7月4-6日が、校正のどの段階にあるかも考えず(結局2日に第1部の初校をもどしましたが)申し込んでおいた「日本野鳥の会・福島の原発被災地を訪ねるツァー」からさっき帰宅しました。
参加者32名(うち女14名)、野鳥の会職員4名、福島駅から飯館村をバスで突っ切り南相馬市に入る過程で自己紹介。熊本、福岡、高知、福井、三重、兵庫、静岡、東京、埼玉から、福島をこの目でみなくてはと、強い動機で参加されていることを聞いて、さすがと思いました。
野鳥の会会長の柳生博氏も(福島駅に現れて)歓声。
とても時間がなく、見聞や感じたことほとんど書けませんが、今日書かないともう書けません。(思い切りの悪い私は、校正作業を持参したりしていたくらいなので・・・)
福島原発5kmの立ち入り禁止地域に入り、(野鳥の会の調査ツアーなので特別許可)、地震と津波+原発の南相馬請戸小学校と破壊された港界隈を小雨模様の中、観察。
学校の中の黒板に、
2011年3月11日がそのまま残されていました。
田んぼが今では地磐沈下を経験しつつ雑草が生い茂っていますが、その見渡す限り一面の雑草の中に船が浮かんでいるように、また完全にひっくりかえったり、建物の中に千切れた船が放置されていました。
10k地点。大和田川河口近くの津波による破壊−ここもそもまま放置。
原発爆発後、風向き等から大量の放射線が降下した飯館村を訪問し(マスクをつけ、舗装道路だけを歩くように言われて)、昼間だけ戻ってきている地元の人から話をききました。
側溝は測定機器の最大限を振り切るくらいの高い空間線量。基準値の何十倍と言う線量が依然として観測されます。
はるじおんが生い茂った飯館村の線量計
3日で密度の高い経験をしました。
▼相馬市の松川浦漁協の幹部から、避難時の命がけの様子や福島の漁業の現状をきけたこと、
▼仮設住宅2か所、福島市の果樹園経営者から農業の様子をきけたこと、
▼野鳥の会のツア−の狙い:水田が放置されて雑草がおい茂るとともに、鳥や野生動物の分布に変化があらわれてきたこと。また、チェルノブイリのときに観察されたことだが、生息するツバメが特に巣をどろでかためて作ること、えさの汚染を通じて、ヒナが汚染され、異常(身体の黒い部分に「白化」が現れる。これを、相馬市、南相馬市、飯館村等で、一部を観察すること、水田の休止、雑草化で、ノスリ、キジが増えた、こと、またツバメ観察を3カ所でいくらか経験しました。
感動的だったのは、自主的復興に賭ける、中高年の現地に残る被災当事者の、夢、創意工夫、希望のことばでした。たくさん、書き残したい言葉を聴きました。いつか書きたい。
ひとつだけ。どなたも「原発と生命は共存しない」でした。
このような状況の中ですばらしいリーダーをもつ福島に心からのエールを送りたい!
それに野鳥観察を通じて非常に大胆な意味ある企画をした野鳥の会の職員に感謝したい!
そして私も自分の持ち場で足を踏みしめなくては!
線量のたかいところでもノイバラが咲いていました。