伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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7月末の信州での休暇にて
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7月末の信州の白樺林

自宅で仕事をしていると、オンとオフのメリハリをどうつけるかが問題となる。
毎日、気がつけば寝る時間。もう今日が終わった。早い。
毎週、気がつけば一定の曜日にする特定のことがそれぞれめぐってくる。また、何曜日がきた。もう一週間が過ぎた。早い。
毎月、第何・何曜日ときめた何種かの地域ボランティアの日があっというまにやってくる。また来た。早い。

研究は、必ず毎日やる、いや、少なくともやろうとする。それが私のメインの仕事だから。それは、食事や睡眠と同じだから。しかし、同じではないのだ。
いくらやろうとしても、堂々巡りをして進まない時がある。毎日やろうとするからそういうことになる。仕事なら、仕事だからこそ、休暇が必要ということになるだろう。気持ちの切り替えが・・・

7月末に、短い期間ではあったが信州の貸別荘に行った。しかし、静かな休暇ではなく、幼い命たちのあふれるエネルギーとの付き合いの日々を過ごすこととなった。そういう休暇もありだろう。
そして、少しの静かな時間に、読書したり考えたりした。そして思った。

在職中の研究は、研究以外の他の給料のうちの仕事の合間にやらなければならなかった。締め切りが必ずあり、学会報告や論文や書物で必ず世に問い、業績として「表現」することこそ研究であった。

研究とはそういうもの?研究とは業績?
いま私は、研究とはそういうものではないと思える世界を生きていることを感じた。
では、今までやったのは研究ではなかったか? いや、それも研究ではある。

今、思うことは、研究の成果はやはり「表現」への強い欲求を伴うということである。研究とは自己満足のためにするものではないから(大体私はそのようなテーマをわざわざ設定しては来なかったから)、「表現」なしには、何のために時間をかけて研究しているのかわからない。時間はかかるが、研究の「表現」=それは、著書として世に問うこと、の一日も早いことを切望しているのだ。

そのためには、また暑い8月、さまざまな休暇を工夫しながらも、がたがたいわずに机に向かうしかない。
| 旅(国内) | 10:42 | - | - |
わが家の、ゴーヤ緑のカーテンの陰で
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ほんの少しの空間にゴーヤの苗を5-6本植えただけなのに、あっという間に成長して、こんなゴーヤを何本もつけた緑のカーテンができました(部屋の中から写したもの)。
目をやるだけで、一瞬、猛暑を忘れます。

昨年も猛暑でしたが、「暑さに挑んでやろう」という姿勢で多摩丘陵を歩きました。しかし今年は、「またか」という思いが先走ります。「熱中症になりたくない、早く研究を進めたい」と、家の中の少しでも気温の低そうな場所に資料とPCを広げて、移動研究室になってしまいました。

ローザの手紙からクラーラ・ツェトキーンとその夫である画家フリードリヒ・ツンデルのシュツットガルトでの生活を照射しようと、ローザのヨギヘスへの手紙(翻訳全4巻)とローザの手紙全集(ドイツ語全5巻)と取り組んで、もう少しで終わるところまで来ました。とはいっても、そこまでいってからなかなか終わらないのが常ですがーーー。

いろいろなことが、ローザの観察によってどの伝記作家も書いていない側面から推測できます。自伝や日記を残さなかったクラーラの知られざる「思い」や生活は、関連する複数の同時代人の他人への手紙での言及が第1級の資料になることを実感しています。本人が書いた論文や演説は、全集が編まれている場合はかなり依拠できますが、クラーラののように『選集』だけの場合は、それ以外の資料をどれだけ把握したかが重要です。先行研究や伝記については、こちらが研究上の主体を確立したうえで参照するのでなければ、安心できません。それらにいちいち注意をはらいながら進めていくには、当たり前のことですがどうしても時間がかかります。

緑のカーテンに目をやりながら、この夏、ゴーヤのようには成長しないまでも、もう少し先へ行きたいと思っています。4月に芽吹いた柿の木はもう1カ月以上も前からたくさんの小さな実をつけて、実りの秋に向けて少しずつ太らせています。
| 近況 | 13:32 | - | - |
どう構成し繋ぐか−天野寛子氏の糸と布のアート

ローザ・ルクセンブルクとクラーラ・ツェトキーンの関係をまとめるために、私は、いろいろ試みてきましたが、6月の末から、今まで見過ごしてきたローザのヨギヘスへの手紙(伊藤成彦氏らの翻訳で全4巻)と向き合って、ローザの、ヨギヘスに伝える言葉の中から、クラーラについてのヒントを得ていました。新たな発見がもちろんあるのですが、それを探すのにも、見つけた素材をどこにどう入れるのが効果的かを考えるにも、予備知識と時間がものをいいます。

そのさなか下記の写真がついたはがきが届いたのです。ようく見て下さい。
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これは、私と同時期に退職した元共同研究者、元同僚の天野寛子氏の、糸と布によるアート(フリー刺繍)の、退職後2回目の個展の案内のはがきです。天野氏は昨年刺繍画集『繋ぐ』を出版しました。

私は、自分の研究のとても細かいところをやっている時、いつも天野氏が今頃糸と布と針で作品をすこしづつ完成させているだろうなと思いながらやっています。

彼女の構想はどのようにして出来上がるのだろう。どう云う布を糸でどう繋ぐのだろう。
これは、彼女とも話したことですが、研究と似ているのです。そして時間をかけないことにはできあがらないこともーー。

職場にいた時、二人は院生指導で苦楽を共にしました。いわんとすることはわかるけどこんがらかってしまってどう進めたらいいかわからなくなった院生の論文を、解きほぐしたり、繋ぎなおしたりの指導は私の得意とするところでした。しかし、それを自分に適用することは難しい。

天野氏の糸と布のアートは魔法のようです。観に行くのが楽しみです。ここから、私は、またエネルギーをもらうことでしょう。それをばねにして、私も殆ど気が遠くなりそうな細かな部分をていねいに書きたいと思います。

天野寛子氏のフリー刺繍2011展「机の上で<糸・布>遊び
2011年7月26日(火)−31日(日)11:00−18:30(最終日は16:30)
レストラン ancienne 藍(三軒茶屋1−36−8 由上ビル2F(03-5430-3671)




| 近況 | 10:42 | - | - |
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