伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
<< November 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
「赦しの花」アサガオの花盛りと愛猫21歳の夏

IMG_20160727_104529.jpg

宮崎礼子先生からいただいた遼寧省撫順の「戦犯管理所」中庭で咲いていたアサガオの種を我が家に撒いて三代目が1階の窓で閊えてこんなことになって居る。2階のベランダも同じ。どうしよう。この生命力には驚くしかないが、私の研究の混乱が連想されて焦りを覚える。

7月、借りてきた本を2カ所に何とか返し、高価な本を何冊も購入し、書き込んだり、マーカー、付箋でぐしゃぐしゃにして、また途方に暮れている。寄贈頂いた複数の本にお礼状も引き延ばして気が気でない。

この7月、選挙が、参院選と都知事選と二つが続き、全然落ち着かないのである。選挙関係のメールが昼夜を問わず届き、FBは選挙情報であふれ、外に出れば、人間の顔が票に見える。

選挙は好きではないが今回も、1月の八王子市長選挙の延長で、今度は「都政を都民の手に取り戻す会@八王子」に関わって、全都レベルでの野党共闘の歴史的実践の日々を体感している。これは得難い経験である。

 

それはFBにまかせることにして、この研究に実質着手した2014年以降出版された、関連の(といっても直接的ではない遠縁の)新しい研究書がきわめて刺激的で、じっとしてはいられない思いに駆られる。私の基礎にある問題意識が少しづつ旋回していくのを感じるからだ。また、序章の手直しか!序章の手直しが、最後まで続くのは、これまでもそうであった。まあ、何度でもその作業をやればいいのだ。この辺でーと思う時が来るまで。どこでこの辺でーと思うに至るかが問題である。

研究をまとめていくプロセスは楽なものではない。そんなこと今更言わなくても百も承知だというのにまた言いたくなる。

とにかくもたもたしていると7月が終わる。まあ、日本の女性の平均寿命まであと10年はある・・・。とはいっても・・・。

 

クラーラ・ツェトキーンをまとめる修羅場を何年も付き合ってくれた、猫のフー吉は、ついに21歳を超えた。猫の平均寿命は何歳か知らないが、ともかくすでに寿命の限界に達していることは間違いない。最近は、私の仕事場である2階の書斎コーナーの、私の足元と机の間の暗くて狭い空間にもぐって寝ていることが多い。私の足が延びて体に触れると小さく「ニャー」という。時々、本などを落としてしっぽにあたると「ニャーン」と抗議する。

でもフー吉は、階段をよたよた降りてYが今書斎として占拠している階下の庭に面した和室を訪問し、Yにすりよる。でももう、かって私にしたようにパソコンに上がることはしない。

この猫の寿命と私たちの研究の完成はもう競争することはできまい。でも長生きだなあ。フーちゃん。

 

アサガオと猫の生命力にいささかたじろぎながら、私たち人間の仕事はいつ終わるかもわからない。

 

IMG_20160726_191129.jpg

 

 

 

 

 

| | 01:08 | - | - |
タラ、イクラ、フー吉/JSA女性研究者シンポ
IMG_20150602_135557.jpg

アサガオの芽が、昨年と違い、99%の確率で出て、もう弦が出てきてベランダだけでは処理しきれなくなり、タラちゃんとイクラちゃんが眠る、モミジの木の下の隣家との境の塀の近くに、いくつかの鉢を移しました。ここは、雑草、特にドクダミの花盛りになるところで、陽もほとんど射さず、今までお手上げだったのですが、どうなるでしょうか。
今日はイクラちゃんをここに葬ってからちょうど一年。猛暑が襲った昨年の6月1日を思い出します。

今年20歳になったフー吉君は、タラちゃんと、イクラちゃんと一緒にワイワイガヤガヤ、時にはわがままイクラちゃんに譲ったりして、遠慮して暮らしていたのに、この1年、一人っ子になって、気のせいか、のびのび幸せそうです。
「十分かわいがられている」という満足げな様子。
呼びかければ「にゃーん」と返事をして、ますます、犬のような猫になってきました。まだまだ元気です。

日本科学者会議(JSA)の女性研究者シンポジウムが近づき、宣伝も山場。

5月31日朝、後楽園の中央大学理工学部で開催されたJSAの定期大会に宣伝に出かけようとする私と、その日の夕方武蔵野市民文化会館で「絹の道合唱団」のコンサート「いのち」を主宰する渡辺昌子さんと、最寄り駅で、バッタリ会いました。
凛としたプロの顔そのものの昌子さん。
後楽園から戻ってコンサートに行きましたが、超満員。
21年前に、絹の道合唱団のために混成合唱組曲レクイエム「いのちこそ」を書いたという池辺晋一郎氏の姿もありました。
これだけのコンサートの成功のためには、どれだけの人々のエネルギーを集中させなければならい事でしょう!

シンポジウムも、コンサートの比ではないとはいえ似たところがあります。

『東京新聞』2015.5.31㈰に下記記事が掲載されました。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/metropolitan/20150531/CK2015053102000167.html



 
| | 15:12 | - | - |
年賀状を出したそのあとにーフー吉と付き合う日々



25日、年賀状を出しました。昨年、ごッたかえした 年末だった影響から、今年の年賀状が半分も行方不明で不十分な出し方。
1年も前の状況が生活のあちこちに響いています。
まあ仕方がないかと思うしかない。

ところが、突然、そのあと全く不本意ながら、インフルエンザA型にかかってしまったのです。
11月に予防注射もしたと言うのに・・・・。
それで、一日中寝ているフー吉君と寝ることのお付き合い。ときどき顔を上げるといつもは居ない私が側に居るので、嬉しくなっちやって、ニャンとスキンシップに近づいてきます。こら猫にはインフルは移らないの!?

数日間インフルってなんて嫌な奴なんだろうと思って、正気に帰ってやおら部屋を見回すと、眼の行くすべてのところが2年間の私の「仕事」と称するものの犠牲の後。うーん、嫌だなあ、なんとかしなくてはー。
ところが、もっと正気に帰ると、いや、それではない。どこまで行って中断したんだっけ?
空っぽだった頭の中に激流のように流れ込むもの!
つかまえておかないとどこかに消えてしまう!

しかし今年はもう2日しかない。
ああ、なるようになるだろう。
フー吉ととても仲良くつきあうことを余儀なくされた2014年の年の暮です。
| | 18:31 | - | - |
老いたフー吉くんとわたし
2014073022220000.jpg
わが家の癒しのフー吉くんは、いよいよ高齢、19歳です。
暑い夏でもがんばって餌を食べ、水を飲み、ニャーンニャンと声を出して甘えています。
人間の方も、高齢になり、「後期高齢者医療被保険者証」が届いて「はっ」と思ったのもつかの間、「長寿を祝う会 ご案内状」を民生委員の方が持ってきてくださって「えっ」と思いました。
市長さんや市の社会福祉協議会の会長さんのごあいさつがあって、あと演芸があるそうです。

出し物は、なつメロ演歌と歌謡ショー。55年前、成人式の案内を受け取った時のことを思い出しました。その時も歌謡ショーがありました。

最近になって、キケロ―の「老年について」と、セネカの「生の短さについて」を読みました。
セネカは、「生は出発点となったその日から走り出しそのままに駆け行く」
「現在という時は常に動きの中にあり、流れ去り、駆け去る」といっています。

いろいろな意味で、市の催しに、きちんと参加しておかなければいけないと思うのですが、今回は、やはり、時間が不足しそうになるかねてからの「計画」にあてようと思います。

時間を何に使うかということは、時間が自由になる老年においては、それこそ自由ですが、自分の信条、自分の流儀で使うことが許されるわけで、それゆえに、それは確たるものである必要がありそうです。

新しいテーマは、まだ周りを固めるのに手間取って、先へすすみません。クラーラの時より膨大な年譜・年表ができつつあります。知らないことが多いということを知る日々です。
キケロ―の本の中に、ソローンの「自分は日々多くを学び加えつつ老いていく」と云う言葉が2度もでてきます。

いろいろ考え込んでいる私の傍で、老フー吉が寝ています。

 
| | 00:58 | - | - |
ラオスからきた猫イクラからお別れのことば

2014013016570000.jpg

私は昨年9月に自己紹介したラオス生まれの♀猫のイクラです。
私はもうこの世にいません。
まだ3歳7カ月の青春真っ盛りだったのに、あの異常に暑い6月1日に『吾輩は猫である』の名のない猫のように、いたずらが過ぎて、この世にいられなくなったのです。
社会政策学会2日目の6月1日の夜、お母さんも、お父さんも、「イクラが帰ってこない」と心配して、夜通し、2階の、猫の小さな出入り口を開けて待っていてくれたのに、その時私はもう家に帰れませんでした。

だって、運転席側の窓がちょっとあいていた御近所の車の中に潜り込んで一休みしているうちに、眠くなり、そのまま熱中症にかかって気を失ってしまったのですから。『吾輩は・・・』の名のない猫は「吾輩は死ぬ」と意識したようですが、私はそういう意識もなかった。

翌日の朝、車の持ち主の方から呼ばれて、お父さんが冷たくなった私を引き取り、だっこして家に連れて帰りお母さんに渡しました。お母さんは、私を撫でて、白い布に包みました。
私は、昨年12月、アメリカのミシガン州生まれの20歳で長寿を全うしたタラお姉さんの横、庭の紅葉の木の下に葬られました。
この庭でこの春、私はどんなに楽しんだことでしょう。ヤモリを1日に5匹くらい見つけて家の中に運び、もうよたよたしている19歳のお兄さんのフー吉君に見せていっしょに遊んだものです。
私の事故は、日本の梅雨がくる直前の、狂ったように暑い日の、魔のような数時間の出来事でした。お母さんは、私を葬ってすぐ「太極拳」をやりに出かけ、いつもはうまくいかない片足立ちを、むきになって成功させはしましたが、帰りはぼんやりして、バスの停留所で降り損ねそうになり、信号が青になっても渡らなかったり、少し変でした。

この家に来て短い間だったけれど、私は、お母さんが本の校正と索引作りにどんなに時間を使い、苦労して本を仕上げたか。続いて、出来上がった本の正誤表作りに消耗し、それでも5月の最後の日に賞をもらって賞状と万年筆をもって帰ってきたところまでは見届けたのです。こんな見物もそうざらにあることではなかったでしょう。

4月の終わりには、予防注射に動物病院に連れて行ってもらったし、ラオスの動物病院や役所から証明書をいっぱいもらって、私を日本に連れてきて八王子の家に預かったママも5月の連休に来て、かわいがられて元気な私を見て安心して、ビデオにとって帰ったばかりだったのに。
よぼよぼになってきたフー吉兄さんとも、いっしょに日向ぼっこをしたり、餌の要求をしたりして、仲良くやっていたのに。

この写真、5月29日の「餌早く出せ」のデモです。

PIC0000C7.JPG

フー吉兄さんの年になるまでに、あと10何年も日本の四季をみることができるはずだったのになあ。

お母さんは、庭の「猫の墓」のまわりが、ドクダミと雑草に覆われているのが気になり、私の色に合わせたつもりで、また安い1株94円のマリーゴールドと、少し高い黄色コスモスを合計15株買ってきて、昨日4つの鉢に植えて置いてくれました。そして汗をふきふき急いで「金八デモ」に行きました。

漱石は、『吾輩は・・・・』のモデルの本物の方の猫が、本当は、やはり格別暑い日に静かに「成仏」したのを裏庭の桜の木の下に葬り、「この下に稲妻起る宵あらん」と一句詠んだそうです。お母さんがお父さんにそういっていました。
でも自分は句の一つも作りません。

お母さんは、私が入り込んだ車の持ち主の方に「驚かれたでしょう。不愉快な思いをさせて、御迷惑をかけて申し訳ありません」と何度も謝っていました。

私は、もう何が何だかわかりませんが、ラオスから連れて来て、面白い経験をさせてくれたママ、こんなことになってごめんなさい。でも、もうタラ姉ちゃんと遊んでいるよ。フー吉兄ちゃんはまだこっちに来ないかな。
みなさん、お元気で。さようなら。

2014061413020000.jpg





 

| | 00:13 | - | - |
なかなか終わりません/タラちゃんバイバイ

 
2013120711010000.jpg

この間、校了にむけて、最後の仕事と取り組んでいましたが、いろいろなことがありました。

『天皇の短歌は何を語るのか―現代短歌と天皇制』の著者で歌人の内野光子氏の、自著を語る「現代批評講座」に出ました。評者の一人は、歌人の阿木津英氏。この講座には、これまでの私のつながりを超えたいろいろな方が居て、とても新鮮。

特定秘密保護法参院強行採決の日も、まわりが日中から行動しているのをしり目に、来る日も来る日も一日中、このとおり、机上のゲラの山をひっくり返していました。

そして、わが家の3匹の猫の長老20歳のタラが、12月3日、この写真を写した日の夜静かに、タラらしく旅立ちました。人間の年齢に換算して115歳?。予防注射以外動物病院のお世話になったことのない、自立心の強い、動作の美しい、凛とした、米国生まれの日本猫でした。

PIC0000B5.JPG

もう、12月は第1週が終わりました。全部の校了はいつ?もう数日かかるでしょう。
1000ページを超えるので、本文はもうOKと思っても、目次も、写真リストも、文献リストも、年譜も、索引も、とても長く、全部の統一が容易ではない!それに、家系図や、地図もついています。

これらのすべてと悪戦苦闘している自分をみて「えらそうなことはいえない」というのが今の気持ちです。「『索引』も一つの作品だ」などとよくいえたもの。今は、「正確であればよい」にかわりました。


 

| | 22:32 | - | - |
11月に入りました
2013110112200000.jpg

昨日、文献リストや年譜の再校ゲラを出版社に送り、珍しくまる一日ほど解放されていました。

何という美しい秋の日!
多摩丘陵を歩きました。この空の色、実をつけて空に広がる木。
私も両腕を空に伸ばし、深呼吸をして、「あと一カ月か。やるぞ!」と、昨日までの修羅場を忘れてなぜか嬉しくなりました。

2013110109590000.jpg

ラオスから来たイクラちゃんは、外を駆け回って、両手にちょっと怪我をして、動物病院の先生に外出禁止令を出され、このとおり、ごたごたした2階のベランダで日向ぼっこでがまん。

夕方「金八デモ」に行こうとして用意をしていたら、来ました。ゲラの入った宅急便が2つ。どさりと。
開けてみたら、「返却用、最終校」と書いてあります。
このまま、とりかかりたい思いに駆られましたが、ふりきって出かけ、2時間半ほどで帰宅しました。

ということは、これから、「最終校」に取り掛かるというわけです。
また緊張を要する作業が始まります。またといっても、たった一日の息抜きでしたが・・・




 
| | 21:04 | - | - |
ラオスからイクラちゃんがやってきました。
 
__.JPG

はじめまして。わたしは、ラオス生まれの猫イクラと申します。3歳の♀です。
窮屈なキャリーバッグに入れられて、成田に着きました。今日で丁度1カ月です。

ラオスでは一人っ子だったのに、この家には、100歳を越えたような、おばあちゃん猫のタラちゃんと、おじいちゃん猫のフー吉先輩がいて、わたしをジロリとみましたが、先輩は2階に縄張りがあるようなので、1階に落ち着くことになりました。

とはいっても、やはり猫同士、仲良くなりたいので、わたしは朝になると階段を上って2階に行き、何度もすれ違ったり、後ろから詰め寄ったり、正面から出くわしたりしているうちに、おじいちゃん猫のフー吉先輩とは仲良くなってきました。
フー吉先輩も夜、階下にやってきてくれて、2匹で顔をなめなめしました。

タラちゃんは、18年前、2歳の時、アメリカのミシガン州から長い旅をしてこの家にやってきたそうです。
わたしは2階も、遠慮なく歩きまわってみますが、この家の、人間の方のおばあちゃんは、2階のコーナーで一日、机に向かっています。どうやら、おばあちゃんの1階の縄張りを、私に譲ってくれたようなのです。このとおり、庭から、やもりも入ってきて、歓迎してくれて、日本の畳の上で快適。

__.JPG

人間のおばあちゃんは、なんだかわかりませんが、「三校」というものを昨日終って、「索引」というものをつくっているらしい。「これは、事項、これは、人名、これは、地名」とブツブツ言って、ときどきマーカーペンの色を間違えているようなのです。とても長いもので簡単には終わらないらしい。

この人間の方のおばあちゃんの、とんだとりこみ中に、わたしが現れたというわけですが、もともと猫大好きのおばあちゃんは、わたしをタラちゃん、フーちゃんと同じようにかわいがって、わたしがチョイと家の外に出ると、「イクラちゃーん」と探しにきてくれます。

ですから、猫3匹で、人間のおばあちゃんの「索引」つくりの応援をしなくては!
といってもどうすればいいかわかりません。「猫の手」では何もできないにゃん。
| | 22:31 | - | - |
クラーラ・ツェトキーン没後80年の命日に
 2013061021420000.jpg  

  がんばってね。ふーちゃんつきあってあげるから。

2013061522480000.jpg
         
ふーちゃん、ちゃんとみててあげるから。


2013年6月20日は、クラーラ・ツェトキーン没後80年です。
その1日前、19日、本文初校ゲラの最後、第敬瑤届きました。
第局瑤出たとの電話があったのが、都議選の告知日6月14日でしたから、それから数日で出たことになります。
初校と取り組んで丁度2週間目。

何事もなく、机の上で校正ができるなんて、まず感謝です。
しかし、校正というとまず「恐ろしい」と身震いしてしまいます!これまで恐ろしくなかった校正なんてあったでしょうか。どんなに注意をしたつもりでも間違いに気づかないのが校正というもの。
その恐ろしいものと連日とりくんで、「助けて」という感じのところに、どざどさと容赦なく届くのです。
嬉しくないことはないのですが、何だかフランケンシュタインを生み出したような気がしてー。
とばっちりはふー吉君。彼は何かを感じている様子で毎日私の仕事場を覗きにやってきます。

これまでで、何冊かの単著とかなりの編著の校正をやってきましたが、プロの校正担当の力をおかりしても、それでも満足だと思える仕上がりはなかなかありません。

今回が一番恐ろしいのは、自分の統制がきかないのではないかと思うほど長いということがまずあります。「校正力」というものがあるなら、今回その「校正力」をこれまでの次元とは異なるレベルまで高めなければなりません。

これまでの経験から言うと、初校で遠慮しないということが鍵かなと思います。自分で書いたものが、しかもかなり注意して書いたと信じている学術書なのに、てんで統一も取れていなかったと見せつけられる初校はショックではありますが、ここでひるんではならない。落ち着いて丁寧に納得いくまで手を入れるしかありません。校正は、構成力や筆力とは異なる次元の能力が要求されます。

出発点に戻ったつもりで校正ととりくんでからすでに2週間がたったことが信じられません。
またいつ果てるともないという気がしています。この際、「校正力」なるものをひとつ身につけてやろうではないか。どこまでできるか、この人技ではないような恐ろしいものとぎりぎりまで格闘しようと腹をくくるしかありません。

ふー吉君は、眠くなって寝込み、途中でめをさまし、「まだなの?先に行って寝床で待ってるからねー」と仕事場から姿を消します。
| | 00:00 | - | - |
和室の書斎の友だち:猫と野鳥
 2012122016140000.jpg

和室の書斎には、部屋の雰囲気にそぐわない、古いソファが一角を占めている。ここにこうしてお座りして、私をしばらくボーッとフー吉君が見ている。それからおもむろに「失礼」と横になり寝込んでしまう。
フーちゃんありがとう。そこにフーが居るというだけで何か嬉しい。でも私も一緒に昼寝したくなる。

部屋の別の側の障子を静かにあけると、冬枯れの荒れ庭が目に入る。昨日大雪が降って庭は真っ白になった。雪がやむとすぐ、庭に、いろいろな野鳥が飛んできた。たくさんの雀に交じって、鶯色のメジロのつがい。四十雀のつがいもやってきた。屋根に雪をかぶった餌台に雀がメジロ押しに詰まって餌を食べている。
その間に、メジロの1匹が巣箱を覗いた。アレ?中には昨年、挨拶もなく巣立った四十雀の古巣の残骸があるはずだ。メジロは、多方面から検討を終えて、「ここは嫌」という様子でつがいで去っていった。
こんどは、順番を待っていたように四十雀が、巣箱を覗き、勝手知ったかのように中に入って行った。つがいの1匹は、隣にある数年実をつけないミカンの木にとまって様子を見ている。この四十雀はやがて頭を出してまるい穴からでてきた。いろいろな四十雀が何度も中を覗き、入って行くので、私は気になってパソコンに目をやる暇がない。ついに傍らのカメラに手を出して狙いを定めた。
しかし、写したものにはどれも、鳥はいない。本当にスバシッコイ。

障子を閉めた。これから毎日この調子だと、仕事が計画通り進まないことは請け合いだ。
掘りごたつを捨てて、庭に背を向けて、気の散らない部屋に移ることも可能だが、私は年末、プールが面倒になって水中ウォークをさぼって、筋トレの方を選び、負荷をかけすぎて、足を痛め、整骨院がよいの身である。それなのに、12月28日の官邸前集会も、1月11日の「金八デモ」にもでてしまい、その他、その他、ここに書くことがはばかられるようなことをやって、そのせいでなかなか治らず、炬燵で足を温めているのが心地よいのである。

歩くということが重要だと思い、車の免許証も3年前に更新せず、多摩丘陵の富士の見える道を散歩し、水中ウォークも続けていたのに、本当に失態だったと反省している。書庫に頻繁に出入りして確認しなければならないものが多いこの時期に、炬燵から足を出すのがおっくうだとは!
そんなとき、先輩の訃報を聞いた。すべて詰めができていない各章を思い、障子は時間を決めて開けることにする。
| | 22:23 | - | - |
PROFILE
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
OTHERS
このページの先頭へ