伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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女性労働問題研究会主催の3回の拙著批評会は早くも終わった!
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仕事の場所を、階下から、2階の狭い書斎コーナーに移してから早、1年以上たちます。書架にならぶ本や資料は必然的に入れ替わっています。
あいかわらず、ごちゃごちゃですが、確実に入れ替わっているのです。
23日に、女性労働問題研究会主催の拙著の批評会の第3回目が終わりました。
コメンティターは、研究会の長い会員である北大名誉教授の荒又重雄氏にお願いしていたので、この暑いさなかに氏は、秋風の吹き始めた札幌からわざわざ上京してくださって、申し訳ない思いをしました。
50年前の、私のクラーラ・ツェトキーン研究着手のときから、新川士郎先生と、進捗状況を身近にみていてくださった氏ならではのコメントも多くあり、集まった方は、別世界を覗かされた思いがしたかもしれません。
古い会員から新しい会員まで17名集まりました。懐かしい顔、嬉しい組み合わせなど、有り難いことでした。主催してくださった研究会、それに世話人の方にお礼を申し上げます。
討論で出された問題は、やはり私の次の研究でお答えするしかありません。
それまで待ってくださいといっても、もはやあと50年と云うわけにはいかず、せいぜい5年?
こうして、3回の企画もあっという間に過去となりました。
私の書斎コーナーの中身がどんどん入れ替わるのは当然でしょう。

この間、原発関係と特定秘密保護法関係で2度(15日と24日と)のパブコメの締め切りが入り、これも例によってドタバタとメールで送信しました。
市民運動の形態に、これまで署名というのが大きな位置を占めていました。
今は、パブコメが主流とまでは行かなくても加わっています。パブコメを書くには、署名より多くの知識を要求されます。 
郵送、FAXでも可とはいえ、メール送信が主流でしょう。パブコメワークショップが開かれたり、パブコメの例示が多数MLを通じて流されています。
女性運動についても全く例外ではありません。パブコメを超えて、運動の側の主体性・統治能力が重視される時代です。
クラーラの時代の運動が、内容だけでなく、形態においても、今日の運動にどのように繋がって行くのか、どう発展させていくのかを、立ち位置をずらさずに、感性を研ぎ澄ましてきちんと見据えるという課題が、私の次の研究に課されています。
時の早く経つことを嘆くのはまだ早い!

8月25日の『朝日新聞』夕刊に、オノ・ヨーコ氏の言葉が、「81歳の気迫」として載っていました。
「私たちは本来皆若いのよ。それを社会の法則に合わせて生きようとするから年をとっちゃう。私はそんなこと考えてませんからね」。
そういえば、8月16日、「女声合唱団くらら」のファースト・コンサートを指導した、八王子在住の83歳の歌手、渡辺昌子さんも「昌子さんの情熱に『枯渇』の文字はありません」と紹介されていました。

私もガタガタいうひまがあったら・・・・・。
 
| Clara Zetkin 関係 | 00:00 | - | - |
老いたフー吉くんとわたし
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わが家の癒しのフー吉くんは、いよいよ高齢、19歳です。
暑い夏でもがんばって餌を食べ、水を飲み、ニャーンニャンと声を出して甘えています。
人間の方も、高齢になり、「後期高齢者医療被保険者証」が届いて「はっ」と思ったのもつかの間、「長寿を祝う会 ご案内状」を民生委員の方が持ってきてくださって「えっ」と思いました。
市長さんや市の社会福祉協議会の会長さんのごあいさつがあって、あと演芸があるそうです。

出し物は、なつメロ演歌と歌謡ショー。55年前、成人式の案内を受け取った時のことを思い出しました。その時も歌謡ショーがありました。

最近になって、キケロ―の「老年について」と、セネカの「生の短さについて」を読みました。
セネカは、「生は出発点となったその日から走り出しそのままに駆け行く」
「現在という時は常に動きの中にあり、流れ去り、駆け去る」といっています。

いろいろな意味で、市の催しに、きちんと参加しておかなければいけないと思うのですが、今回は、やはり、時間が不足しそうになるかねてからの「計画」にあてようと思います。

時間を何に使うかということは、時間が自由になる老年においては、それこそ自由ですが、自分の信条、自分の流儀で使うことが許されるわけで、それゆえに、それは確たるものである必要がありそうです。

新しいテーマは、まだ周りを固めるのに手間取って、先へすすみません。クラーラの時より膨大な年譜・年表ができつつあります。知らないことが多いということを知る日々です。
キケロ―の本の中に、ソローンの「自分は日々多くを学び加えつつ老いていく」と云う言葉が2度もでてきます。

いろいろ考え込んでいる私の傍で、老フー吉が寝ています。

 
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猛暑のなかでとりとめのないこと
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暑さに耐えかねた週末、丁度涼しい南関東で開催された高校総体の男子サッカーの見物・応援に行って、近くのペンションヴィレッジに泊りました。高校生の熱気あふれる応援に、涼しさもふきとばされ、かつ、この数か月のうちに、こどもから少女へ、少女から娘へ、少年から青年にそれぞれ変化していく孫たちの姿にも圧倒されました。
この速度で私も「熟年」高齢者の月日を重ねているのかと納得し、時間管理はもちろんですが移動の問題についても考えさせられます。

毎日「暑い」「暑い」の8月です。でも、ここは涼しい。空はもうなんだか秋の気配。
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渋滞に巻き込まれ、じっと我慢で帰ってきました。
退職後の最初の自動車免許書き変えの機会に、Yの意見を退けて運転の継続を自ら放棄してしまった私は、今になっていささか後悔。早まったか!長時間運転を人任せにして助手席にのうのうと居座っているのは申し訳ない。
それに移動の自立も放棄したような気持ち。いや、足とバスがある!
当初は、散歩、歩くことに徹しようと思ったのですが、この猛暑の中では、外を長くは歩けない。
それに多摩丘陵は起伏が多く、特養老人ホームに傾聴ボランティアに行くのもこの暑さでは、登ったり下ったり大変で、汗が収まるまでの時間を考慮して出発する必要もでてきます。
バスは、バス停まで行くのも汗まみれとは!
それでも首都大学東京の図書館にはバスで簡単に行けますが、大原社研となると、バス、電車、バスで、簡単とは云えない。

しかし、やめてしまった私にはもう関係ありませんが、いつまでも車の運転をするのかも問題。
結局、個人差を考慮に入れてできる範囲でしかできないということになる。
年月、季節の移り変わりを考慮に入れて、何をいつやるかの時間管理がますますきめこまかくなければということですね。
 
| 近況 | 01:22 | - | - |
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