伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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避暑地へ
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この白樺林は、昨年7月半ばにも通ったところ。今年は昨年と同じような顔ぶれで8月半ばに通りました。

東京は猛暑だというのに、ここは何と心地よいことでしょう。

トルストイの初期の作品『カフカーズ物語』のなかの『コザック』という文庫本を一冊、古書店で200円で買って、たった数日の避暑地行きに、それをもっていきました。白樺の傍でそれを読みました。

カフカーズ=コーカサスは、いくつからの理由から、今私の心をとらえているからです。
中村白葉訳のコザックの猟師言葉は、北海道の漁師ことばと、不思議とよく似ています。

ローザ・ルクセンブルクは、20世紀の初め、「この地上のどこを探しても、カフカスほど、一つの地域に諸民族が複雑に入り混じっているところはない。太古の昔から、人々がヨーロッパとアジアの間を往来する場であったこの歴史的な地は、それぞれの人々の破片でちりばめられている」(『民族問題と自治』加藤一夫・川名隆史訳)と書いています。

1850年代はじめ、トルストイの描くカフカーズでは、ロシアは、コザックを、チェチェン人と闘わせています。しかし若いトルストイは、カフカーズに暮らすどの民族を問わず、人間と自然を何と生き生きと描いていることでしょう。翻訳によってであるとはいえ、本当に美しく、温かい文章だ思いました。

クラーラ・ツェトキーンは、1923年から何度かこの地に保養に行っていますが、ここで何を観たのでしょうか。そこが問題です。彼女が書いたものがちょっと気になるので、私もカフカーズに行ってみなくてはなりません。

またたくまの数日が過ぎて、帰路はもう渋滞地獄。途中で高速道路を降りて、大垂水峠のカーブに継ぐカーブの一般道に道を取って(私は、退職してから運転免許の書き換えをしなかったので運転は私ではない)山越えをして帰宅しました。他の子連れ2家族は、もっと難儀をして帰宅したようです。

動物病院のホテルに泊っていたタラとフー吉は、シャンプーのいい匂いをさせてすり寄ってきました。
明日も猛暑、しかも湿度が高いとのこと。もう少しの我慢とはいえ、この暑さの日々がさっさと去ることは惜しいとは思いません。

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この貸別荘に3家族

| 旅(国内) | 00:55 | - | - |
窓のゼラニュームもくたびれてきました
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家の中からみると・・

「今道端に何が咲いている?」と、「傾聴ボランティア」に行った特養老人ホームで、いつも花のことを教えてくださる方からテストされてしまいました。すみません。「つゆ草と葵以外全く名前を知らない花ばかり咲いています!この二つとも、北海道の子ども時代に知っている花です」。<もう3年目なのに進歩のない教え子だ>とでも思われているようです。

我が家の庭は草ぼうぼう。熱をさえぎるため雨戸を閉めたままで庭を見ていません。玄関の方は「この家どうかなっちゃっているんじゃないの?」と御近所に疑われても仕方ありません。すみません。

ただ一つみられるのは、30年前に家を建てた時2階の窓から花を外に向けて咲かせる棚(?)をとりつけ、今年は昨年に引き続いて3月から咲かせてどうやらもたせているゼラニュームだけです。
南ドイツの花窓の美しさにあこがれてとりつけたものですが、何年も空っぽのこともあり、昨年と今年はYが世話をして咲かせているのです(私ではない!)。花でも猫でも命あるものは愛情をこめて手をかけなければだめなのだということを学ばされています。Yは今、反原発行動でゼラニュームの世話をする時間がありません。


外からはうまく写せません。
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時間をふんだんにとって心と手をかけなければならないのは、今の私には執筆中のもの。いったいどこまでやれば「よし」と思えるのでしょう。そんなときは永遠に来ないような・・・
ローザとクラーラの関係を見直しています。伝記というものについて考えています。
同じ資料を使っても、資料の使い手の視点によって、描き出される人物が様変わりする伝記をもういくつも読みました。またローザの伝記を書いているある著者が、そこにでてくるクラーラについて十分調べがつかないまま、長いストーリーの中で何か所かに及ぶと矛盾したことを書いてしまっていると思われる例にも出くわします。クラーラの伝記の中に私が登場させる多くの人物に対し、そんなことがあってはならないと思うと、「よし」と思えるときはなかなか来そうにないのです。

集中がとけて、気が抜けて、ふと超現代的流行作家の長編小説に手を出しました。なんて心にくいストーリーの運び方。なんて読ませるんだ。やめられない。しかし、自制しました。

いや感心している場合ではない!しかし、ここからも学べるものはないか?とがめつく思いながら。

オリンピックは感動的なドラマが多い。東京オリンピックの時、私は丁度修士論文を書いていました。
あの時も禁欲していました。なんで何十年もたった今も同じような気持なのでしょう。

ああ、反原発のパブリックコメントを書かなくては・・・これは書いて送信しました。
それにこの国会は何だ!

暑いときは特別集中力に欠ける私です。院生には有無を言わさず集中力を強い、伴走できた私でしたが・・。オリンピックで金を目指した選手たちのように並みでない努力をしなくては。


| 近況 | 00:00 | - | - |
8月に入る

梅雨あけから9月までの日々、北海道生まれの私には耐えられない思いがします。東京は「熱帯」だと覚悟を決めないと生きていけません。それも年々本物の「熱帯」に近づく感じ。だからといって故郷の北海道に、この期間避暑をするという気にはどういうわけか全然なれません。もとより北海道に別荘があるわけでもなし。老猫が2匹もいることと、文献・資料がないと仕事ができないので、この本拠地を長期に離れるわけにはいかないのです。
この夏は、研究・執筆の山場。案の定、書庫に入れば玉の汗。扇風機をつけたくらいではどうにもならない蒸し風呂書庫で、必要な文献を探し、急いでかかえて飛び出しますが、ついこの前までは、ここも快適な落ち着く空間だったのです。
がたがた言っているうちに時間がたつから、とにかく連日猛暑との覚悟の闘いです。
こうして8月に入りました。オリンピックを観戦する時間がありません。

この7月は、反原発運動も盛り上がり、私も7.16に代々木公園の集会・パレードに行った(既報)ほか、7.29の国会包囲デモにも行きました。7.29はもう自発的に電車に乗って、集合所の日比谷公園に行き、札幌での60年安保時代の学友と合流しました。市民の義務・権利としての行動です。 

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日比谷公園で集会をやり、国会包囲への出発を待つ人々(日比谷図書館側より '12.7.29夕刻)

今書き進めている、クラーラ・ツェトキーンの肉体的、外見的老いは早く、ここに写真を載せたいものと思ってもあまりに痛々しくて選びきれません。
若くぴちぴちしていたクラーラが、内面に秘めたるものとは裏腹に、どうしてあんなに早く、健康を害し、老いの苦しい日々を送らざるをえなかったかは、調べがつけばつくほど納得はいくのですが、そこを客観的に書くのもなかなか容易ではありません。猛暑と、反原発と、どうやって折り合いをつけて書き進めるかが問われる2012年の8月です。


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