伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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クラーラのライプツィヒ時代からの脱出はまだ 

クラーラのライプツィヒ時代から早く脱出しようともがいていますが、今年はクラーラ・ツェトキーンとの関係が切っても切れない「国際女性デー」100周年ということもあって、原稿や講演依頼、地元で仕掛けた自主企画連続講座を優先して、ライプツィヒからなかなか脱出できません。同じ国際女性デーといっても、依頼先によってさまざまな切り口が要求され、こちらもいろいろ勉強になるものですから大事に付き合っています。
今年、このテーマでの需要があるのはとても嬉しいことですが、なにしろライプツィヒに留まってはいられない日程で、多少のあせりを感じ始めています。

クラーラにとって、ライプツィヒとは何であったか。ここでこそ、じっくり引用しようと思って集めた、クラーラの時代前後の古典的ライプツィヒと、東西ドイツに分かれていた時代のライプツィヒと、1989年秋の有名なデモの記録写真と、統一ドイツ後に出たライプツィヒ史の本と、最近の日本語の本とを横目で見ながら、国際女性デーが過ぎ去るのを、とりあえず待っています。
今年2010年が国際女性デー100周年であることを意識して、私としては珍しく早く、2003年に『国際女性デーは大河のように』(御茶の水書房)を出していたのですが、やはりあのとき出しておいたのは正解だったと、いま思えます。
ということを考えると、次なる本命の仕事は、201×年には出版しなければならないという計算になります。逆算すると、「週40時間著述業」を日課として、やはり今ライプツィヒにこれ以上留まっている場合ではないことが確認されます。今年の国際女性デーのころまでに、この本たちのページをもう一度めくり、確認して使えるところは使い、別れを告げて、若きクラーラが旅立つ亡命先を追いかける支度をしなくてはなりません。

「定年後何しているの?」ときく方よ。やはり、「私は旅の途上です」とお答えすることになりますね。

「ライプツィヒの歴史について書かれている興味深い本」








 

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