伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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2011年の終わりに
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柿の実が50個から零になるには予想通りあっという間でした。ある朝、一個も実がなくなった、冬枯れの柿の木に、鳩のような大きな鳥が三羽、じっと羽を休めていました。
道端の草花は殆ど姿を消し、そのかわり、恐ろしいほどに誇り高い冬の富士山が真っ白な姿を、ときどき見せるようになりました。
よく晴れている日が続きますが、気温は低く、植え替えた冬の花も連日の霜の襲撃で、悲鳴を上げて家の中に非難させたりしています。大体わが家は日当たりが悪く、日照時間も少なく、もともと、花などを育てることに疎い私などの手にかかっては、花たちも運のつきでかわいそうです。

悪夢の冷めやらぬ東日本の震災・人災の被害を引きずったまま、2011年が刻々と終わろうとしています。
「次の瞬間に何かが起きたら、この研究はどうなる」と心配しながら毎日を過ごし、そういう意味では何事も起きず今日まできたことに、感謝しつつ、また怖れを感じます。

この1年、研究上では、いかにわからないことが多いかを思い知らされて、道の遠いことに気が遠くなり、かつ、わかったことだってこんなに多いのだから、早くこのテーマは終わらせてしまおうと、その目標を勝手に来年1年においてしまいました。

このテーマを私に下さった師は「このテーマと心中せよ。心中の相手として不足はない」と言われたのですが、ここまできて、今の私には、それはできない。断る。という感じです。だって、このテーマからも、少しゆとりをもって解放されたいのです。

とにかく、ここ数年でパターン化した日常を、黙々、営むことができればよしとするという、あまりさえない新年への抱負です。明日から恒例の八ヶ岳麓のホテルで、集合できる家族で集まって年を越します(これだっていつまでも続くわけはない)。ではよいお年を。

| 近況 | 00:19 | - | - |
とにかく一歩でも半歩でも足をとめないことが大事なのだ!

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南国に来ているわけではありません。家の庭の柿の木と反対側に、前からずっとあるこの木が一年中青々と茂っているのです。どうしていいかわからずそのままにしてあります。北国では見られない光景なので、何十年たっても珍しいのです。柿はまだ50個ぐらい木についており、野鳥たちがにぎやかに庭を飛び回っています。

師走も半ばまで来ました。私は、コミンテルンに悩まされ続けています。人間は大きな失敗をしながらも光の方に向かう動物なのでしょう。

私が書いているのも評伝のジャンルなので、評伝はよく読みますが、コミンテルンにくたびれて、野上弥生子評伝の新作に手をだして読んでみました。

まず、「もんだいは幾つになったかではない。幾つになっても書き続けることである」と93歳の時彼女は書いています。ガツン!ですね。「とにかく一歩でも、半歩でも足をとめない事が大事だ」とも「決してらくな仕事をしてはならない」「精進を欠いてはならない」「練り直しこそ大事なものだ」とも書いています。

著者の岩橋邦枝氏は弥生子のことを「老いをよせつけない向上心と気迫が彼女の80代、90代の仕事を支えている」と評価しています。

わかりました。私もそうでありたいものだと思います。

話は変わりますが、ある本を読んでいたら、名の通ったドイツ近現代史の研究者が、コラムで「クララ・ツェトキン」を書いていました。しかし、クララは「社会主義者鎮圧法下、非合法紙をパリから郵送するのを手伝っていた1881年、同じ社会主義者として長年敬愛していたオシップ・ツェトキンと同志として結婚する」と書いてあるのです。パリからではない。チューリヒからです。しかも1882年のことです。そのあとパリに行って、オシップと共同生活に入ったのです。先行研究を参考にしていただきたかったと思いますが、こういうことはよくあることです。私も、これまで無数にそういうことをやってきたと思います。ですから、コミンテルンとクラーラ・ツェトキーンのくだりを書かなければならない今、この時が恐ろしいのです。膨大な先行研究の山の下でうずもれてしまいそうになりますが・・・・。野上弥生子のことばに、我に返って、一歩でも、半歩でも前に進みましょう。
| 近況 | 00:57 | - | - |
最後の柿が落ちる時は?
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伊藤セツ(2011.11.30 撮影)

 何度も、我が家の庭の柿を登場させますが、北海道人たる私には、柿のある風景というのは、いまだに異国情緒を感じさせるからです。30年近く前、この地に二世帯住宅を建てた時、柿の木を一本庭に植えました。しかし、柿の木がどう成長するか、実がなるまでの一年間の変化を、まともに見る余裕なく実に20数年が過ぎたのです。定年後の2年間も、新しい生活を整えるのにごたごたして、余裕がありませんでした。今年初めて、柿が芽吹いた、青い実をたくさんつけた、葉も色づいた、葉がみんな落ちた、メジロをはじめ野鳥がついばみにやってきている、台風でもまれても、野鳥についばまれても、柿がまだ100個以上残っているなどと、一年のプロセスをみるゆとりがでてきたように思います。

最初、新鮮に感じた「地域」も、なんだか日常化してあたりまえのこととなりつつあります。バランスをとろうと意気込まなくても、「ボランティア活動」という新領域も、なんとなく日常化し、スポーツクラブ通いも、自然と週全体のなかに組みこまれてきました。

しかし、これまでの継続である研究の方は、急な傾斜を登っている感じです。ときどきなだらかになって新しい光景が広がると、ささやかな喜びもつかの間、そこで新たに課題や疑問がでてきて、目的地はさらに遠のき、また勾配の上がった傾斜をよじ登るという感じです。いや、時には、「よだか」が太陽や、星を目指して飛んでいるような情景!

しかし、自分で、まだ先のことですが、締めきりの時限爆弾をかけました。出版社に目次、予定等提出してしまったのです。
そのためには、あと一月となった今年を、「日常」のなかに埋没させてはならないというわけです。

まだ100個もある庭の柿が最後の1個になり、「葉っぱのフレディ」のように去っていくのは案外早いのかのしれません。
しかし、柿はほぼ確実に来年芽吹くでしょうけれど、人間はそうはいきません。
「時は命」と、これまでになく強く感じる2011年の師走の初日です。
| 近況 | 12:21 | - | - |
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