伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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増補版準備の過程で想うこと

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東京の冬は空が美しい。遠くの山並みも見える。この頃青梅方面の山並みがとても気に入っている。

 

訂正増補版に取り組んで今日は丁度2ヶ月。仕事は一日中、何処にもいかない日にはかどり、そうでない日は一つの気づきでも、一つの解決でもよしとすると思うことにする。雪で「金八」が2度中止になったり、特養老人ホームから「インフルが流行中なので傾聴ボラは中止」と連絡が入って、はかどる日が増えていた。しかし、この間、ずっと首が正常でないし、フー吉も気がかりな状態である。それに家の屋根がどうした、水道がもれている、シャワーが壊れたその他その他時間がとられる日常がある。

 

そんな時また、師の別な言葉を思い出す。「あまり完璧を求めてはならない」と。

師というものは、何て有難いことをいうものだろう。なるほど、今のようなとき、完璧を求めすぎると、何もできなくなるのだ。

まあ、私が都合のよいように解釈しているのであろうけど。

 

これまで、何もできない日でも、一語でも、一行でも前に進めないと寝ないというスローガンでやって来た。

今は、これにいくつも加わるものがある。

どうしても行き詰まって進めない時は、放置して時を待つ。とか、意外な発見のおもしろさに出くわすことを期待して進めよう。とか。そうすれば、するすると進むときもある。

また、今はもうここまででよい。不足と感じる部分は、この先の研究にひきつがせようとか、私は私だから批判を全部受け入れて応えなくてもよい。拝聴だけはさせていただこう。とか・・・・・ むきにならずに手を緩めること悪くもない。とか・・・

まあ、これ以上全部書くことも無かろう。大いに頑張っても「完璧」という域に達するには時間の経過も必要なのだ。

ついこのあいだ、95歳までの「これから」を考えたのだから、時間は無いようでも、有るのかもしれない。

 

しかし、30分くらい経ったかなと思って時計をみると、1時間以上かかっていることがしばしばだ。時間の感覚もにぶってきたか!

とにかく、訂正増補版の「これくらいにしておこう」の「時」は近づきはしているものの、さらなる不十分さの量はますます増える思いがする。

 

この山並みの美しい季節にひとつの仕事は区切りがつくだろう。

 

| 近況 | 01:17 | - | - |
日本科学者会議東京支部女性研究者の集いでの講演からー今後の研究計画

 

2月10日、この集会で「私の研究史―これまで、今、これから」という題での講演をした。その際、「これまで」と「今」についてはいいとして、「これから」の研究を事を考える機会を得た。「これから」ということは、とりもなおさず私の80歳代以降の研究計画をどう考えているかということである。丁度70歳代の終わりの「今年」に、私は2つの仕事を発表する予定であるが、その先のことである。

 

クラーラの増補版の為に、「補章」を書いている過程で、徐々にそれが具体化してきている。それは、前著に寄せられた書評における批判と問題点の指摘の中から具体的に姿を現してきた。また、自分がよく知っている自分に欠落しているものを補う必要を強く感じている。

そのことについて、講演では次のようなことを云った。    
                                                                                           
 第一に、大学院時代に、新川教授が私に言った言葉通り、「クラーラ・ツェトキーンと心中する」を継続する。つまり、私が生きている限り、新しい情報をキャッチして、変化する社会の中でのクラーラの位置の動きを追い続ける。クラーラ没後90年=2023(私84歳)、 クラーラ生誕170年=2027年(私88歳)、 クラーラ生誕175年=2032年(私93歳)、クラーラ没後100年= 2033年(私94歳)、クラーラ生誕180年=2037年(私98歳)・・・におけるドイツでの動きを把握し、執拗に紹介、発信し続ける。これをライフワーク(=心中)とする。私がどこまで行って終るかはわからない。しかし、その中で、現実の女性問題との繋がりを掘り下げることである。私は過去の理論との断絶を探すやり方はとらない。
                        
 第二に、すでに書いてきた国際女性デーの歴史を新しい情勢に対応させて書き続けるということである。つまり、国際女性デー110年=2020年(私81歳:これからではこれは時間的に間に合わない!)、国際女性デー120年=2030年(私91歳)・・・どうしよう!無理に近い。それより、日本で国際女性デーを始めた1923年から日本での100年なら2023年(私84歳)可能性がある。山川菊栄研究で日本の女性デーについては、この間かなり追ってきているので、まとめることができそうである。国際女性デーは、大河のように流れていくから、すでに今世紀に入っても新しい解釈や伝説が加わっている。面白いではないか。アメリカ社会党、第二インターナショナル、クラーラ・ツェトキーンに起源をもつこの日の、新たな歴史の中での蛇行と増幅を私のやり方で追いかけて検証していきたい。
                                             
 第三に、退職後考え始めた「非労働力と地域」の問題と、かっての私の「生活・女性問題をとらえる視点」を結び付けて、80歳代を含めた、80歳にならなけれなわからない当事者視点での「女性・生活問題をとらえる視点」を再考することである。その際、私が非労働力人口の仲間入りをした後の、地域活動(町内会含む)・傾聴ボランティア・市民運動(地域での市民連合の諸経験加)への参加XX年の経験から、(生涯家計費・生涯生活時間・住み処・孤独と連帯・人間の尊厳と貧困・人間の安全保障、ここに未来社会論を含めて、これまでの理論的総括を書くことである。80歳代を生きる「一介の市民」の当事者視点でなければ、かつおこがましいが私でなければ誰も書けない両性の生活問題の理論を書きたい。
その際、この三つの柱をつうじて、すべてこれまでの私への批判論点に答えて、私の理論的弱点を補って、現状の改革から、未来社会への展望を考察したい私は、このことこそ、「クラーラと心中せよ」と言われた師の言葉の真意であり、それがライフワークなのだと思える。

しかし、加齢による諸問題の発生は突発的で、予期せぬ身体的不具合が理由なしに起こり得るだろう。判断が難しいが、その時はその時!

上のプランを示す表は、講演でスライドだけで示し、配布資料には入れなかったものである。

 

Ora Orade Shitori egumo

 

| 近況 | 00:25 | - | - |
今日は70歳代最後の誕生日

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   今日は誕生日。ブログを書くときこれまで誕生日にたまたま書いていたとしても、殆ど意識したことはなかったのに、昨年ぐらいから意識し出すようになった。

 そう、今日は79歳の誕生日。70代最期の誕生日。なんとこの写真の作業の真っ最中。丁度4年1カ月前、クラーラ・ツェトキーンのこの本が世に出た後に、正誤表をとりあえずこのブログに公表するまで数か月おちおち眠られぬ夜を過ごしたものだった。こういうことは決して初めてではない(1984年の本の時に嫌というほど経験あり!あの時は、約500頁。7校までプロの校閲者と首っ引きで校正したはずなのにであった)ので、「まあこういうものだろう」と予期しなかったわけではなかった。今回は1000頁を超えたからあの時の2倍以上はあってもしかたないと覚悟していたはずだった。

 

 昨年、故人となられた宮澤賢治研究者の原 子朗氏が、『新宮澤賢治語彙辞典』(私の本と同じくらいの厚さだった)を旧版から10年を経て1999年に出されたときの「序」に次のような文言がある。「思えば旧版発行の翌日から、私は不眠症に襲われ・・・・。項目の説明の不備、不適切、錯誤、等々への不満足がしだいに募り・・・」云々。原氏のは語彙辞典であるから、私の伝記的叙述とは異なるジャンルではあるが、私自身、本文の目を疑うような誤記、不統一、転換ミス、人名索引の不十分さには、言葉を失った。高校・大学・その後ずっと親友の故坂西雅子さんが、あのときは元気で「内容は面白い」と旧スピードで読み切って、毎晩、メールや電話で、不具合な箇所を知らせてよこし、私は彼女に励まされて、立場逆転で正誤表を作ったものだった。彼女のどこにあの能力が潜んで居たのだろう。あれから4年あまり、そして彼女が世を去ったのは2015年の春。今回の増補版には彼女への謝辞を何よりも書かなければならない。お誕生日には必ずカードを交わしていた。より高く生きようと高校時代から励まし合った。私は生きている。そして、どん底に落ちた思いの不備を彼女の力を借りて訂正し、この4年の動向を加筆する機会を得たのだ。あの時いただいたたくさんのメール、書評、をもう一度心を平らにして読み返してみよう。

 

 それでまた、私は、黙々と作業をし、いろいろ気付き、付箋の数が増え、補章の案を練っている。それはまた心はずむことでもある。この作業が本当に結果として世に出てくれたとしたら何て有難いことだろう。このことに関しては何事も起こらずそうあってほしい。

 定年退職後9年がもうすぐ終わる。70代最期の年には、年度が改まると、町内会の区長(班長ではない)の役が回ってくる。地域・市民運動とはまた異なる町内会をもっと知る必要があると思っていたので、自発的とは言えないがおそるおそるやってみよう。Yではなく私の名前で登録した。いろいろな意味で大事な1年にまた新しい友人もでき、何かが起こるだろう。楽しみなことである。

 

| 近況 | 00:05 | - | - |
本文「付属物」の美学にあこがれて

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ドイツ語の学術書を開くだけでほれぼれする。アルヒーフ検索の銘記、落ちのない略語の提示、整然と並べられた文献リスト、そして索引。 索引のついていない多少とも専門的本は、最近は日本でも減ってきてはいるが、人名索引、事項作員、地名索引を見やすく、詳細に分けた索引を持つ本は、学術書でもあまり多くはない。それに私の関係のものでは年譜・年表が不可欠となる。私は特に年譜と年表に凝っている。

 

私は5年前、ドイツの本を上回るような、きちんとした本を出したいと思った。

しかし、できなかった。1984年に出版した学位申請論文より、5年前の本は一段上回ったものにはなったが、とても満足できるものではなかった。もっとも基礎的なところ、かつ許されない大事な箇所で、あまりにも単純明白な間違い、誤植、不統一が目について、それこそ、刊行本を手にした瞬間から、後悔におそわれて、耐えられない思いをしたのである。その時、今は亡き親友が先頭に立って私を激励し、その恐るべきエネルギーに支えられて正誤表づくりに数か月をあてた。

 

それなのに、その本は、もちろん正誤表を前提としてではあろうが(ブログに正誤表を公表して、何とか読者に被害が及ぶのを最小にくいとめる努力をした)、丁度出版後半年で「2013年第20回社会政策学会学術賞」を頂くこととなった。有難いことであった。

1984年の時も、同じようなことでやはり気も狂わんばかりの半年後に学位を頂くこととなった。 でもこの本の場合は、2年後に2刷りがでたのでどれだけホッとしたかわからない。

 

2013年の本は、ずっと心収まらぬ日々を過ごして、よくも、本文のみならず、付属物、特に索引などにこだわった本をだしたいと、生意気なことを思ったものだと、自分の甘さ、傲慢さを深く反省した。

 

今、5年ぶりに、正誤表を組み込んで、5年後の新しい進展も入れて新しい本にする機会が訪れた。

この機会が与えられたことに感謝しながら、当然また苦しんでいる。苦しまずには何物も生まれないことは経験済みではあるけれどー。

人名索引がもっとも難航する。片仮名書きに原語を入れて、生年・没年を書き込もうという試みをすべての人名に及ぼすことができず、中途半端なのである。無謀な試みだと知りながら、可能なところまで追ってみようという思いは捨てられない。ドイツ一国の人名ではないのだ。

時期的に第1から第3インターナショナルを扱っているのだから横のひろがりをみても、時間的長さを考慮しても当然である。          きちんとした限定のルールを明示して、やれるところまでやってみようと重い本を広げ、小さな文字の人名辞典を追っていく。          地名索引を分離・独立させるという「やり方」のおかげで、地名も目立つようになり、その地を踏んでいない場合、たじろいでしまう。だからできるだけ、これまでその地名の場所には行くように計画し、現にその場にこの足で立とうと努力した。しかし、当然ながら全部というわけにはいかない。行かなかったところの地名を索引に入れてはならないという規則などあるわけはないから割り切るしかない。

 

2013年にこの本を出してから、Die Gleichiheit の全巻のコピーを手放しただけで、他の資料は全部まだ手元にある。

Die Gleichiheit の場合も、重要な部分のコピー、それに関するメモは別に分けておいてあるので問題はない。

 

気の抜けない、緊張の毎日が続いているが、それは私にとってかけがいのないすばらしい時間なのだ。

そしてまた今更ながら多くを発見して、研究の底なし沼の恐れをいやというほ味わわされている。

この「恐れ」こそ貴重なものではないだろうか。

 

| 近況 | 00:44 | - | - |
2018年を迎える:私の70代最後の年!

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初日の出を、ここ山梨県北杜市の会員制ホテルで、集まれる家族が集まって迎えるということをやりはじめたのが2009年、私たちが3月で定年をむかえる年のことであった。今年で丁度10回目である。今年は5年ぶりに11人集まった。現職にある時は、夫婦2人で、元旦が、U.S.Aだったり、フランスだったり、インドだったり、ドイツに向かう飛行機の中だったりしたこともある。             

 

今年の秋までに定年後10年で、私は2冊目の本を出す予定だった。その原稿は完成稿とは言えないまでも、編集者に示すべく私の手を離れていた。ところが、前回のブログに書いたようなことが起きた。12月7日、ドレスデンのホテルにかかってきた真夜中の電話である。準備期間は年度内まで伸ばしていただいた。あの本についての思いは、あのままでは死ぬにも死ねないというたぐいのものであった。

 

まず、正誤表を本文に埋め込んで修正する、それが第一、出版後思い残したことを追跡した点・社会政策学会学術賞受賞の時の評価やこれまで主に7つの書評で指摘された点・ドイツでのその後の研究の動向をとりこむこと、これを補章として付すというのが第二である。    こうまとめればたった二つでも、1000ページを超える本、文献、年表、索引、写真等のすべてにそれを及ぼすのは並大抵のことではない。

 

帰国して、予定されていた市民運動のいくつかを終えて、18日からそれを始めた。すると前にも書いたように、始めたその日の夜中に、ギックリ腰になった。腰から肩・首にきた。それから19日、整骨院が空いている日は毎日治療に行き、年末の仕事は手をつけないで、年賀状つくりを中途半端にやり、家族での越年の場にも、当然この大事な仕事を持参した。

初仕事は、もちろん元旦からこれである。そして前回のあと引き続き今日まで14章、計約760ページまで、チェックした。感想は複雑である。ただこの機会が与えられたことを感謝している。普通ならあり得ない。有り難い。私なりに全力を挙げて自分の書いた本に向かうしかないだろう。

 

新年、今日まで整骨院はお休み。でも今日の金曜日から「金八デモ」は始まり(行けなかった)、7日には女性労働問題研究会の新体制準備会が始まり(これははってでも行かずばなるまい)、8日の成人式には、「市歌を考える会」のスタンディングがある(出ると言っていたのだがお断りした)。9日は、3000万人署名促進の地域の女性の相談会がある。これは本当にまじめに考えなくてはならない。

2018年の始まりはこのような状態だ。現実はいつもこうである。こうして今日で新年5日目はもう去っていく。

 

しかし、今年の秋までに、もう一冊私の本を出したい。クラーラと菊栄は私のうちでは、はっきりとつながり、そして明白に別々のものである。

新しい仕事にとりかかったおかげで、そのことが強く意識される。

| 近況 | 21:50 | - | - |
予期せぬ2017年の年末

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クラーラ・ツェトキーンの生誕160周年の2017年、山川菊栄研究に気をとられて、クラーラの事はそっちのけだったが、12月急遽クラーラの生地に近いドイツのエルツ山地に行った。暗くなってから、雪の中をバスは、アンナベルク・ブーフホルツのクリスマス・マーケットに着いた。エルツ山地のまんなか、こんな像が立っているではないか。バルバラ・ウテマん(1514-1575)。ドイツ人名辞典にも載っている。この地の鉱業が衰えたあと16世紀にボビンレース(ドイツ語ではスピッツェン・クレッペライ)を考案した女性だという。レース編みも衰えた後、木工細工のおもちゃが栄え、衰え、の歴史の中で1857年にクラーラが生まれたのだ。マーケットではレースと木の人形が人気だ。

それはよいとして、私は、山川菊栄を「終えて」編集者に送って、自由の身になってドイツへ行き、戻ってきたら12月は、研究からしばし逃れられると漠然と思っていた。ごたごたが片付けられと思っていた。

ところが、直ちに、クラーラと向かい合う運命がドレスデンの夜中から始まってしまったのである。12日に帰国して、16日に公開講座を済ませ、17日 No War、その翌日ぎっくり腰になってその後の市民運動は失礼しているが、私の気持ちは当然にも、私の分身である2013年発行のクラーラの本に向かってしまう。どんなに引き離そうとしても、殆ど一日中、整骨院に行くほかは、魂も奪われて机に向かっている。何てぶざまなとか、ここまでやるかとか、ここの苦労は大変だったとか、これで社会政策学会学術賞をいただいたんだと思いながら、この日が来るかどうかわからなかったこの願ってもない機会にすべてをかけてやろうと思う。補章の構想がわく。

4年ぶりに、ほとんど初めて自分の作品に向かった。最初から読んでいる。第7章354ページまで読んだ。それでもまだ1/3に過ぎない。

ところが、今度が首が痛くなってきて回らなくなった。何のために「なんとかコンデショ二ング」をやるためにスポーツクラブに通っていたんだ!こんなはずではなかった。それでも自分の本に向かう「気」だけは別の研究のときの比ではない。

年末のやること、書きだしたが、このままでは、何もせず31日まで行ってしまいそう。

そういうことは許されるか!年賀状も出さない。掃除もしない。その「気」になっているんだから仕方ないだろう!

いつかクラーラにまともに向かおうと思ったから、この12月にエルツ山地に行き、昨年もオシップ・ツェートキンの生地オデッサに行き、一昨年、クラーラがベルリンからモスクワに向かう時に乗り換えたラトビアにリガ駅まで行ったんだろう。

それなのに、今年の12月に、ギックリ腰と回らない首で、こんなにのめり込む羽目に陥るとは、まったく予期しなかった。だったら、この仕事をいつやるつもりだったんだろう?

何が起きるかわからないということは、常日頃注意していたはずであるのに。

 

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もう一枚、写真を載せる。マイセンに行き、国立マイセン磁器工場を見学し、展示物を見た。美しい高価な作品の中に、エルンスト・テールマン、マルクス、レーニンの3人の胸像(というより頭部像)があり、真ん中のマルクスだけ正面を向いており、両隣の2人は倒れていた。

私のクラーラの本の中に、この3人が何度も出てくることは言うまでもない。

この3人中、2人に関することでは、間接的に書き足りていないことがあるのを、いろいろな評者からいわれている。

わかっていますよ。私が何より感じている。

ますます、熱中せざるをえなくなり、日常的市民生活から見れば度外れの非常識な時間の使い方となる。

いろんな12月があったけれど、今年はこうして特別である。どうなるのだろう。

そう、この仕事は早く終えて、ギックリ腰も、首の回らないのも何とか直して、現実の切羽詰まった情勢にきちんと立ち向かうというのでなければならないはずだ。そのための研究であるということを忘れたくない。

 

 

| 近況 | 01:12 | - | - |
ドレスデンの真夜中の電話は現実だった

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ライプツィヒ大学、左はゲヴァントハウス

 

帰国してから出版社に確かめた。チェコとドイツの国境に横たわる雪のエルツ山地を、汽車で1時間旅したり、ケムニッツみ泊まって、長い間の懸念事項をはたした丁度その日の夜中に、ドレスデンに日本からかかってきた電話は、夢ではなかった。2013年の暮れ、1050頁のクラーラ・ツェトキーンに関する本を出して手にしたその瞬間から、誤植に悩まされ、「人技(ひとわざ)だから間違いもあるさ」と十分わかっているつもりでも、早く二刷りをと心待ちにしていたことは否めない。この、枕のような、墓標のような本=私そのものがこのままでは、死ぬにも死ねないが、これを増刷することなんてあるのかと諦めに近い思いもよぎった。1984年の、学位論文の本の時は、意外と2年目1986年に二刷りが出たのを思い、もう4年が過ぎようとしていることを恨めしく思った。この4年で、私は次の仕事を一通り終えてしまってもいた。

 

この日の為に、正誤表を作ったり、2014-6年は、ほそぼそながら、近くのドイツ語会話学校に通ったり、私が思い残したと思っていた、リガ(2015)、オデッサ(2016)、エルツ山地(2017)に計画的に行ったり、ベルリンのマルガ・フォイクトさんが編集したクラーラの戦争の手紙集1巻(2016)を入手し、そして今年は、クラーラ生誕160年でもあったので、ベルリンのビルケンヴェーダ―のクラーラ・ツェトキーンハウスの動きにも注意は払っていた。私自身は、『日本の科学者』9月号に、マルクス資本論第一巻150年ととクラーラ・ツェトキーンの女性解放論を関連させた小論も書いていた。

 

昨日から、この有難い仕事にとりかかったが、全くあきれたことに、2013年の出版以来、誤植はさがしたが、恐ろしくてまともに読み返していなかった。今回、この本に対していただいた手紙、メール、それに、社会政策学会の学術賞受賞時の問題点の指摘、7-8本でた書評をきちんと読み返すことからはじめるために、机とその周りを片付け入れ替えた。しかし、この仕事は狂気の沙汰のようなところがあって、数か月どうなることだろう。出版社からは、誤植直しだけでなく、その後の動向を補章として加筆せよとのこのうえなく有難い指示もいただいている。この機会が与えられたことに感謝して、きちんとやろう。

 

魔女、林洋子さんからは、魔女の發ぅ譽戰襪任侶穃紊鯆困い討い襦この仕事、普通ではとてもできない。魔女の言う通りなのだ!

亡き友、坂西雅子さんもきっと喜んで見守ってくれているにちがいない。

 

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早朝まだ暗いライプツィヒ中央駅は、こんな感じだった。変っていたけど、なつかしすぎた!!

| 近況 | 00:41 | - | - |
柿の実が全部落ちたので、「終えた」

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こんな感じの八王子の11月の末、うちの庭の柿の実は、あっという間に2個となり、そして全部消えてしまった。

地面には落ちていないところをみると野鳥がみな食べたのか。なにしろこのところ庭を見るゆとりもなかったからー。

2個となったのを確認した11月26日の日曜日、私はとにかく終章を終えようとした。そして27日の朝には2個ともなかった!

私は終章に向かって、その日の夜を徹し、28日にかかって数時間後、ふっと切れて、終章を終えてしまった。

こういう終わり方もあるのか。昔風に400字原稿用紙で、1200枚をこえたことを確認したのは数日前。長すぎる。いいかげんもうやめようと思っていたのだがー。

もちろんいくつかの問題点を残している。もうお一方のインタビューも残している。図書館に行って確認するということも残っている。それなのに「もういい」と思ってしまうとはー。最後にと、労農派マルクス主義と社会主義協会を追っている時、突然、そういう気持ちになったのだ。 「完成した」ではなく「終えた」のである。なんだかあっけないが、そういうことなので一応書いておく。

 

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22歳から23歳に向かって生きているフー吉は、最近「抱っこ」の要求だけでなくこうして、食卓の側に来て、人間が食べているものを「分けてほしい」というようになった。厚いみそづけ豚焼肉を切ってやったら、あっという間にたいらげて、「もっとほしいなあ」と空のお皿をみている。その前日はロールキャベツの中のひき肉の塊をほぐしてやったらおいしそうに食べて空のお皿をじっとみた。そして、顔をあげてなんともいえない目で「もっと」という。その前は鮭の切り身を焼いたものをほぐしてやったら夢中だった。「人間って、猫の餌よりずっとおいしいものを食べているんだ。ずるいなあ」という感じ。

後ろ足はまがってきて、階段の上り下りがたどたどしい。前足が後ろ足をかばっている。でもソファーやベッドのうえにはまだ、登ってくる。降りる時は慎重になった。私の原稿が本になるときまで、間があるけど、まだ「抱っこ」「それ食べたい」といっているかなあ。フー吉がいつもそばにいて、いつもフー吉の命を感じて、いっしょに研究をすすめてきた思いがする。

そして、今のテーマについて「完成した」ではなく「終えた」のである!

 

 

 

 

| 近況 | 01:31 | - | - |
流れる時間は、その時の目的に合わせて選ぶべき一つのものを決める

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これは、11月18日、文京区男女平等センターで開催された「国際女性の地位協会」設立30周年記念シンポジウム、「21世紀のジェンダー平等―女性差別撤廃条約からみる課題と展望ー」の第2報告者者「ビジネスとジェンダー」(菅原絵美氏)のPPTのスライドの1枚である。

他の報告者は、「SDGsとジェンダー」(織田由紀子氏)、「平和とジェンダー」(早川紀代氏)であった。

今東京では、連日、シンポジウム、講演会、集会が折り重なってそれこそ五万とある。八王子だけとってもしかり。

新刊書籍を始め、取り入れるべき情報に溢れ、自分の貴重な時間が、今何を選ぶべきかを直感で決めて、私は行くべきと思ったところにはでかけ、買うべきと思った本は買う。

かって院生を指導する身の時はひたすら院生のテーマが頭にあった。このスライドなどは、瞬時に◇さん、△さんに関連するテーマだ!と思って、張り詰めた思いで聴いたものだ。

今は違う。

私は本当は、自分の「終章」まで来たテーマと、自宅で取り組んで居たくて仕方がなかったのだが、八王子市男女共同参画センターが主催で、企画運営が八王子女性史サークルの公開講座の講師を引き受けてしまったので、それに役立つ最新情報をとりいれなければならない義務感からやってきたのである。

「本当の『女性活躍の時代』にするために―女性のエンパワーメントで『平等』を引き寄せようー」という題。

PPTを途中まで用意してハタとゆきづまる。もう喜寿もすぎた年齢ともなると、80歳代以上のこと以外はすでに経験してきたわけだから、すべてのライフステージを念頭に入れて、本当の「女性活躍の時代」とは何か、何のために、年齢を問わず、どう「活躍」するのかを考えることはできるはずだが、それがわかるからこそかえって本当に難しいと、頭を抱えてしまう。

勿論私は、「女性活躍推進法」の範囲で「活躍」なるものを考えているわけではないのだからー。

特養老人ホームにいる、傾聴ボランティアでお話を聞かせてくださる方々は、若き日をふりかえる。そして私を「若くて元気でいいねえ」とおっしゃる!傾聴ボラ、市民運動、各種の講演会、シンポジウム、これらは、講演の構成をどうするか、本当の女性活躍のための、一人一人の女性のエンパワーメントをどうするかの素材となる。

しかし、私は、講演はやっぱりき苦手である。書く方がいい。

しかも与えられたテーマではなく、自分のテーマを追求して書く方が好きだ。その好きなはずの事をやっているのに、毎日苦しんでいる。

なんというわがまま!身勝手!自分であきれている。

それでも、時間を勝手には使えない。時間は直感で最も必要とされるものに当てざるを得ないのだ。

 

| 近況 | 00:24 | - | - |
終章にたどりついたもののー終章とは序章の事か?

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昨年、1個しかつかなかった柿が、今年は200個くらいもついて、野鳥が喜んで食べている。

10月31日の日付が変わるころ、無理やり10章を打ち切って、終章に入った。

終章を書いていて錯覚する。終章とは序章の事か?と。

すべて、ここから始まればいいのに!

ということは、すでに10回以上書き換えている序章に、また最後の手を入れて、1章から全部、序章と終章の視点で、筋が通るように点検し直すという作業があるー。それが簡単に終わるとは思えない。まだまだ、気になるところを残し、会うべき人に会っておらず、図書館での詰めをやっていない。全部をやろうとするときりがなく、寿命も尽き果てる。

 

クラーラ・ツェトキーンの場合は、50年の月日をかけていたから、いくら不十分と言っても安定感はあった。

今回は専念してからまだ4年もたっていない。醸す時間、養生の時間、寝かせておく時間が不足している。

これまで出した、単著の事を時々ふりかえる。

このあと、不十分さに嫌気がさして空中分解することなしに、うまく出版にこぎつけることができれば丁度10冊目の単著となる筈だ。

1990年に、有斐閣経済学叢書15として『家庭経済学』(約300頁)を出したときは、私が、大学院博士課程の時代の非常勤講師としての講義をした時から20年以上積み上げた内容をまとめたものであった。あの時も、20年という月日が私の不安を軽くしてくれた。

しかし、今回は、もはや20年だの、50年だのと言っておられず、数年の間に、まとめたいと思うものについては無理やりまとめなければ、「おしまい」になってしまうのである。「おしまい」になってしまうくらいなら、ここらで打ち切ろうということも必要なのだと自分に言い聞かせる。もちろんけっしていい加減に考えているのではない。自分が書かなければ誰が書くかという思いがなければやれる仕事ではないから、可能な限り私らしいものにしたい。

 

10月に、2度、日本女子大名誉教授の宮崎礼子先生のお宅に行って、いろいろお話を伺い、オリジナル資料もおかりした。

そしてまたいろいろの発見があった。まあ、ここまで来てしまったのだし、5章までの第一稿は、すでに編集者に渡してしまっているし(もちろん、終わりまで通してから加筆修正を認めていただいての上ではあるが)、最後まで気を抜かずにやろうと思っている。

まあ、柿が1個もなくなるころまでにはー。

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