伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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2011年の桜
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山梨県北杜市神田の大糸桜(樹齢400年)

定年前、そのずっと前も、何十年も、東京の桜の4月は新入生を迎える魔の4月。花見は、構内の手入れのゆき届いた美しい桜1本を横目で見るだけで過ぎた。

2年前、定年後の4月、新宿御苑の桜のいっせいに散りゆく姿を目の当たりにした。桜は散り方がこんなに美しいものかと感心した。惜しげもなく、実に鮮やかである。つつじやアジサイはこのようには散らない。

昨年、新宿御苑まで行かなくとも、何十年も住んでいる地元には有数の桜の名所があることを知った。ここではたくさんの種類の桜が、時差を心得て散る。これも見事であった。

そして今年。東京で桜の咲く季節は、自粛ムードの中で訪れ、去って行った。私は、今年、東京の桜をまともに見なかった。不思議だ。誰もが好きな桜を、人並に、愛でるようになった私はそのことに心落ち着かず、まだ桜が満開の地に引き寄せられた。社会的にも、私的にも、いろいろな意味で、それどころではないという、2011年の4月にである。山々と桜と歴史が観る者の角度によって多くを語りかける山梨県北杜市で静かな花見をしたのだ。
その一つ。写真の桜は樹齢400年。その生は安土桃山時代に遡る。
そして山々は、そのはるか昔からこの地に在った。
この日、わたしたちは、結婚@@年のアニバーサリーであった。この先、まだ形になっていない、今継続中の仕事を、さらに時間をかけて世に送り出さなくてはならない。
そのためにこそ、散り方の美しい桜を観に今ここに来たのだ。
| 近況 | 22:56 | - | - |
災害と選挙の日本列島

4月。災害と選挙の日本の4月。桜の季節になったのに更新する気にもなれないで日が過ぎていく中、今朝ふと見ると庭の柿の枝が芽吹いていました。当たり前のことなのに、なぜかとても驚かされました。

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プロフィールの写真を、オシップ・ツェトキーンと死別して75歳までの長い活動を始めることとなる30歳代初期のクラーラ・ツェトキーンに替えました。

東日本大震災の後1カ月余り、5回の計画停電を経験し、とびかうMLで情報をあるいは取捨選択しあるいは共有し、ときには1日に何度もくる強い余震に身構えていました。

ボランティアをコーデネイトする基礎づくりの仕事で気仙沼を拠点に陸前高田市や大船渡市に1週間入っていたNGOに勤める次女の生々しい話を聴きました。

この間、2年前に建てた研究の構成を全面的に見直し、新たな目次をつくってこの4月から出発しています。いよいよクラーラの20世紀に入りました。
研究の構成については、卒論、修論、博論の助言や指導のそれぞれの段階で何十年も経験してきた私の得意とすることであったのを、自分に今やっているのがおかしい気がします。構想もあれこれ膨らみますが、時間との関係(この場合の時間とは、締めきりではなく、いまや想定できない私の研究者生命のこと)でとりあえず絞らなくてはなりません。

この極東の、自然も社会も厳しい試練に立たされた島国の上で、庭の柿の木の芽の成長に負けずに、今年度の私の計画は、計画としてささやかながらも実らせていきたいものだと思っています。
| 近況 | 12:00 | - | - |
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