伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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桜と締めきり
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多摩丘陵を散歩していると、あちこちに桜の木があって満開です。風も春の香り。
え!散歩している暇あるの?あるようですね。その代わり自分の家の庭を全然見ていません!
今日で、反原発の官邸前集会が始まって1年。さすが今日は「金八デモ」で我慢。

今私は修羅場に居るはずです。あと2日の修羅場のはずですが、「どんな感じか」と問われれば、何と答えていいかわかりません。まあ、「結局この程度で諦めるというわけね」という感じです。
わかったことより、わからないことへの気づきがふえるばかり。えらそうなことは全然言えません。

自分ひとりで締め切りの日を決めたつもりが、大事な相手が待っていることを忘れていました。この原稿を本にしてくださる出版社の社長さんです。とにかく、耳をそろえて持参する日が、社長さんによって決められました。それが、私の心づもりより4日先でした!
桜はもう散っているでしょうか。

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| 近況 | 20:33 | - | - |
2年目の 3.11
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この写真は、友人、天野寛子さんの、フリー刺繍画です。許可を受けて載せさせていただいています。 (色が原画と少し違います。うまく色を出せませんでした)
 刺繍画家のケーテ・コルヴィッツとでもお呼びすればいいでしょうか。
 
 2年目の3月11日が通りすぎます。

 天野寛子さんは、東日本大震災を糸と布で繋いで、誰にもまねのできない、復興への連帯を、下記の個展で表現されます。

           天野寛子フリー刺繍画展―東日本大震災―
 彩波(いろは)画廊:東京都中央区銀座7−8−1丸吉ビル1F(地下鉄銀座線「銀座」下車)
 2013年4月2日(火)−4月8日(月) 11:00−18:30(最終 16:00)

昨日3月10日(日)、東日本大震災からの復興と原発ゼロを目指す行動が、日本中で、そして、丸一日東京で行れました。八王子からは、午前の部、日比谷公園での集会をめざして、「民医連」がJR八王子9時発のバスを出すというので、地域の友人たちとそれに乗り込みました。
 のべ4万人の参加者が、日比谷公園、永田町霞が関一帯を埋めつくし、午後、怒り狂ったように太陽を隠した砂嵐の中を、長いデモ隊が交差して続きました。

そしてまだ行動の続く、この一帯を後にして、急に気温が下がりかけたころ、私は、「伊藤・天野院ゼミの会」出席のため、新宿へむかいました。

今年も、いろいろお祝いすべきことがありましたが、メインは、私の最後の院生、吉田仁美さんの送別会でした。任期制助教の4年目が終わる2013年3月、あと1年の任期を残して、来年度から、岩手県立大学の社会福祉学部に、障害者福祉論の専任講師として、赴任することのお祝いです。任期制から解き放たれ、テニュアとしての30年が眼下に開けたのです。岩手県は吉田さんの出身地。そして被災地。赴任先の大学は県立大学として、復興に大きな役割を果たしているところです。
4年前、彼女を大学に残して退職した私は、4年間多くの業績とキャリアを積み重ねる彼女を、頼もしく思ってきました。岩手は私の父方の先祖の地でもあり、親近感を覚えます。岩手といわず、インターナショナルに羽ばたいていただきたい。心から今後の発展を祈ります。

というわけで、天野寛子さんも吉田仁美さんもとても良い結果を出しています。
さあ、次は私も!2年目の3月11日に、後20日しかない締め切りの日に向けて改めて決意表明です。
うわー、時間が足りない!!!
| 近況 | 23:14 | - | - |
春一番とオオイヌノフグリ
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書類提出に追いまくられなくても良くなって4年目の3月に入った。晴れた初日に富士山の方向に丘陵を散歩していると春一番が吹き、飛ばされそうになった。富士山が見えない方角に道を曲がると私はいつも道端に目をやる。ああ、オオイヌノフグリが、あちこちに顔を出している。
その前日もここを歩いたはずなのに、見落としたのだろうか。全然見かけなかった。
大地には生命が蠢き、青い大空に伸びた木々の梢は、芽をいっぱいにつけている。
春が来たのだ。

この3月は、私の「臨月」である。2005年度に、今の仕事のテーマで4年間の科学研究費が当たった時から数えても、8年間は孕んで育てていた研究の「産み月」である。
私がそう決めたのだ。
しかし、研究は、生命と違って、「月満ちて」というわけにはいかない。
決めたはいいが、うまく産み落とせないかもしれない。

何というスリルに満ちた3月。苦しい3月。そして楽しみな3月!
他のものは多少手を抜いても、反原発の金曜日行動だけはこれまでと同じようにする。
震災2年目の3月。いくら私の「臨月」でも、このささやかな行動もできないようでは、私の研究の魂も抜ける。

| 近況 | 00:06 | - | - |
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