伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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五度目の秋に
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地域に生きるライフスタイルを軌道に乗せ、今の仕事にとりかかってから、早、5度目の、柿の実る季節がやってきた。野鳥が数羽柿の実をついばみに飛んできたので、急いでシャッターを押したらどこにも鳥の姿はない。

地域の活動に不義理を重ねて、索引のマーカーつけと、本文の校正「4校」とがやっと終わって、出版社に送り、出版社からは付属物の一部の再校が戻ってきた。

付属物とはいっても、文献リストも、年譜も、家系図も、地図も、目次も、私にはみんな一つの独立した作品に思われる。きちんとやりたい。
これらの完成には11月いっぱいかかるだろう。

ここに至って、あれこれ足りないことに気付くだけでなく、ここから始まるのだと思ったり、関係ないことをもいろいろ考え、やりたくなる。

そういえば、イチローがだいぶ前(20代の終わり)「いろいろ考えてしまうのが人間ですが、でも、それを含めての『力』ですから」とか、「ムダなことを考えて、ムダなことをしないと、伸びません」という言葉を発していた。
野球の場で、全然違う状況においての言葉であるが、私には妙に頷ける。野球をほとんど知らないくせに、すぐ自分に勝手に引き付けるのだ。

しかし、ある目的をもっている人がやることであれば、ムダに見えてもムダなことは一つもないという結果になるのではないか。私がこの1日、どんなムダをやったかは書かない。

とにかく、付属物の再校に戻らなくては予定が狂う。
柿の葉の最後のフレディ君が落ち、実が一つもなくなるのはきっとあっという間だろう。


| 近況 | 12:52 | - | - |
No Nukes Day統一行動
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    出発点に集まったファミリーグループ

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コース行進中のファミリーグループ

今日は、10.13のNo Nukes Day 統一行動。
日比谷公園集会、デモ、国会包囲と3つの行事が夜まで繰り広げられましたが、手を離せない状態にある第4校を中断して、2時過ぎから約1時間のデモだけに参加しました。
トップで街頭にでたファミリーグループのなかにまぎれこんでー。子ども、乳母車をおした若いお母さん。おばあちゃん。ゴールまでシュプレヒコールを続けて、ゆっくり歩きました。

体力と時間の消費を最小限にしてー、それでも参加しないわけにはいかなかった!
おかげで全然疲れませんでした。
夕方帰宅して、すぐまた第4校の作業にかかる。さすがに作業(作業だけ!)は楽になりました。
しかし、複雑な索引の手ごわい作業がこの先にある。文献リスト、年譜の校正はまだ初校。

13日-14日と社会政策学会が大阪であるのに、参加をあきらめて、連休のうちに作業を進めて出版社に戻そうと思ったのですが、まあ、こういうことをしているというわけです。
| 近況 | 18:35 | - | - |
校正恐怖症・校正認知症
 
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あの暑さは本当に去ったのか? 暑さを生き延びたわが家の窓のゼラニュームがきれいな色でホッと息をついている。33年前、南ドイツとオーストリアを旅した時のまねごとが、この窓なのだが、今年訪れたかの地も、33年前と同じえも言われぬ美しさだった。あれはもう夢のようだ。

「三校」と並行して、「索引」の準備をしているときに、プロの校正者の手による「プロ校」が送られてきた。さすがだ。脱帽である。

はじめての論文を、1964年に、『北大経済学』に発表してこの方50年近く。どれだけの論文や著書を書き、その都度、「校正」をやってきたことか!
500頁の学術単著1冊、300頁の学術単著も数冊書いた。それなのに、校正はほとんど素人に等しいのである。今回は千ページを超えるから、これまでと質的に違うということもいえなくはない。
私は7校までやりたいと申し出てあきれられた。500頁の時でさえ、7校までやってもだめだった経験があるからだ。私にとって、校正は恐ろしいもの以外の何ものでもない。その恐ろしいことを6月からほとんど毎日やっているのである。校正の経験は、私には蓄積されないのか?
私はもともと「校正恐怖症」である。それが高じて、もしかして「校正認知症」という病に罹ったのではないか。罹っても不思議はない!!!

「索引」に至っては、今回私にはある思い入れがあった。しかし、である。今回、それを思った通りに貫けるだろうか。貫くとしたらまた大変なエネルギーが必要だ。一人ではとてもできそうにない。魔法使いのようなプロの校正者が、魔法をつかってくれるだろうか。いや、人頼みではダメだ。自分が問題だ。まだまだ時間がかかる。しかし、そろそろ時間が不足してきた。

と、思いは乱れながら、一つ一つ言葉を選び、拾うよりほかに手はない。これも研究者の大事な仕事の部分である。

10月は、どうやら自分との決戦の時のようである。
| Clara Zetkin 関係 | 21:14 | - | - |
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