2011.12.29 Thursday
柿の実が50個から零になるには予想通りあっという間でした。ある朝、一個も実がなくなった、冬枯れの柿の木に、鳩のような大きな鳥が三羽、じっと羽を休めていました。 道端の草花は殆ど姿を消し、そのかわり、恐ろしいほどに誇り高い冬の富士山が真っ白な姿を、ときどき見せるようになりました。 よく晴れている日が続きますが、気温は低く、植え替えた冬の花も連日の霜の襲撃で、悲鳴を上げて家の中に非難させたりしています。大体わが家は日当たりが悪く、日照時間も少なく、もともと、花などを育てることに疎い私などの手にかかっては、花たちも運のつきでかわいそうです。 悪夢の冷めやらぬ東日本の震災・人災の被害を引きずったまま、2011年が刻々と終わろうとしています。 「次の瞬間に何かが起きたら、この研究はどうなる」と心配しながら毎日を過ごし、そういう意味では何事も起きず今日まできたことに、感謝しつつ、また怖れを感じます。 この1年、研究上では、いかにわからないことが多いかを思い知らされて、道の遠いことに気が遠くなり、かつ、わかったことだってこんなに多いのだから、早くこのテーマは終わらせてしまおうと、その目標を勝手に来年1年においてしまいました。 このテーマを私に下さった師は「このテーマと心中せよ。心中の相手として不足はない」と言われたのですが、ここまできて、今の私には、それはできない。断る。という感じです。だって、このテーマからも、少しゆとりをもって解放されたいのです。 とにかく、ここ数年でパターン化した日常を、黙々、営むことができればよしとするという、あまりさえない新年への抱負です。明日から恒例の八ヶ岳麓のホテルで、集合できる家族で集まって年を越します(これだっていつまでも続くわけはない)。ではよいお年を。 |