伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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里山はまだ秋ではなかった
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あまりの太陽のぎらつきにおそれをなして8月はおさぼりした「里山を愛する会」の活動、9月なら少しはいいだろうと思って第3週火曜日にでてみたら、何と何と。
したたりおちる汗で目も開けられず、タオルをねじりはちまきにして巻いてそのうえから帽子をかぶり、虫よけの上っ張り(?)を重ねて、斜面の草取り作業をしたら、タオルが絞りたくなるほど汗を吸い、衣類は重ねたすべてがぐっしょりで、リーダーも11時で中止と決定。
里山の作業している場所から下をみたら、こんなのどかな小「農村」風景で、「里の秋」といいたいところですがまだでした。

毎週金曜日の反原発行動、9月14日の金曜日から、官邸前行動に呼応して八王子でもはじまりました。14日は、大阪での経済統計学会の後、大学院時代の同窓会をさる温泉でやっていたので不参加。21日に初めて参加しました。官邸前に行くのと比べて楽なこと!八王子は200人規模。

というわけで、このところ、私の時間の配分の優先順位がいささか狂ってきています。
気象と社会情勢のせい?

涼しくなるはずの「秋分の日」に期待し、それを境目に、つまり今日から優先順位を忘れないように!
「詰めの9月」でなければならなかったはずなので・・・・ 
| 近況 | 00:59 | - | - |
なんのために?
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たらちゃんごめんね。人間でいえば108歳のあなたが(猫年齢19歳)あんまり気持ちよさそうに寝ているのでつい写してしまいました。いつもは非常にお行儀がよく、猫しぐさ(?)の美しいたらちゃん。
米国産の日本猫。三女のK子が、留学を終えて帰国する1995年、2歳のあなたを、飛行機に乗せて連れてきてから17年。しばしば登場する17歳のフー吉と2匹、わが家の家族です。

猫にも暑い夏でした(まだ過去形ではない!)。でも食欲旺盛。牛乳大好き。まだまだへばりません。

人間の方はへばりながら、それでも猛然と目的に向かって進んでいます。いや進もうとしています。
なんのために?ひとえに「目的」のためにです。

スポーツクラブへ週2度行っています。それは楽しみと健康のためですが、私の場合それ自体が目的でないことは明確です。ボランティアも週2回やっていますが、ボランティアをすることも、私はそれ自体は目的ではありません。真の目的に近づくために、直接目的ではないことをやらなくてはならないのです。

現職中は、建前は総じて「給料をいただくために」でしたが、「給料」から解放されると、残り時間も少なくなるうこともあり、「何のために?」という問いと、目的への接近の要求が強く拡大されて強烈に意識されるのです。

この間、第27回女性労働セミナーに参加するためお茶の水女子大学に行ってきました。
テーマは「逆流する規制とリスク化する雇用」、中野麻美弁護士の講演、パートタイムと派遣労働をめぐるお二人の報告。いずれも聴きごたえのあるものでした。

講談師神田香織氏の「チェルノブイリの祈り」も迫力がありました。私は講談なるものをきくのは3度目ですが、最初の時から気にいって、まねをして講義で取り入れて学生をひきつけようとしたこともあるくらいです。今回は内容も内容ですので、芸の力はすごいと思わされました。

続いて、「社会的いじめ―抗う女性たち」という現場からの報告も、じっとしてはいられない思いに駆られる恐ろしいほどの内容でした。日本の、企業、行政、政治は、これ以上私たちを舐めるなと心底いかりがこみあげます。このことが「何のために?」という問いと直接かかわることです。

総会では、役員さんたちが苦労して会を運営していることがよくわかりました。1973年にこの会に入会し、1980年代から、前世紀の終わりまでを会の活動に多くの時間を使った私です。
今は、私の教え子たちも、やっと役員の一員となって、引き継いでくれる立場に立っています。
組織という生き物は、生命を引き継いで発展させていくのに一筋縄ではいかない苦労を伴うものです。特に、女性労働問題研究会のような純自発的組織は運営に苦労するものです。
私は、「博士ばかり生み出しても、女性労働問題研究会の役員になるような人を育てていない」という批判も受けましたが、教育は長い目で見てもらいたいものですね。

社会政策学会も、IFHEも、生活経営学部会も、女性労働問題研究会も、組織は新しい人によって生命をふきこまれ、形を変えながら生き続け発展していくことでしょう。

私は「何のために?」を繰り返しながら「目的」に向かって進みます。
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盛り沢山の8月〜詰めの9月へ
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3年前の8月、私はクラーラの本の序章を書き、続いて9月クラーラを、原稿上で新たに誕生させました。
それから3年目のこの8月、75歳の彼女の生涯を「一応」閉じさせました。章構成でいくと、16章目で「一応」終わりが来たのです。
そのうえで、手抜き工事の章にまた戻りましたが、ほとんど全部に手抜きの部分があり、それを丁寧に埋めるのにまたかなりの時間がかかりそうです。
いくら異常気象といっても、この暑さは予報によると終わる日が近いことがわかっています。しかし、研究は日が経てばいずれ終わるというものではありません。終わりまで自分でもっていかないと終わらないのです。

8月に八王子で仕事をするにはあまりに暑かったということはできますが、それだけが理由ではなく、考えたところまで進めることができませんでした。いろいろとあったのです。

写真の団扇をみてください。そうです。毎週金曜日の夕方〜夜の原発反対官邸前行動に、この8月2回参加しました。昨日8月最後の日も行きました。誰に行けと言われたわけでもありません。主に、60年安保〜70年安保世代の札幌での学生時代の顔ぶれとメールで誘いあって行っているのです。この行動を広めたい、一人でも人数が減ってほしくないと、蒸し蒸しの猛暑の中に団扇を持って行きました。しかし、毎週というわけにはとてもいきませんね。疲れて眠くもなるし、帰りにビールを飲んで学生時代のように大声で議論をしたあと夜遅く帰宅して研究というわけには・・・・。

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8月28日と29日、お茶の水女子大学で生活経営学部会の夏季セミナーがあり、参加しました。生前の御船美智子氏の姿とだぶるお茶の水女子大です。教え子の研究者たちが、さまざまな役について活躍してる姿を観ました。2年前にお茶大に赴任してきた斎藤悦子氏がアルバイトの学生と黙々と働いていました。
29日の夜、新たに名誉会員になった天野寛子氏と、生活経営学部会の部会長の職を解かれたばかりの鈴木敏子氏と、日本家政学会の会長ほか学内外の重職を背負って全開中の大竹美登利氏とディナーをともにしました。この日は、どうしても4人水入らずで話したかったのでした。

私たち4人が共通の友人となったのは1973年のことです。
40年近くたちました。4人とも、部会のあらゆる部門の役員を経験したのち部会長を務めました。私は、家庭経営学部会と呼ばれていた時と2度、社会政策学会の代表幹事と1年重なって2度も部会長をやりました。部会40年の歴史の内、この4人で10年、この部会を牽引したことになります。

しかし、当初私たちは、「全学連の殴りこみ」とか、「魑魅魍魎の跳梁跋扈」といわれたものでした。でもめげずに、跳ね返して必要な多くの発言をしてきたものです。苦しくなかったと言えばうそになります。今思えば<いじめ><ハラスメント>にあっていたようなものでしたから。時の流れが、それが何であったかを教えてくれるものだということをやっとわかりかけています。

今、現役の大竹美登利氏の奮闘はもちろんですが、教え子たちの世代が、組織や理論を引き継ぎ、多くのエネルギーをこの部会に注いでいます。先のIFHEに続いて、こうして引き継がれていき、歴史を作るのだと実感したことでした。

というわけで、涼しくなるであろう9月の私の研究に、今まで以上に専念したいものと思いますが・・・。




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