伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
<< July 2013 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
たった一日の校正のない日
2013072614570000.jpg

2013072614580000.jpg

6月6日から50日間、とにかくあいている時間は(あいていなくとも)、すべて校正をやっていた。参院選の開票の時は、テレビを見ながらだったので、きっと粗雑な校正になっただろう。
最後の山場の第3部は、本来の書斎コーナーに作業のスペースを限定して、必要な資料をこのように回りの書棚にぎゅうぎゅう詰めて、やれるだけやった。しかし、私特有の妥協が入って、「やれるだけ」の意味が怪しい。きっと編集者に指摘されるだろう。

やっと昨日、第3部を提出してやれやれと思っていたら、出版社から、さっそく今日、待っていましたとばかりに「受け取った。これから再校を送る」という電話が入った。
初校もおそろしいが、再校も別の意味でおそろしい。

たったひと夜、校正の対象が手元にない間に、参院選後はじめての、反原発国会前集会に行ってきた。暑さと疲れを考えて、身構えて出かけたが、どうということはなく、意外な方たちに出会った。

というわけで明日から、襟を正して再校に入る。だんだん、先延ばしも、逃げもできないところに追い込まれていくのを感じる。
| 近況 | 23:52 | - | - |
猛暑の中で初校は続く


2013071409510000.jpg 2013071413460000.jpg

えっ? まだ初校をやっているの? そうです。昨日、連日初校と格闘して41日目に、やっと、第2部の初校を出版社に戻しました。ですから、まだ、なんてものではありません。
第3部が残っています。第3部が一番長い。小山、中山、を超えて、大山を今見上げています。
13-15日の連休に、ちびたちの来客あって、階下の臨時占拠書斎を寝室にあけ渡すため、2階の本来の書斎コーナーに引っ越しました。フー吉もついてきて、足元で寝ています。
それで階下では目をやらなかった庭を、2階のベランダから、見下ろすとこの通り、夏の真っ盛りです。
校正に明け、校正に暮れ、寝ても覚めても、校正、校正です。

ここに至っても、反省すること、教訓、今まで以上にいっぱい! 次回に生かそうにも、生かす時間も切れたも同然だというのに!まあ、こんなものかも・・・・・

スポーツクラブ、ボランティア、反原発、地域活動はどうしているの? 
それは、間引きしながらやっています。
しかし、机を離れて猛暑の中を動くということは、時間的問題だけでなく、肉体的に消耗であることは確か。今のところ、睡眠をとればなんとか体力・気力が回復しているとはいえ、初校の途中で放り出すわけにはいかないという緊張感が張詰めて、ぴりぴりしています。
特に、第3部という大山を越えるには、これまで以上に気力を高めていかなくてはならないので、自己管理の状況判断に的確でなくてはなりません。(これは自分に言い聞かせています)。次は、第3部が手を離れてから更新します。「今どこ?」なんて聞かないでね。

| Clara Zetkin 関係 | 20:58 | - | - |
日本野鳥の会の福島原発被災地エコツァー
 
7月4-6日が、校正のどの段階にあるかも考えず(結局2日に第1部の初校をもどしましたが)申し込んでおいた「日本野鳥の会・福島の原発被災地を訪ねるツァー」からさっき帰宅しました。

参加者32名(うち女14名)、野鳥の会職員4名、福島駅から飯館村をバスで突っ切り南相馬市に入る過程で自己紹介。熊本、福岡、高知、福井、三重、兵庫、静岡、東京、埼玉から、福島をこの目でみなくてはと、強い動機で参加されていることを聞いて、さすがと思いました。
野鳥の会会長の柳生博氏も(福島駅に現れて)歓声。
   

とても時間がなく、見聞や感じたことほとんど書けませんが、今日書かないともう書けません。(思い切りの悪い私は、校正作業を持参したりしていたくらいなので・・・)

福島原発5kmの立ち入り禁止地域に入り、(野鳥の会の調査ツアーなので特別許可)、地震と津波+原発の南相馬請戸小学校と破壊された港界隈を小雨模様の中、観察。
学校の中の黒板に、
2011年3月11日がそのまま残されていました。


2013070509260000.jpg


田んぼが今では地磐沈下を経験しつつ雑草が生い茂っていますが、その見渡す限り一面の雑草の中に船が浮かんでいるように、また完全にひっくりかえったり、建物の中に千切れた船が放置されていました。
10k地点。大和田川河口近くの津波による破壊−ここもそもまま放置。

原発爆発後、風向き等から大量の放射線が降下した飯館村を訪問し(マスクをつけ、舗装道路だけを歩くように言われて)、昼間だけ戻ってきている地元の人から話をききました。
側溝は測定機器の最大限を振り切るくらいの高い空間線量。基準値の何十倍と言う線量が依然として観測されます。

   
はるじおんが生い茂った飯館村の線量計2013070610060000.jpg





3日で密度の高い経験をしました。
▼相馬市の松川浦漁協の幹部から、避難時の命がけの様子や福島の漁業の現状をきけたこと、
▼仮設住宅2か所、福島市の果樹園経営者から農業の様子をきけたこと、
▼野鳥の会のツア−の狙い:水田が放置されて雑草がおい茂るとともに、鳥や野生動物の分布に変化があらわれてきたこと。また、チェルノブイリのときに観察されたことだが、生息するツバメが特に巣をどろでかためて作ること、えさの汚染を通じて、ヒナが汚染され、異常(身体の黒い部分に「白化」が現れる。これを、相馬市、南相馬市、飯館村等で、一部を観察すること、水田の休止、雑草化で、ノスリ、キジが増えた、こと、またツバメ観察を3カ所でいくらか経験しました。

感動的だったのは、自主的復興に賭ける、中高年の現地に残る被災当事者の、夢、創意工夫、希望のことばでした。たくさん、書き残したい言葉を聴きました。いつか書きたい。
ひとつだけ。どなたも「原発と生命は共存しない」でした。

このような状況の中ですばらしいリーダーをもつ福島に心からのエールを送りたい!
それに野鳥観察を通じて非常に大胆な意味ある企画をした野鳥の会の職員に感謝したい!
そして私も自分の持ち場で足を踏みしめなくては!

2013070509490000.jpg

線量のたかいところでもノイバラが咲いていました。
| 旅(国内) | 22:56 | - | - |
PROFILE
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
OTHERS
このページの先頭へ