伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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2017年6月、おそらくかってない日本の政治情勢の山場で

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家の玄関の横に、ほっておいて自然と芽が出たアサガオが花をつけ1本だけ残っているツツジが咲いている。

 

この間、珍しく6月10日締め切りの依頼原稿を書いていた。短いものだが、『日本の科学者』9月号に掲載されるはずのものである。

『資本論』第一巻刊行150年記念の特集に、「クラーラ・ツェトキーンと『資本論』第1巻」について書いたのである。しかも締め切り前に書き終わった。そんなことはあるはずがない。あとで読み返せば読み返すほど後悔が沸き起こる。

誰も書かないことを書くというモットーには沿っている。しかし、今進めるべきテーマは「山川菊栄」であるから、邪道といえば邪道なのだ。それなのに、「おわりに」で結びつけてしまった。結びつけないでは終わることができなかった。

 

それに、この6月、講演を二つ引き受けた。これもモットーに反している。どんなに小さな講演でも準備に一定の時間がとられ、当日を含めて、目的にすすむはずの時間が奪われることはこれまでの経験から百も承知だからー。それなのに引き受けてしまった。

依頼原稿や講演をそんなに深く考えてあれこれいうものでもないことも知っているといえば知っている。

いいじゃないか、たまには自分で敷いた軌道からはずれたって―。それも面白いではないか。

でも講演の一つは、私でなくたって、いや私でない方がよほどうまくやれるようなテーマである。これは、たぶん、この際、自分が勉強するに値すると思ってお誘いにあえて乗ったのだ。

 

そして、本業は?やっていますよ。難所をあえぎあえぎ進んでいる。戦後に入ってまだGHQと菊栄のところを進んでいる。まだ?そう!

この個所、先行研究がないとはいわないが、私が考えているようなことを包括的にズバリ書いている研究はやはりない。なんでだろう? 

ないからこそ、私の問題意識に沿って苦労しているんでしょう!やる意味があるんでしょう!!

しかしあるのに私が知らないだけではないかという思いが常に付きまとう。もしあったら、私があっさり引き下がらなくてはならない。

あれこれ考えているうちに、時間は容赦なく過ぎる。

日本の政治情勢が、60年安保の時以上の山場だ。あのときは札幌にいた。今は首都東京にいる。この時を私はどう配分して生きるかが重大問題なのである。

 

 

 

 

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