伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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忙中閑あり

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ここは、山野学苑の愛治庵(八王子)、ご縁があって、この裏千家の茶室で御薄をいただいた。

 

先週1週間から今週にかけて、連日出歩き(12日は恒例の「金八デモ」、13日は「八王子市歌を考える会」学習会、14日は第22回 No War 八王子アクション、15日は太極拳で一息ついたが、16日は日比谷野外音楽堂の集会から夜の銀座を「共謀罪阻止」のパレード、という調子)、第9章が進まないのである。一つは、私が戦後のGHQの占領政策の本質にせまれないでいることと、一つは当時の政党の動きをいまいち飲み込めないでいることが原因である。そのほか、断らないでしまった小論の構成がなかなかうまくいかず、何度も書きなおしているということもある。

 

そんななか、17日、緑に囲まれた茶室で、こともあろうに「宮澤・レーン事件の真相を広める会」の仲間たちと、すてきな数時間を過ごしたのである。夢のように素敵な時間だった。家に帰って来て、がさごそと探し物をした。いつもは必ず見つからないはずのものがすぐ見つかった。不思議なことなので、その一部を写真に撮った。

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こんなものが出て来たのである。1959年3月10日という日付、松原セツという私の名前。大学1年生の時のもの。

茶道をやっていたという証拠である。札幌で友人と習いに行っていたことは確かだ。クラブ活動ではない。

クラブはフォークダンスクラブに入っていたが、女子学生は近くの藤女子大の学生に人気が集まることと、5%しかいなかった自分の大学の「女子学生の会」の活動にのめり込んで行って、やめてしまった。それに1959年は、60年安保の前夜だった。

 

「北海道平和婦人会」のボランティアをしたり、第5回日本母親大会の「女子学生の会」代表で上京したりしているうちに、この茶道も、時間不足で、月謝捻出の家庭教師その他のアルバイトとのバランスもとれず、やめてしまった。でも確かに短い期間でもやっていたことは確かなのだ。これまでも、家で時々、お茶をたしなんでいたことがなくなはい。しかし、この本格的な愛治庵で、この時のことを、しみじみ思い出したのである。それは、60年安保の情勢と重なる思い出である。

 

家に帰って夕刊を広げると、高浜4号機午後再稼働、「共謀罪」法案巡り云々。嫌でも、つかのまの「忙中閑あり」から覚めなくてはならない。やれる時間に少しでも前に進めないとせっかく第9章まで来た原稿が空中分解するような情勢だ。

 

それにしても、戦前・戦中はもちろん、戦後少しの暇もなく始まった「逆コース」からずっと、戦いはひと時も止んだ時期はない。

また「マイ年表」を上下、左右にスクロールして、考え、発見し、書き込み、疑問があふれ、机の周りや足元が、混乱をきわめ、ため息が出る。「マイ年表」は8ポイントで40ページを超えてしまっている。もちろん、最後には、これを整理し削除するところも多い。

 

本当に少しずつしか進まない。調子が悪いPCのダウンロードをまって、いつまでもかかって、途中で待てなくなる思いにも似ている。しかし1行でも前に進めなくてはならないし、前よりはたしかに進んでいるのだ。

 

私が、これまで手掛けた、もう忘れかけた多くの物事のなかで、まちがいなく残っているのは、二つ。「研究」と「不条理なものへの抵抗」。

まあ、その二つは、御師新川士郎先生の言葉を借りれば、「心中に値する」。

 

 

 

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