たらちゃんごめんね。人間でいえば108歳のあなたが(猫年齢19歳)あんまり気持ちよさそうに寝ているのでつい写してしまいました。いつもは非常にお行儀がよく、猫しぐさ(?)の美しいたらちゃん。
米国産の日本猫。三女のK子が、留学を終えて帰国する1995年、2歳のあなたを、飛行機に乗せて連れてきてから17年。しばしば登場する17歳のフー吉と2匹、わが家の家族です。
猫にも暑い夏でした(まだ過去形ではない!)。でも食欲旺盛。牛乳大好き。まだまだへばりません。
人間の方はへばりながら、それでも猛然と目的に向かって進んでいます。いや進もうとしています。
なんのために?ひとえに「目的」のためにです。
スポーツクラブへ週2度行っています。それは楽しみと健康のためですが、私の場合それ自体が目的でないことは明確です。ボランティアも週2回やっていますが、ボランティアをすることも、私はそれ自体は目的ではありません。真の目的に近づくために、直接目的ではないことをやらなくてはならないのです。
現職中は、建前は総じて「給料をいただくために」でしたが、「給料」から解放されると、残り時間も少なくなるうこともあり、「何のために?」という問いと、目的への接近の要求が強く拡大されて強烈に意識されるのです。
この間、第27回女性労働セミナーに参加するためお茶の水女子大学に行ってきました。
テーマは「逆流する規制とリスク化する雇用」、中野麻美弁護士の講演、パートタイムと派遣労働をめぐるお二人の報告。いずれも聴きごたえのあるものでした。
講談師神田香織氏の「チェルノブイリの祈り」も迫力がありました。私は講談なるものをきくのは3度目ですが、最初の時から気にいって、まねをして講義で取り入れて学生をひきつけようとしたこともあるくらいです。今回は内容も内容ですので、芸の力はすごいと思わされました。
続いて、「社会的いじめ―抗う女性たち」という現場からの報告も、じっとしてはいられない思いに駆られる恐ろしいほどの内容でした。日本の、企業、行政、政治は、これ以上私たちを舐めるなと心底いかりがこみあげます。このことが「何のために?」という問いと直接かかわることです。
総会では、役員さんたちが苦労して会を運営していることがよくわかりました。1973年にこの会に入会し、1980年代から、前世紀の終わりまでを会の活動に多くの時間を使った私です。
今は、私の教え子たちも、やっと役員の一員となって、引き継いでくれる立場に立っています。
組織という生き物は、生命を引き継いで発展させていくのに一筋縄ではいかない苦労を伴うものです。特に、女性労働問題研究会のような純自発的組織は運営に苦労するものです。
私は、「博士ばかり生み出しても、女性労働問題研究会の役員になるような人を育てていない」という批判も受けましたが、教育は長い目で見てもらいたいものですね。
社会政策学会も、IFHEも、生活経営学部会も、女性労働問題研究会も、組織は新しい人によって生命をふきこまれ、形を変えながら生き続け発展していくことでしょう。
私は「何のために?」を繰り返しながら「目的」に向かって進みます。