伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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坂西雅子さんとの対話  ”Do not stand at your grave・・・・・・”
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7月21日は雅子さんの納骨の日です。知らせをだいぶ前にいただきましたが「行かないからね」と連絡しました。
その時間の前に、私たちだけの「特別回線」で雅子さんと対話します。上の写真は、雅子さんが入院していた緩和ケア病棟のロビーにあった水槽です。雅子さんも、何度もここを通ったよね。
私はこの水槽の中の小さな魚の動き、小さな命を見つめていました。


「セツさんと、生きている私と最後に会ってから4か月近くたったね。『お別れ会』の時は約束を果たしてくれてありがとう。あのあとどうしてる?全然私は何も知らないよ。メールも電話も届かないもね。ブログも読めないし。今日私はいよいよ土に還るこれからの居場所、宇美、次郎、そして八郎、私の愛した3人が先に入っている場所に移るの。だけど、あなたが望んでいるように、『千の風』にもなるからね。
私と別れる最後の日、私の部屋でやっていた研究の進捗状況はどう?あなたの本の書評は確か4本くらい見せてもらったけど、3月中にあと何本か出るって言ってたでしょ。それ見せてもらわないでしまったけど、出たの?二刷りはどうした?それに、憲法9条はどうなった?」


雅子さん、私はあいかわらずの日々ですよ。あなたにメールも電話したいと思うことは何回もありました。研究は、面白いね。ずいぶんたくさん本を読んだよ。認識が深まるごとに、一度読んだ本をまた読み返すと、まるで別の発見がある。恐ろしいなあと思ってしまいます。今まで目はどこについていたの?って。朝顔が弦を伸ばすように、私の問題意識の弦も次々といろんなものに巻き付いて、だんだん上に行って「なるほどなあ」と思うことがあります。でも根が枯れないうちに、弦が行きどころなくなってごちゃごちゃにならないうちに、ちゃんと実をむすばなきゃね。

これまで考えもしなかった本にも手を出しました。Amazonで1円とか200円とかで売っている本を次々に発注して、たたでさえごたごたの書斎コーナーは、目も当てられないよ。勿論、発行時30円のが4000円で売っているのも買った。図書館に行く暇ないし、実物自分のものにしたかったから。今流行の「ダンシャリ」とかいう考えの反対を生きている!
それらは一応、年表に入るものは、
私のオリジナル年表の中で整理してある。頭に入れたものは、該当する章に急いで書きこまないと、すぐ消えてしまいそう。だから、章・節だてを細かくして並行して進行させている。
とにかく、これまでもそうでしたが、「一行でも一語でも前に進める」ということでやっています。そうすることで私は私になるのです。

この間の他の私の仕事、6月の日本科学者会議の全国女性シンポの実行委員長たる経験がどんなもので、どう成功させたか聞いてほしかったな。でもまあ成功したといえるし、あなたの「マコさんを支援する女子会」の友人たちも、札幌や弘前から来てくれましたよ。
そのあと、八王子の生涯教育センターの市民講座が7月に入っていたけど、それも、いろんな市民の人たちが来てくれて終わりました。あなたとよく話した地域での活動も丁寧な時間の積み重ねが大事なことを実感します。

それより、本の書評は、最後に出たものはやっと6月の末だから、ここに整理してみます。丁度良い機会だから。書評を書いてくださったみなさん、あなたが作ってくれた正誤表と見比べて書いてくださったのですよ。書いていただいた方には本当に申し訳なかった。私はものすごい時間泥棒をしたのではないかって。

水田珠枝、2014.04.18 書評 週刊『読書人』
「50年の研究の集大成 可能な限り実像にせまる」
・矢野 久、2014.11.30 書評 イギリス女性史研究会
『女性とジェンダーの歴史』No.2:47-49.
・倉田 稔、2014.11.30 書評 同上:49-50
・荒又重雄、2015.03.01 新刊紹介 昭和女子大学『学苑』No.893:86-87.

               
ここまでは、雅子さん読んだよね。そのあと出たのは次の通り。

高田 実、2015.03.25 書評と紹介 『大原社会問題研究所紀要』No.677:61-63.
・掛川典子、2015.03.31 書評 『昭和女子大学女性文化研究所紀要』No.42:79-82.
・荒又重雄、2015.04.01 書評 『労働総研クォータリー』No.98:58-59.
・松丸和夫、2015.06.31 書評 『女性労働研究』No.59:152-155.


拙著の残部は、とても少なくなっているそうです。近く、二刷りに入ることを願っています。できたら報告するね。

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次に戦争立法法案のことだけど。
まず下の写真と、声明を見て。
この声明が読み上げられるとき、私はYと友人2人と国会前に居ました。
写真は戦争法案を特別委員会決定した7月15日。梅雨と台風のミックスした不気味な空。
連日の行動で人々が国会を包囲しています。この写真はその場にいた次女が写したもの。

声明文は、法案が衆議院を通過した7月16日、7時半ごろに国会包囲行動の中でだされたものです。
2万人以上の人がいたと思う。そのあと最近歓迎されている若者たちのSEALDs(シールズ:自由と民主主義のための学生緊急行動)の集会が始まったの。若い人たちが続々と湧くように集まって来て、この人たちを含めれば4万人くらいになるのではないかという感じです。若者のコールは、言葉も抑揚も新鮮ですごい!まねできません。
60年安保の時の札幌の学生デモや集会を思いだすね。
東京の本場、国会前に居るという臨場感は札幌とは異なった感情を引き起こします。
もっとも札幌でも、「戦争したくなくてふるえる」という名のデモが、19歳の女性の呼びかけで6月末から始まっているそうよ。
このやりきれなさの中で、若者の行動は希望ですね。
「戦争か平和か」の正念場のたたかいが日本中で繰り広げられています。
 次は7月26日に、この「総がかり行動」で国会前に行くつもり。 

「わかった。セツさん長いよ。一行でも一語でも前に進めたいんでしょ。やれる時間はあなただってもう、そう長くはないんだから。気を付けてね。またね・・・・。」

今日「マコさんを支援する女子会」の友人たち、たくさん行くって聞きました。じゃあね。

では、お言葉に甘えて、一行以上を書き進めることにしよう。    

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声 明
戦争法案の衆院での強行採決を糾弾し、あくまで廃案を求める

政府・与党は7月15日、衆議院安保特別委員会で戦争法案を強行採決し、続いて本日、本会議でも強行採決を行った。憲法違反が明白な戦争法案の成立を強行することは、憲法の尊重擁護義務を負う政府と国会議員が自ら憲法を無視するという立憲主義の否定であり、私たちは断じて許さない。

戦争法案は、集団的自衛権行使をはじめ、いつでも、どこででも海外で自衛隊が武力行使する道を一気に拡大するもので、名実ともに日本を戦争する国に変えてしまうことになる。この危険な大転換は、先に改定された日米防衛ガイドラインが示しているように、米国の世界戦略に日本を組み込み、自衛隊を米軍とともに戦う戦力とし、あわせて日本の軍事大国化を誇示しようとする誤った路線である。それは、安倍首相が言うような「平和と安全」ではなく、日本が国際紛争に武力介入し、自衛隊員を殺し殺される状況に投入し、日本もまた攻撃対象になることを意味する。

この間、私たちは、さまざまな差異を超えて大きな共同を実現した「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動」として、連日のように国会周辺で、街頭で、ネットで、「戦争法案絶対反対」「いますぐ廃案」の行動を展開し、継続してきた。その声は、憲法学者や研究者、弁護士、自治体議会などだけではなく、母親や学生、子どもたち、労働者、宗教者などの広範かつ多様な行動の全国的なうねりとなっている。

世論の圧倒的多数が戦争法案は憲法違反と受けとめ、政府の説明に納得できないとし、今国会での成立に反対している。今回の強行採決は、この声に圧倒され焦った政府・与党が、これ以上矛盾が露呈し、批判が高まることを恐れ、議席数だけに頼って押し切ろうとする暴挙である。

しかし、私たちは、憲法と国民の意思において、そして何より平和といのちと人権というかけがえのない価値において、安倍政権の暴走を許さず、あくまで戦争法案の廃案を求めて奮闘する。この心を同じくする全国にみなさんに、さらに大きな声をあげ、さらに大きく多様な行動を起こすよう呼びかける。

2015年7月16日
戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

 









 
| 近況 | 00:19 | - | - |
戦争法案は廃案に!の運動の盛り上がりの中で
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戦争法案を何が何でも通してやる!という雰囲気の中で、2015年7月は刻々と進んでいきます。

そんななかで、八王子市教育委員会生涯学習センター主催、男女共同参画課共催の、市民自由講座「日本を変える女性運動ー戦後から現在、そして未来へ」が7月8日に開かれ、昨年に続いて2度目の講師を務めました。
72席の市「クリエイトホール」の視聴覚室に約60人の市民が集まってくれました。
この6年、私が地域で多面的に活動した仲間、あるいは顔見知りになった方々が多く、6年に地域で積み重ねた時間が、このような形で現れるのだと、昨年にも増して感じるところがありました。
私自身が生活している地元で、多様な関心を持つ市民の皆さんの前での講演は、やはりなかなか難しいものがあります。
そして、学会や研究会やついこの間の日本科学者会議のシンポの場で話すのとは違った工夫が必要とされ、いろいろ勉強になります。
かって私は、戦後60年にあたって、「戦後日本の女性運動の思想を問う」という依頼論文を『唯物論研究年誌』(No.10, 2005,青木書店)に書いていたので、「その延長で」と思ったのは大間違いで、結局戦後70年の年表をつくり、そのなかに、女性運動をあてはめ、さらに、明治維新から敗戦までの年表も作って、流して振り返り、その中から、私の視点で、聴衆の目線を考えて、キーとなる事実をピックアップしてパワーポイントをつくるという作業となりました。
膨大な作業からやっと講演が1本生まれるのです。
終わってから、参加してくださった立川短大の教え子の方や、昭和女子大の卒業生の方から、きれいなお花を頂きました。

八王子の「金八デモ」は、梅雨の雨脚が強く、4回もお流れとなり、7月3日に予定していた恒例の「七夕デモ」が、やっと7月10日に行われました。55人のパレードができ、沿道の方たちの反応も、この情勢が明らかに影響して暖かいものがありました。











 
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