伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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和室の書斎の友だち:猫と野鳥
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和室の書斎には、部屋の雰囲気にそぐわない、古いソファが一角を占めている。ここにこうしてお座りして、私をしばらくボーッとフー吉君が見ている。それからおもむろに「失礼」と横になり寝込んでしまう。
フーちゃんありがとう。そこにフーが居るというだけで何か嬉しい。でも私も一緒に昼寝したくなる。

部屋の別の側の障子を静かにあけると、冬枯れの荒れ庭が目に入る。昨日大雪が降って庭は真っ白になった。雪がやむとすぐ、庭に、いろいろな野鳥が飛んできた。たくさんの雀に交じって、鶯色のメジロのつがい。四十雀のつがいもやってきた。屋根に雪をかぶった餌台に雀がメジロ押しに詰まって餌を食べている。
その間に、メジロの1匹が巣箱を覗いた。アレ?中には昨年、挨拶もなく巣立った四十雀の古巣の残骸があるはずだ。メジロは、多方面から検討を終えて、「ここは嫌」という様子でつがいで去っていった。
こんどは、順番を待っていたように四十雀が、巣箱を覗き、勝手知ったかのように中に入って行った。つがいの1匹は、隣にある数年実をつけないミカンの木にとまって様子を見ている。この四十雀はやがて頭を出してまるい穴からでてきた。いろいろな四十雀が何度も中を覗き、入って行くので、私は気になってパソコンに目をやる暇がない。ついに傍らのカメラに手を出して狙いを定めた。
しかし、写したものにはどれも、鳥はいない。本当にスバシッコイ。

障子を閉めた。これから毎日この調子だと、仕事が計画通り進まないことは請け合いだ。
掘りごたつを捨てて、庭に背を向けて、気の散らない部屋に移ることも可能だが、私は年末、プールが面倒になって水中ウォークをさぼって、筋トレの方を選び、負荷をかけすぎて、足を痛め、整骨院がよいの身である。それなのに、12月28日の官邸前集会も、1月11日の「金八デモ」にもでてしまい、その他、その他、ここに書くことがはばかられるようなことをやって、そのせいでなかなか治らず、炬燵で足を温めているのが心地よいのである。

歩くということが重要だと思い、車の免許証も3年前に更新せず、多摩丘陵の富士の見える道を散歩し、水中ウォークも続けていたのに、本当に失態だったと反省している。書庫に頻繁に出入りして確認しなければならないものが多いこの時期に、炬燵から足を出すのがおっくうだとは!
そんなとき、先輩の訃報を聞いた。すべて詰めができていない各章を思い、障子は時間を決めて開けることにする。
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先送りできない限界の2013年を迎えて

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2013年1月1日  富士と雪と子どもたち(信州 清泉寮の前で)

今年は、クラーラ・ツェトキーン没後80年。
アウグスト・ベーベル没後100年。
私が、新川士郎先生からクラーラ・ツェトキーン研究のテーマを与えられてから50年。

こういう年には、自分で判断してもはや先送りできないことがある。
先送りできることは、大方あとまわしにするにしても、今、やらなければならないことは、研究ばかりではないのが、私にとって問題なのだ。

やはり、今年も、これまでどおり、研究、地域活動、スポーツクラブ通いはやる。手掛けたことを継続するというのが私の流儀である。すべて誰に強制されたものでもない。
完全な自発性の中で、自己統治能力が今年ほど問われる年はない。

今年、家の近くから富士山が見える日が多い年だとよいが・・・
私は富士を見た日は、嬉しくなる。
そして、世界中の子どもが悲しい思いをしないような地球であるようにしたい。

今年の終わりは、1年を振り返るゆとりを残せるようでありたい。





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