伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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第20回国際家政学会議(京都):ディリー・ニューズレター発行を担当して(平成16年8月13日)
オリンピックの年と同じく4年に1度の国際家政学会(International Federation for Home Economics=IFHE:2000−2004年の会長は,オーストリアのG・ピヒラー,2004−2008年の会長は韓国のL・リー)の第20回世界会議が,2004年8月2日から7日まで,国立京都国際会館で開催された.

アジアでは,フィリピン(1980年),タイ(1996年)に続いて日本が3度目の開催国となり,日本学術会議と(社)日本家政学会の共催で開催が実現した(後援は,文部科学省,京都府,京都市).

私は1994年から1998年まで4年間日本家政学会の理事を務めていたが、前半の2年は国際交流の仕事を担当し、1995年と1996年の1月はIFHEの本部があったパリでの恒例の幹部会議に出席した。丁度1995年の第4回世界女性会議(北京)を挟む時期であったので、国連NGOとしてのIFHEの活動を目の当たりに見て、日本の家政学会の活動に反映させたいと努力したものであった。

IFHEの世界会議には、1984年(オスロー)、1992年(ハノーファー)、1996年(バンコク)と今回とで4回出席したことになる。1992年は1990年世田谷生活時間調査の共同研究をもって参加し、1996年は、日本のNWECで開催したプレコングレスの責任者を務め、その足でバンコクに出かけて、FWD(開発における家族と女性)委員会で報告したことを思い出す。 

約1000人規模の国際会議であったが、大会のテーマは,「協同と共生−家政学のリーダーシップで健全なコミュニティ形成を―」であったが,2004年は,1994年の国際家族年の10周に当たるので,その記念の大会でもあり,またIFHEは国連NGOであることから,2000年の「ミレニアム宣言」や「ミレニアム開発目標」を受けてその実現を目指す21世紀はじめてのIFHEの世界大会であるという性格ももっていた.

今回私は,大会組織委員会の1人として委嘱され、ディリー・ニューズレター(DNL)発行責任者として8月1日の評議員会から参加して,全会議の進行とハイライトを毎日参加者に伝えるという得がたい経験をした.DNL係りは、私の院ゼミ、その出身者、生活時間の共同研究者を中心とする13名で組織された。1996年のプレコングレスの時私がお願いしたボランティアは、みなしかるべきところに研究の足場をおいて、8年間の成長の後を見事に示して私の前に現れた。8年前にもすでにY大の助教授であったHさんは、今回はDTPソフトを用意して、すべてのDNLの号の編集を担当した。「記者」たちは、みなデジカメを手にあちこちを駆け回り、それぞれに記事を書いた。すばらしいチームワーク!

この経験から得た何よりの収穫は、Dr.キャサリン・ムマウの、卓越したネィティヴ・チェックを目の当たりにしたことである。夕方4時ころにHさんがおおよそ当日の編集を終える。4時あるいは5時からムマウ氏のプルーフリーディングが始まる。一番長いときは8時迄に及んだ。空き、点、大文字等、統一を絶対のものとして私たちを助けるムマウ氏の厳しい指摘は、授業料を払いたいほど勉強になった。何度もプリントアウトし、OKはなかなか出ない。翌朝8時、Hさんが最終稿を打ち出す。さらにチェック。やっとOKがでて、さらに訂正し、9時半に印刷にまわし、11時半に刷り上がりが届いて、配布担当のSさんが、ボランテイアの4人と配布に繰り出していくという1週間であった。DTPソフト、デジカメ、よく働いてくれたポータブルプリンター等の機器が私たちを助けた。

私は、評議員、DNL責任者の他、「若い消費者」というオーラル研究発表の部の座長(これも題やら名前やら、予測される場面に使うセンテンスを打ち込んだPCを持ち込んで画面をみて進行)、第18期日本学術会議の家政学研究連絡委員会を中心とする,科学研究費を得た研究「循環型社会と共同参画型社会の形成」も7本のポスターを展示に名前を連ねさせていただき(ハプニングがおきて、会場でポスターの作成をするということも経験したが,これも文章データとpptソフトの利用のおかげで、ものの30分で出来上がった)。

開会式,家庭訪問,見学,バンケット,閉会式等での日本の伝統文化・芸能をちりばめたイヴェントは,現地委員会のスタッフの配慮が行き届いていて,地元京都の若い学生と地域のシニアの磨かれた技が披露され,各国参加者に日本の古都京都を堪能させた.ボランティアの価値、プロダクティブ・エイジングというキーワードに納得という日々であった。

国際家族年10周年記念の一般公開シンポジウムを除き,共用語はすべて英語であったことは,日本の家政学者の英語を中心とした国際化も,急速に進んだことを物語っており、英語圏留学経験者や、海外に長期在住して働いていた日本人の活躍が見事に花開いていた感がした.私も少しばかり、このまま諦めてはいけないのかという思いがした。

しかし、この会議で何度も聞かされた、そして私もこれまで何十年も考えてきた、ホーム・エコノミックス、ホーム・エコノミストって何?と改めて考えた。Dr.マリア・ティーレ-ヴィッテイヒ、Dr.ゲルトラウト・ピヒラーという2人のドイツ語圏の指導者のあふれるエレルギーに圧倒されながら、名称を変えたアメリカ(旧)家政学会、会員を減少させている日本の家政学会の将来を思わずにいられなかった。次回2008年はIFHE100周年を発祥の地スイスの、ルツェルンで祝うという。1999年にベーベルの研究で訪れたチューリヒから、気晴らしの観光に行ったあの美しいルツェルンのワーグナーの別荘を思った。

| 近況 | 09:59 | - | - |
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