2018.04.01 Sunday
自由を得て(ということは給料のための労働から解放されて)、あっという間に10回目の桜が咲く季節を迎えた。 9年が過ぎ去ったのだ。10年を一区切りにしようと思っているから、それまでには今日からあと1年ある。 まあ、自分の研究については、ほぼ当初計画通りにすぎている。急旋回しているのは社会情勢の方である。
2009年に衆議院選挙で民主党が政権を得たと思ったら、そのさなかに、2011年3.11が起きた。 2012年には、自民・公明政権となり、2013年には秘密保護法強行採決、2014年には衆院選挙で自民・公明が3分の2を突破。2015年に戦争法強行採決、2016年には安倍内閣の集団的自衛権容認の「閣議決定」、2017年共謀法強行成立・・・・・ そして、改憲、モリカケである。
そういう流れのおかげで、この10年、予期せぬ展開がいくつかあった。それは、八王子市民としての自覚・行動が強まったということである。 その前から続く研究、趣味としての太極拳とスポーツクラブ通いは直線的にあいかわらず続いている。
・退職後新たにやろうとして準備したことは、傾聴ボランティアだった。1年の準備期間を経て、今年度で9年目に入る。 ・最初は地域活動が大事と、里山ボランテイアもやっていた。上に書いた情勢の変化の中で、新たな市民運動が大きな比重を以て襲い掛かって来た。3.11がなにしろ、その起点だった。最初は毎週金曜日の官邸前デモ、それから反原発金八デモに転じて、もう200回以上になる。岩手、福島、チェルノブイリまで行った。 ・次に2016年1月の八王子市長選挙に五十嵐仁氏が、市民連合の統一候補として立つことになり、2015年の終わりから八王子の学術・文化人が応援することになった。あの経験こそ決定的だった。その中で、宮澤賢治ひとり語りの林洋子さんを知ったのだった。ごいっしょに街頭演説までやった。選挙の後、「平和・くらし・環境 八王子学術文化の会」をつくって、洋子さんは副代表に、私は運営委員になった。彼女は魔女。私も魔女修行をして「魔女会」をしばしばやった。彼女の影響を多分に受けている。 ・選挙のプロジェクトの共同代表だった橋本良仁さんと親しくなった。このことで、 JSA八王子科学フォーラムが再開され、私は世話人となった。 ・毎月NO War八王子アクションがもたれ、ここでも演説する機会があり、街頭演説のむつかしさに今も悩まされている。 ・八王子市政100年で、「八王子市歌」のジェンダーと平和の問題にぶつかり(北原白秋、山田耕筰作曲、1936年)、「市歌を考える会」に自ら飛び込み、「八王子手をつなぐ女性の会」の会員にもなった。そのながれで、八王子市の男女共同参画施策推進会議に公募市民枠で参加することになったのである。もとより、足元からの実践抜きに空回りの議論をしたくないという私の思いからではあるが・・・・。これをやらないと女性問題の研究者として何もわからなことになるのではないかと―。
3月31日から4月1日、菊栄の、原稿の最終調整をやって過ごした。第2章までー。4月1杯に第6章、5月の終わりに第10章・終章・付属物まですべてを最終原稿で出すことになっている。 そればかりではない。今週の終わりに、クラーラのあの恐ろしくも嬉しいゲラが降りてくるはずだ。 想像のつかない多忙さが待っている! それにこの情勢だ! 3000万人署名は私の目標まで行っていない。
解放された10年目を、こういう状態で迎える。有難いことである。 何でこういうことをしなければならないのかということも多いけれども、やれることはやらなければならない。 まあ、10年が終るには、あと1年! この1年に掛けることは多い。 いつまでもこういう状態を続けることができるとは限らないからー。11年目の事は1年後までに熟成してくるはずだ。
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