伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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2008年夏
「今年度は毎月短い近況報告をしようと思います」と4月に書いてから,何も書かず,はや4ヶ月が過ぎました。もう2度と経験することのない私にとっては最後の大学の定例の行事が,いつもの年と変わらず足早に過ぎ去り,何事もないように前期のセメスターが終わりました。日本家政学会も春の社会政策学会も終わりました。

 この間新しいことは,ひとつは,7月25日から8月1日まで,スイスのルツェルンで開催されたIFHE100周年記念の学会に参加し,そこで私の最後の博士後期課程の院生Yさんと,ベスト・プラクティスなるもので発表したこと,他のひとつは,8月5日付けで,『女性研究者のエンパワーメント』という小著をドメス出版から出したことでしょうか(税込2100円)。



ルツェルンは1999年の夏,チューリヒにアウグスト・ベーベルの足跡を追って滞在したとき,ふらりと訪ねて以来2度目でした。9年前はひとりで,屋根つきのカペル橋を渡り,ピカソ美術館に入ったり,フランス革命時に殉死したスイス人傭兵のモニュメント,ライオン記念碑を見たり,どうやって行ったか覚えがないのですが,ルツェルン湖を見下ろすワーグナーの家(博物館)に行きました。
今回はルツェルン湖の遊覧船から,「ジークフリート」や「トリスタンとイゾルデ」を作曲したワーグナーの家を見上げるだけでしたが,前回は通らなかったシュプロイヤー橋の屋根の梁の板絵「死の舞踏」の連作の下を何度も往復しました。それに,学会を抜け出して,天野寛子氏と二人で,私ははじめてスイスの首都ベルンに行きました。ベルンは,1915年,第一次世界大戦のさなか,3月26-28日,国際社会主義女性会議が開催され,クラーラ・ツェトキーン案の決議を採択した歴史的な街なのです。一度行ってみたいと思っていた願いがかないました。アーレ川に囲まれた,今は世界遺産に登録されているベルンの旧市街の美しさにみとれ,大聖堂の鐘の音を聞きました。
拙著『女性研究者のエンパワーメント』の反応はさまざまです。
「まるで猪」と書いてくださった元同僚のT先生,「そうかも」と思いました。「類書がない」,「あなただから書ける」といってくださった方もいらっしゃいました。私としては,研究書を後回しにして,このような本を先に出したことを後ろめたくも思いますが,現役の勢いでなければ書けるような種類のものではないので,定年退職に向けての第一弾とした次第です。少し研究的な第二弾は秋に出ますが,本命の研究に割く時間は,院生教育や大学院運営の仕事のすべてが終わってから,つまり「給料のうち」の仕事を完全にストップしてから,誰にも遠慮することなく取りたいと思います。
これからの数ヶ月,最後の院生の博士論文の追い込みと,最後の卒論指導が入ります。
こうして教員生活最後の夏休みが一日,一日と過ぎて行きます。
| 近況 | 22:54 | - | - |
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