伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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客間に書斎侵入!
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立春の後もなお寒い今年。私は、仕事の場所を、従来の書斎コーナーにおさまりきらず、転々と変え、とうとう、いつ来客を通しても良いようにしておいた堀り炬燵のある和室に侵入してしまいました。必然的に机の周りは、書庫から運んだ資料をごたごた置くことになり)、やむなく別の机を近くに二つもってきて置いて、そこに多少は分類して並べて、足は掘り炬燵の中に入れたまま、手を伸ばせば必要なものに届くようにしました。ここまできてしまうと、来客にも、このまま、堀り炬燵をおすすめするしか方法はありません。炬燵の中まで本や資料は入って居ませんから・・・

障子をあけると、この写真のとおり、冬枯れの、風情のない庭ですが、野鳥が飛んできて、巣箱や餌箱、餌台を覗いたり、つついたりしています。

まるで、古き時代の作家のような気分ですが、これで我が家は家じゅう、本や資料を取り散らかし、その隙間で生活をしているといった感じです。古書・専門書は、図書館に出向く時間的余裕もなくなり、Amazonで購入できるものは、即注文してしまうというスタイルに変わり、今はやりの断舎利?とかいう、おすすめのライフスタイルとは、ひたすら反対の方にむいて生きています。

アラゴンは66歳の時「・・・私はあれこれのことを書くために猶予を求めるつもりはない。・・・・・私自身は小説というものを、私が生きた世界がどんなものであったかを、もはや知りえない人々にたいして私が残しうる唯一の価値ある形見分けだと思っている」と、1934年作『バ―ゼルの鐘』の1965年版の序文で書いています。また序文の最後で、「そんなふうにして、どこまでも続けていくつもり?」と、エルザ・トリオレに言われ(正確には「言ったかのようであった」)、「だがもうすこし辛抱してくれよ、私の恋人、辛抱、辛抱・・・」と答えています(稲田三吉訳)。

私は、私自身に向けて、そうつぶやいています。

アラゴンは1982年没です。




| Clara Zetkin 関係 | 10:00 | - | - |
希望の木の芽たちが山を動かす

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例年になく寒い2月です。「傾聴ボラ」でお話を聴かせていただいている、道端の草花に詳しい車椅子の方が、私に「道を歩いていても何にも花が咲いていないで、つまらないでしょう。でもね、山は今動いているんです。私にはこの窓から見ていてわかる。」といわれました。
山が動くなんてマクベスのようなこと、いや与謝野晶子のようなことを云う方だなと思いましたが、木々に近づいてみると本当なのです。地面には雪が残っているけれど、木々は確実に山を動かそうとしています。
空は真っ青。太陽がまんべんなく回って自然は今、春の準備中。 
     
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私は、クラーラ・ツェトキーンの生涯の「小下図」から「大下図」の途中まで描いてはみましたが・・・・
こだわっていた1921年とはさすがに無理やり手を切って、1924年を経て、1927年も苦労の末通り過ぎて、コミンテルンの第三期に入りました。70歳代に入って病気をたくさんかかえたクラーラが、例の問題の歴史上の有名人たちとむきあうこととなり、クラーラの21世紀のドイツきっての研究者(といわれる)、ターニア・プッシュネラートに、週刊誌の見出しよろしく、時流に受け入れられそうに、見事にネーミングされているのを見せつけられています。資料と、視点との関係について、私の立脚点をかためるために、しばし、足元を踏み直して、山くずれしないための準備をしています。
希望の木の芽たちといっしょにすすめていきたい!

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