伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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秋たけなわ
10月も3分の2が過ぎました。コスモスの美しい季節です。家の庭の柿の木
は今年もたくさん実をつけました。最初の
10日ほど、1885年から1886年の、
クラーラ・ツェトキーンの、(選集にも入れられていない)
”Sozialdemokrat”
に掲載された無署名論本数本の髭文字とにらめっこしていました。彼女の20
歳代後半の到達点がわかりますが、ここでまたいろいろ考えてしまいました。
4
0年ほど前に足利末男らの邦訳で読んだ、F.メーリングの『ドイツ社会民主
主義史』をもう一度読まなければならないと。昔、しるしをつけた個所を含
めてこの名訳の大著に再び接し、改めて学ぶこと大です。
 
それから、書庫から引きずり出した関連文献を積み上げ、あれこれ考えて、
なかなか進みません。でも、
1984年に有斐閣から一度クラーラの本を出版
した後に、折に触れて集めておいてよかったと思いました。しかし、足り
ないものもあります。やはり研究に図書館は必須です。
それと合わせて、今年ドイツで出た新しい出版物にも目が行きます。
今買うなら、すぐ使いこなさなければ、
1984年の時のように最早先はない
ことは分かってのことですが何冊か注文しました。

 

とはいいながらどうものんびりすぎるようです。「研究first
であっても、いろいろやっていることがあるのです。「研究関連
のことばかりでなく日常のことも書いてー」という声も届いてい
ますが、それは「研究ブログ」と銘打ってしまったので書きにく
いのです。

実は、月・木はスポーツクラブ(太極拳・気功・水中ウォーク
等)、火曜日はボランティア(「中山の里山を守る会」での作業、
特養老人ホームでの高齢者の傾聴活動等−そのための訓練・講習
会に随時出席)をやっており、・・・、こういったことに時間を
配分し、かつそれなりに、またその他にいろいろあり、机にへば
りついている時間は意外と多くはないというのが実情かもしれま
せん。





 












  
| 近況 | 07:22 | - | - |
2010年10月のはじめに思う
  101日というと、退職した身でも後期が始まるという感じで身が引き締まる思いです。9月に書いた小稿3本、もうちょっと決めたかったという思いを残しますが・・・・・。

8月のブログに書いた、明治大学リバティアカデミーの企画が最小実施人数に達しなくて中止になりました。私から情報を得て申し込んでくださった方申し訳ありません。

 

さて、この101日、大学院での私の教え子の一人、斎藤悦子さんが、お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科に准教授として着任しました。博士の学位をとってすぐの19974月、岐阜経済大学の公募を突破して就職が決まった時のことを思い出します。岐阜経済大学での13年半の薫陶を得て彼女は大きく鍛えられたと思います。岐阜経済大学の諸先生に私からもお礼を申し上げたい思いでいっぱいです。

昨年の暮れから約10カ月、今回の新しい公募に応募して一つ一つ決めていくプロセスで、悦子さんの単著『CSRとヒューマン・ライツ―ジェンダー、ワーク・ライフ・バランス、障害者雇用の企業文化的考察』(白桃書房、2009)が、今年度の昭和女子大学女性文化研究所奨励賞(坂東眞理子賞)をいただいたり、受賞には至りませんでしたが、社会政策学会の奨励賞にノミネートされるのを見てきました。私の教え子では昨年度宮坂順子さんの『「日常的貧困」と社会的排除―多重債務者問題』(ミネルヴァ書房、2008)が、社会政策学会の学術賞と奨励賞の両方にノミネートされ、奨励賞を射止めていますが、人事異動でも受賞でも、私自身の経験を越えて進んで行く教え子の活躍は大きな喜びです。


 今回、お茶大公募時の主担当科目は「生活経済学」でした。ということは、これは、私がずっと以前から、若手として実力を買っていた故・御船美智子先生が担当していた科目です。御船先生とは学会その他で親しくさせていただきましたし、同じ八王子に住んでいて、通勤に時間がかかるのを一緒に嘆いたり、いつもご著書を送っていただいたり、お亡くなりになられたことがいまだに信じられないくらい身近に感じていた方です。御船先生に見守っていていただきたいと思いです。


 斎藤悦子さんの今の年齢の時、私は立川短大の助教授で、学位論文として提出すべき不十分な原稿を書き終わったばかりでした。同時に生活時間の共同研究もやっていてフル回転でした。私もきわどい「時」を重ねてここに至り、やっとその不十分な学位論文の見直しに着手する時間を手にしましたが、若い研究者の方々には、体には気をつけて、息の長い活躍を継続できるような大学環境であってほしいと願っています。

 

私は、修士課程で指導した院生を二人も病気で亡くしています。山下智子さんと、中野純子さんです。107日は、中野さんの2回目の命日です。中野さんの学位論文の主査は秋山智久先生で私は副査の一人でした。障がい者雇用問題と取り組む中野さんのあの頑張りは誰もが息をのむような迫力でした。会津短大の社会福祉学科の公募に応募して、面接にこぎつけた時、彼女は私の前で模擬授業をやってみせてくれました。板書の字は非常に上手で、パワーポイントのアニメーションにいたっては、どんなに時間をかけて工夫したかと、彼女の努力に頭が下がりました。ずっとメールのやり取りもしていましたが、ただならぬメールが来たので、2008104日に病院にお見舞いに行ったのが最後でした。その時彼女は、この方が楽だからといって、体を起こしてベッドに腰掛けており、会津との打ち合わせの携帯メールを見せてくれました。職場に復帰すること以外考えていない気配でした。そして三日後に亡くなったのです。

 

斎藤悦子さんと中野純子さんとは共同研究をしていた間柄です。障がい者雇用の問題で企業調査などをしていました。10月という月は、2年前から私にとって中野さんの思い出とともにある月となりました。きっと中野さんも斎藤さんにエールを送ってくれていることでしょう。

 

今年103日は、東西両ドイツ統一20周年です。20年前の1990103日のさらに10数年前、1978年から、私は両ドイツ(BRDDDR)に出入りして研究していました。DDRの研究者との交流から得たことも多くありますが、それについて書くのはまたの機会にします。


 2010
10月をむかえ、命あることに感謝し、教え子のみなさんが働き盛りでそれぞれに一生懸命であることを感じながら、中野純子さんや山下智子さんの思い出とともに、私もライフワークが早く新たな形になるように自分の「時」を大切に刻みたいと思います。

| 近況 | 17:04 | - | - |
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