伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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昭和女子大学女性文化研究所所長任期を終えて(平成16年4月)
この3月で2期4年の所長の任期を終えて,2004年4月から,大学院運営の仕事に携わっています。 1989年4月,生活機構研究科博士後期課程発足と同時に,その附属機関となった創立3年目の女性文化研究所に赴任した時を思い出します。それから初代所長人見楠郎学長と副所長白石浩一先生,2代目所長福場博保先生,3代目岩脇三良先生,4代目後藤淑先生に,「幹事」としてお仕えした後,本学80周年を迎える2000年4月に所長を拝命することになりました。

2002年3月に研究叢書第3集『女性文化とジェンダー』を刊行しましたが,これは,本学の伝統的支柱である「女性文化」概念を,男女共同参画時代の女性文化,すなわち21世紀の女性文化にどう繋げるかをテーマとしたものでした。この2004年2月から3月,研究所は,「ゲリッツェン女性史コレクション」をもとにした研究叢書第4集の仕上げ,光葉同窓会と協力して行った卒業生調査のまとめ,紀要31号の編集,研究生レポートの指導,通算91回を数えた定例研究会開催に加えて,私が代表者であった4年間の科学研究費助成研究最終年度の報告書作成とが重なって,空前の活気でした。

 研究所の大学院附属機関の役割としては,平成15年度は,生活機構研究科博士後期課程の院生が,2人の社会人入学を含めて5人,修士課程1人,研究生2人,特別研究員1人が在籍して賑い,博士課程の講義と演習は木曜日の夜,6時限目と7時限目に行われ,活発な討論が展開されて全員大きな刺激を受け,学びあいました。この研究所に席をおいて,ジェンダーや女性視点を入れての研究で,15年間で,課程博士は5人,論文博士も入れれば合計8人の,博士(学術)の学位取得者を出しました。修士号取得者も10名を数えます。学部学生・院生のために企画した天野寛子先生ご指導の読書会も好評で,3年続けて会津キャンプ村で夏合宿を行い参加学生・院生は大満足のようでした。

 この4年間,ひるがえって15年間,この研究所で充実した毎日を過ごすことができました。苦楽をともにしたスタッフの皆さん,応援してくださった教職員の皆さんに心から感謝したい思いでいっぱいです。ありがとうございました。

 なお、女性文化研究所所長には、昭和女子大学理事である、坂東眞理子元男女共同参画局長が就任しました。研究所が、新たな発展をとげることを楽しみにしています。


| 近況 | 09:53 | - | - |
近況・私が書いた最近の本(平成16年4月)
私は『国際女性デーは大河のように』(御茶の水書房,2003.8.22)という本を書きした。私は,これまで,必要にせまられてたくさんのテーマと取り組んできましたが,40数年あたためてきたテーマの一つに「国際女性デー」(International Women’s Day)があります。その意味でこの本は,どうしても書きたい本の1冊でした。多様なテーマをもつ院生指導に目配りしなければならない時ほど,むきになって自分のやりたいことに時間を使いたくなるのが常です.この本は,2002年10月から約5ヶ月,週末の時間に書いたもので,私の6冊目の単行本にあたり,学術書ではない読み物です。小さな本ですが出してほっとしました。

大学院時代,私は社会政策学の領域で,階級・階層に区分された女性問題・運動の,経済的背景と要求の特徴が,ジェンダー視点でみてどう統一されるのか,されないのかに関心があったのですが,大学院時代の指導教授は日本から入ることを禁じ,ドイツから入るように指示しました。指導教授から与えられたメインテーマは,一人のドイツ女性運動の指導者と取り組むことでしたが,そのかかわりのなかで,国際女性デーが,いつも気になるサイドテーマとして私に付きまといました。 

研究の中心から横道の散歩,いわばそれが国際女性デーでした。国際女性デーをめぐる謎解きにのめりこんでしまうのは面白いことでしたが,もちろんメインテーマで学位をとる前には許されないことでした。いつも考えていた謎とは,次のようなものです。

国際女性デーの起源は本当は何?3月8日と決まったのはいつ?ロシア革命との関係

は?日本に入ってきたときの状況。山川菊栄との関係は?戦後日本の国際女性デー。山川菊栄は占領下に何があったの?国連が女性デーを決めたのを何故誰も知らないのか?その女性デーがなぜ3月8日になるのか?世界中に広まったわけは?

 これについては,いろいろのことがいわれていますが,メインテーマとの関連で,国際女性デーを遡って,私は,関連する国を旅するごとに,謎解きに挑戦していました。ドイツ(東・西:1978年,1980年,1981年,1983年,1985年,1987年),スイス(1985,1999),ソ連(1989),USA( 1985年,1986年,1987年,1997年),フランス(2000)などを歩き,それぞれ興味ある発見がありました。それをまとめたのがこの本です。

 本の題ですが,大河とはどの河をイメージしたかというと,2002年元旦,私はインドでガンジス河に舟をうかべ,国際女性デーはガンジス川のようだと思いました。歴史的にもイデオロギー的にも何もかも飲み込んでいく女性デーがこの河のイメージにぴったりだったからです。それなのに本文には,私は迂闊にも「インダス河のようだ」と書いてしまい,校正でも気が付きませんでした。すっかり滅入っていたとき,この本をお送りした,私の学位論文の副査だった先生から「河はモルダウ,スメタナの音楽のような本だ」というメールが届いたときは、なぜかとてもさわやかな気持ちになれました。

一つのテーマに,ある問題意識をもってとりくんでいると,思わぬ気づき,繋がりの発見が続々でてきます。そのこともとても面白いもので研究の妙味です。これは,院生の多くの皆さんが経験することであり,その喜びを満面に表すのを見る時,私は,学位論文の完成の近いことを予感します。私は,どうしても世に著したい本がまだ何冊かあり,その1冊が多くの方の共同作業で,昭和女子大学女性文化研究叢書第4集『ベーベルの女性論再考』として御茶の水書房から2004年3月出版されたことも嬉しいです。 
| 国際女性デー関係 | 09:40 | - | - |
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