伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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振り返る時間もなかった2012年さようなら
ふりかえるより、前を向いて歩くしかない。
今日いい写真を写そうとしてもそれもできなかった。
あとでYが写したものととりかえた(先にみちゃった方すみません)。
今日一日このスキー場で読書して(!)過ごした。
トルストイの『セヴストーポリ』(中村白葉訳)と、読み残していたドィッチャー著(山路健訳)『スターリン政治的評伝』下の1940年代である。C.Zetkinが生まれる前と死んだ後のロシア、ソ連の話である。
刻々と時間は過ぎる。2013年になだれ込むという感じ。
元気で2012年を終えることができたことに感謝。

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| 近況 | 23:59 | - | - |
選挙結果のとりあえずの感想断片

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「おうい!私もこの藪庭の隅で咲いているよ」と八手の花が言っている。
八手が、家の庭にいつからあったのだろう。
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「こっちに私もいるよ」と小さな赤い実が呼んでいる。
ごめん。これも知らなかった。手入れどころか、気付きもしなかったのに、自然の生命はすごいね。

自分の研究テーマと向き合っていると、他のものは、気にならないわけではないがどうでもよくなる。

しかし、今回の選挙は、どうでもよくはなかった。今回に限らず、選挙が、いつだって、どうでもいいということはないが・・・
今回は1920年代から30年代を進む研究テーマと、重なり合うところ大であるという理由もあったけれど、そんなことだけではない。「原発」のこと一つをを考えただけでも自明であろう。

12月16日、衆議院議員総選挙と、東京都民は東京都知事選、八王子は都議補選までが重なった。

私は、応援する候補者のはがきを書いたり、街頭演説をききに行ったり、その他、研究時間と矛盾することをやった。しかし、私の応援する人、党がこれまでも選挙で華々しく勝ったことはなく、今回もそうであった。

私は選挙のたびに、もう何十年も前に読んだイプセンの「民衆の敵」をなぜか思いだす。

しかし、いかなる「選挙環境」(例えば小選挙区制)に置かれようと、その環境をも変えて進む、そういう力をつける、ということでなくてはならないのだろう。

「研究環境」についても同じことが言える。「研究環境」がよくないことを、研究ができないという理由にするのではなく、研究への意欲・決意を高め、能力発展の源に変えなければならないことが多い。
そうしなければ、研究者は潰され、研究者生命は尽き果ててしまうから・・・。選挙もそうだろう。

Clara Zetkin の演説の次のことばを思い出す。
          Ich will dort kämpfen,wo das Leben ist.

わが家の藪庭の、それぞれが自力で生命の営みを続けている植物たちが好きだ。



| 近況 | 09:51 | - | - |
再び庭に面した和室を書斎に
6月以来、庭に背を向けていた隣の部屋から、また庭に面した掘りごたつの和室に、資料をひろげることになりました。寒いからです。師走です。それも、あきれた選挙の師走で・・・・・・・・

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フー吉君もいっしょに、この通り、嬉しそうについてきて、庭を見て何か考えているようです。

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柿の木はこの通り。野鳥たちがとまりにくいところには、まだ数個ついていますが―。

そして藪化した庭のすみでは、もみじが、「私が居るよ」と、自己主張しています。
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月日が飛んでいるということです。
私の仕事は、いつまでも、いくつもの螺旋形が錯綜している感じ。
今年最後の月です。私にとって、この事実はおそろしいことです。
それ以上はいわずもがな。その上、選挙の月なのです。
| | 00:09 | - | - |
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