2013.08.31 Saturday
何という暑い8月の終わりだろう。柿の木は青い実と、葉の裏に蝉の抜け殻をいっぱいつけて、ぎらぎらする太陽に、身を縮ませているように見える。 この8月、私は恒例の研究会や学会に一切出なかった。手帳に日程すら書いていない。私が、ずっと関わってきた研究会や学会にである。 考えてしまう。ということは、私のアイデンテティは、こうした研究会や学会にはなかったということなのか。なんだか知らないが私はとにかく、今の研究を完成させたいのである。私のアイデンテティは、定年や年齢にかかわりなく、他のいっさいにもかかわりなく、研究者で在り続けることである。そして今わかりつつあることだが、今の研究がライフワークなのではない。イチローの言葉を借りれば、今の研究は「通過点」なのである。 人間、生きている時間に、その時間を何に使うかの選択肢はごまんとあるが、その選択が自由にできないのが、人生の大半であるように思われる。残された時間が残り少なくなれば、自分のアイデンテティとプライオリテイの絡みで人は慎重な行動をするだろう。一見、矛盾したような時間の使い方もその人の、奥底の思想性というか哲学と結びついている。それは、他人には推し量れないもののように思われる。 とにかく、私の当面の「再校」が終わりの段階に入っている。研究にプライオリティをおきながら人一倍校正において不注意な私が、この猛暑の中で呻吟している。「初校で直します」「再校まで何とか」という甘えがもう許されない恐ろしい段階に入った。しかし「三校」だってだめなのだということはこれまでの経験からわかっている。1984年の500ページの単著の出版の時(あの時は手書き)実に7校までやってもダメだったのだ。 今回は「5校まで」と言われている 9月が少しでも涼しければいいが・・・・・ たとえ涼しくても、9月の学会はもちろん、10月の学会にも出られまい。 優先順位を決めるのに逡巡も許されない。自由な選択も不自由ではある。 |