「おうい!私もこの藪庭の隅で咲いているよ」と八手の花が言っている。
八手が、家の庭にいつからあったのだろう。
「こっちに私もいるよ」と小さな赤い実が呼んでいる。
ごめん。これも知らなかった。手入れどころか、気付きもしなかったのに、自然の生命はすごいね。
自分の研究テーマと向き合っていると、他のものは、気にならないわけではないがどうでもよくなる。
しかし、今回の選挙は、どうでもよくはなかった。今回に限らず、選挙が、いつだって、どうでもいいということはないが・・・
今回は1920年代から30年代を進む研究テーマと、重なり合うところ大であるという理由もあったけれど、そんなことだけではない。「原発」のこと一つをを考えただけでも自明であろう。
12月16日、衆議院議員総選挙と、東京都民は東京都知事選、八王子は都議補選までが重なった。
私は、応援する候補者のはがきを書いたり、街頭演説をききに行ったり、その他、研究時間と矛盾することをやった。しかし、私の応援する人、党がこれまでも選挙で華々しく勝ったことはなく、今回もそうであった。
私は選挙のたびに、もう何十年も前に読んだイプセンの「民衆の敵」をなぜか思いだす。
しかし、いかなる「選挙環境」(例えば小選挙区制)に置かれようと、その環境をも変えて進む、そういう力をつける、ということでなくてはならないのだろう。
「研究環境」についても同じことが言える。「研究環境」がよくないことを、研究ができないという理由にするのではなく、研究への意欲・決意を高め、能力発展の源に変えなければならないことが多い。
そうしなければ、研究者は潰され、研究者生命は尽き果ててしまうから・・・。選挙もそうだろう。
Clara Zetkin の演説の次のことばを思い出す。
Ich will dort kämpfen,wo das Leben ist.
わが家の藪庭の、それぞれが自力で生命の営みを続けている植物たちが好きだ。