す確定申告の締め切りをはさんで、稀に見るインターバルである。その合間に書斎コーナー、書庫を、次の仕事がしやすくなるように片付けている。2階の書斎コーナーに運んだクラーラ関係の資料を何度にもわたって1回の書庫に運び、次の仕事に備えないと、もうメチャクチャでお手上げである。もう何日もやったが、まだ終わらない。手のつけようもないという感じだがー。

 

 

今日は、3.18第32回 No War 八王子アクション。3分間スピーチ(分野:女性問題)が当たっていた。次の事を云おうと思ったが(約1000字)、3分は瞬く間に過ぎるので、飛ばしたり、忘れたりではあったが、とにかく言うつもりだったことを書いておく。

 

3月は、ビキニデー、東京大空襲、3.11その他忘れてはならない歴史的大事件が起っている月ですが、3月8日が1977年に「国連の日」となった「国際女性デー」であることを御存じの方も多いでしょう。戦後3月8日から1946年に女性が初めて選挙権を行使した4月10日を結んで、日本の女性は、民・官両側から、男女平等や平和のための多くの行事が行われてきました。

今日の3.18八王子アクションは、この3月に行われるわけですから、私は「国際女性デー」と結びを付けてお話したいと思います。

今年3月8日には、アントニオ・グテーレス国連事務局長が国連広報センターを通じてメッセージを発し、世界中の主要メディアにもこの日への注目を寄稿しており、各国で女性が行動を起こしています。その3月8日、八王子では女性の行動は特になかったと思いますが、東京レベルで見てもいくつかの大きな催しがあり。東京では、長い伝統を持つ「国際女性デー中央大会」や、昨年から始まった「ウイメンズマーチ」、女性に関する二つの法改正(夫婦別姓、政治参画)についての国会内集会、他にも中小の集会がもたれています。

日本の特徴は、メインスローガンが、「改憲ストップ!核兵器をなくそう」「戦争ではなく平和を」だったり「武器よりごはんを」だったりで、サブスローガンが、女性問題を含むあらゆる領域にまたがる特徴があり、また、「日本政府への決議案」等をみても、日本国憲法を遵守し、平和でいのちとくらしを守る政治が、ジェンダー平等実現とともに、数10項目にわたり読み上げるだけで、3分を優に超えます。今国際的に起こっている、セクハラやDVに対するMe too(私も)、タイムズ・アップ(もう終わりにしよう)、ゼロ・トレランスの運動等女性固有の要求に加えて、No War 八王子アクションで毎回読み上げられるアピールの内容が丸ごと入っていると言っても過言ではありません。

私は、国際女性デー史を研究テーマとしているものですが、日本の歴史においても、1923年に第一回の催しがもたれた時、無権利だった女性は官憲によって蹴散らされ、それ以降戦前においては、非合法化にあり、戦後においても、GHQの占領政策の転換の中で、中止に追い込まれるなど、女性の人権の要求・尊重は、「改憲ストップ!核兵器をなくそう」「戦争ではなく平和を」と深く結びついており、来年3月ももしNo Warアクションがもたれるときは、「国際女性デー」のマーチと合同でやりたいという思いがあります。いかがでしょうか。

 

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| 近況 | 21:34 | - | - |
2018年の国際女性デーに、出版社に一式もちこんで−

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我が家に、36年前に引っ越してくるその前からあった梅の木が白い花をつけている。3月8日国際女性デー。

この日の名称「国際女性デー」は、私の研究の二つ目のキーワードともなって、クラーラ・ツェトキーン研究と深く結びついている。

今年の3月8日を、増補版のまえがきの日付としたいと思ったため、どうしても、昨年12月19日から手掛けた仕事をこの日に終えなければなかった。3か月弱だけれど、本当は気が遠くなるような日々だった。1027頁余りの本に、300枚ほど付箋を挟んだ。付箋は当初もっとついていたが、一つ一つ解決しながら、はずしていって、なおかつ残ったものの数がそれだからたまったものではない。公のものでは、社会政策学会学術賞の選考の理由、8本の書評だが、私的には、数十通のメールや手紙・葉書によるご意見、疑問、そしてもっとも内輪では、親友:故坂西雅子氏のたれもが気が付かないような細かな指摘があった。 

          

「研究って何?」。「学術賞って何?」。50年の歳月+5年って何?

 

あいにくなことに、3月8日は朝から雨が降っていた。出版社で社長とKさんとに会った。あの出版社は、いい研究書を出すことが心底好きなんだなと思った。まあ、私もこの気の遠くなる仕事が本当は好きなのだ。クラーラ・ツェトキーンをやっていて、日本で最初の国際女性デーを挙行した山川菊栄研究にバトンタッチし、二人の女性は1933年と、1980年に没したが、二人が世界と日本でかかわった、国際女性デーは、1977年に国連の日となって歴史の中をどこまでも流れていく川となった。人は死ぬけれど、国際女性デーは人の寿命と関係なく歴史の中を進んでいく。しかもアメリカ社会党ー第二インターーロシア革命ーコミンテルンとその各国支部―国連―各種フェミニズム・市民運動などが関わって、大河となって、さまざまな女性の進歩を飲み込んで、地球上ひろがっていく。

 

国連に繋がったのが決定的だった。私はそのことを非常に意味あることと考えている。地球上での一段と規模をひろげた国際女性デーはインターネットの検索でももはや追いつかない。

今年の国際女性デーも、国連事務総長アントニオ・グテーレスがメッセージを出した。UN WOMENも早くから広報につとめている。東京では、ひとつは、戦後1947年から紆余曲折を経ながら続く国際女性デー中央大会実行委員会が、中央大会をもち(私はこれに出た)、ひとつは、二度目になる東京ウィメンズマーチを国連大学ー渋谷で実施した。前者には600名、後者には750名が集まったと主催者は報告している。「中央大会とは何か?」。何の中央?

 

この種の催しと、女性団体の関係についても、私は、2003年に『国際女性デーは大河のように』を出したときから(それ以前から)ずっと関心があった。あの本をだしてからもう15年になる。K出版社から出したので、この本のことも話題になった。

 

この日、ドイツのマルガ・フォイクトさんから「国際女性デーおめでとう」のメールが入った。

 

新しい運動の形式と従来の伝統的やりかたとの接点はどうするのかとか、いろいろ考えなくてはならないことがつきつけられる。

私の最後のテーマはもう予測されている。

 

 

 

 

| 近況 | 02:50 | - | - |
2018年度「八王子男女共同参画施策推進会議」公募市民募集に応募して

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JR八王子駅前北口から5分、この建物「クリエートホール」の8階に、八王子市市民活動推進部男女共同参画課八王子市男女共同参画センターがある。八王子市は、「八王子市男女共同参画都市宣言」や「男女が共に生きるまち八王子プラン」を策定し、その進捗状況や見直しに、「八王子男女共同参画施策推進会議」(学識者6名以内、公募市民4名以内)を構成して意見を徴収している。今年度の募集要項は、2月2日締め切りで「私の考える男女共同参画について」と題する800字以内の小論文提出で、一次選考書類選考が行われ、通過したものに2次選考のための面接を行うという手順であった。1次選考で出した800字の小論文は下記のとおりである。

 

                   私の考える男女共同参画について           伊藤セツ

 「男女共同参画」とは、1999年に制定された「男女共同参画社会基本法」にあるとおり、男女が互いに人権を尊重しつつ、能力を十分に発揮できる社会参画のことと考えます。その根拠は、日本国憲法第13条と第24条の規定を根底に置くものです。私は日本で女性が初めて参政権を持った総選挙(1946年6月)に、母が投票に出かける時、小学校2年生で、母と一緒に投票場まで行ったことを鮮明に覚えています。子ども心にも、新しい社会を生きることになった母の明るい様子が伝わって来ました。

 しかし、日本は戦後73年にならんとする今日でも、男女平等格差が先進国の中でも著しく大きく、その解消には、「男女共同参画」を上からのスローガンとしてではなく、まず男女個々人が、個人の尊厳と両性の本質的平等を自らのこととして明確に自覚して、家庭生活、職業生活、地域生活の場で、国や地方自治体の行政と一体となって歩調を合わせ、あるいは様々な場での当事者として発言していくことが必要と考えています。

 理想は、国連が掲げる完全な男女平等50/50 Planetではありますが、まず足元の私たちが住んでいる地域、自治体からの行動が大切と思います。私は八王子市民となって36年になり、子ども3人を、八王子市の小・中学校に入れ、高校は2人を学区内都立高校に入れて成人させました。しかしこの間、私がずっと他市に勤務していたため、70歳で定年になるまで八王子市民という自覚もあまりなかったのです。今、後期高齢者となって、遅ればせながら、男女共同参画に関する「男女が共に生きるまち八王子プラン」策定や評価にも関心が及ぶようになり、地に着いた、自分が住む自治体での、ライフステージのすべての段階に及ぶ可能な「男女共同参画」の実現とは何かを学びたいと考えております。

 

この小論で、一次選考を通過した私は、2018年2月23日13時〜30分、面接を受けるため、クリエートホール8階へ向かった。別のエレベーターでまた一階まで降りたところに面接室があった。男性を真ん中に両側女性の3人が面接員だった。こういう面接は私も何回も受けたが、最初の1963年「道教委」の教員採用試験、その翌年札幌K高校非常勤講師採用面接、1988年夏昭和女子大学採用時の学長・学監・教務部長面接が忘れられない。私が面接する側に立った経験は数え切れなく、学生・院生・留学生の入試、教員採用の面接等、年平均5回としても40年間で合計200回もやったと思う。

私が受ける面接は多分今回が人生最後の面接だろうと思うとなんだか愉快になって来た。

 

まず氏名、応募動機に続いて、女性の経済的自立、職業継続の支援方策、男性の育児休業、男女役割分業意識、DV、男女が共に生きるまち八王子プランをどう思うか、今地域でやっている活動は? ボランティア、女性団体の委員等をやっているかなど3人の面接員から10分ぐらいずつ聴かれた。応募動機のもともとは、「八王子手をつなぐ女性の会」のメンバーから勧められたからである。その他は自説を述べた。

 

八王子幽霊市民だった私は八王子市にあまりなじみがなく、有名でもないので、八王子市から講師料を頂く講演はこれまで3回やっているだけで、行政にはいっさい関わったことはない。

また、これまで、公的委員は、都立立川短大時代に立川市地域文化振興財団評議員、東京都の公衆浴場某(入浴料決定のための委員で名前を忘れた)委員、昭和女子大時代を通じて、国に関してはNWEC(国立女性教育会館:文科省管轄)のシソーラス策定委員、国際家族年委員、女性研究者ネットワーク支援プロジェクト委員、総務省の社会生活基本調査の非公式見解を述べる委員、学術振興会の科研費審査員、大学評価委員等、正式名称も忘れたその他委員をいくつかやった経験があるが、私は他の同業者と較べれば、公的委員の経験が少ない方である。これらの委員はすべて上からの指名なのに対して、今回ははじめての、市民としての公募応募だった。そのことが、興味津々で新鮮だった。

3月1日、合格通知が届いた。ああよかった。年10回、この4月から2年間の「参加者」(*委員ではなく参加者と呼ぶそうです:2018.3.28修正追加)となった。この経験はきっと私の研究に新たな視点を入れてくれるだろう。

| 近況 | 01:47 | - | - |
最後のあがきが長く続く!あと少し!あと少し!

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2月も終わりの日である。せめてこの日に完成させようと思った。しかし、問題が発生し、なかなか解決できない。

深夜、階下の書庫にもぐりこむ。寒い。長時間探してもここには目的物がみあたらない。次に、元書斎としていて私が使っていた、庭に面した和室、今は改築して一部書庫にしてYがたてこもっている場所、引き戸式3段の一番奥までさがす。引き戸式書棚の上から本が引っかかってばらばら頭に落ちてくる。Yの本だ。我が家に、断捨離だの生前整理という言葉はほとんど当てはまらない。

今回のようなことが起きることを予測して、頭が確かな限りは、50年以上前のものも、すぐ取り出せるようにしておかなければならないからだ。

どういうものを、探すはめになっているか、二つ書いておこう(もっと、もっとあるがー)。

 

一つは、約900ページに及ぶ本文であるが、私は本文は、完璧に引用注を付けてトレース可能にしていたはずが、何と肝心なローザからクラーラの手紙の一つに全くそれがついていないなどということが判明した。おまけに、それは、ローザ手紙集の5巻にある筈なのに、そのコピーのファイルが見当たらないのである。2月も終わり。今日という今日、意を決してついに探しあてた。その安堵感と言ったら・・・・

 

二つは、文献目録である。クラーラの女性問題に関する論稿のリストを巻末に載せたが、Gleichheitや他の雑誌に書いたものは、極めて煩雑で、連載の場合、名称は同じでも、連番と掲載号、ページ、年月日がきちんと対応しているかの確認は、殆ど気が遠くなる思いがするものだが、それを間違えているのである。これらは、著者は直感でおかしいと分かる。それが、書庫にあるとはかぎらない。遠き日にベルリンやライプツィヒのアルヒーフで書き写してきたものだったりすると、絶望的になるが、古いメモや、研究日誌をてらしあわせて、何とか、完璧でないまでも、正確な範囲に近づくことができる。しかし、できないことだってあるかもしれないのだ!

 

もう書きたくない。書庫の中で1980年代初頭の、ドイツ、オランダでのことをいろいろ思い出して、もう二度とあの頃に戻れないことを云い聞かせて、・・・しかし、思い出に浸るのはまだ早い!

索引に至っては、特に人名索引はお手上げなのだ。基準を決める。最初カタカナ、次原語、それから生年と没年、カタカナだけで失礼という場合もあり得る。どういうときになぜ?「力及ばずでした」というのが本音である。

 

それらにくらべれば、年譜・年表は、意外にもまだましだった。

 

こうして、私は今、この作業の終わりに向かって最後のあがきをやっている。あとひとがんばりしよう。

ぼやけた写真ですみません。

 

 

 

 

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