2016.02.27 Saturday
2月23日、横浜会場展に、ご近所の味噌づくり仲間と行き、作品をゆっくり観て、久しぶりに天野さんとお話ししました。<同じ職場で、研究や教育に苦労したけど、今思えば、あの時は楽しかったね。厳しさの中で鍛えられた。最終講義を40分二人で創造したのは傑作だった!>などなど。そして、天野さんの今の仕事は、研究の仕事と共通点が大有り、いや、同じだとの結論に達しました。
構想段階での長い思考。手順を熟慮する。摸索しながらの方向転換や思わぬ方向への発展。仕事の細かさ。丁寧さ。試行錯誤。どの素材(布、色、糸の種類)を選ぶかの選択。仕事にかける時間。継続力。持続力。完成に至るまでの気の遠くなるような「切りのなさ」。どこで「切る」と判断するか。必要な根気。直接的仕事対象にかけるほかの、もろもろのこと。体力と気力。そのために日常から鍛えておかなければならない生活習慣!体力づくり。 天野さんの仕事は、他の誰にもできない仕事です。その発想、技術、芸術性、指導力(師の一はけ)、社会的・歴史的意味、参加者のエンパワーメントに至るプロセス。総合的な意味で「思想性」も要求されます。一夜の思い付きでできる仕事ではない。これまでのすべてがかかっている。 ひるがえって私の仕事もそう。誰にでもできるような仕事を今する意味はない。私でなければ、決して誰もしないであろうように、研究を紡がなくてはならない。 今、まだ何度目かの年譜・年表への手入れをしていますが、時間をかければかけるほど浮き上がって見えてくるものがある。それは、「発見」です。その文章化には何度も手を入れなくてはならない。それにいわゆる「養生」(ようじょう)という放置も必要。とにかく時間がかかる。人生の終わりという絶対的締め切りに間に合わないという恐れ、その絶対時間との勘案で、どこで「切る」かも決めなくてはならない。 私は、研究とは別に、facebook上に書くような生活上の側面を持ち、どこにも書かない別な世界をも生きている。 この1月―2月、特別多忙でした。これから先facebook上に書くような多忙さがそれほど減るとは思われません。 1−2月、細切れ研究をとにかく続け、年表・年譜を少しづつ埋め、今集中的に、年表をタイムラインのように、多様なポイントから100年走らせることを何度もやっています。 カーソルが上下にかなりの速度で何度も走ります。そして横にカーソルを走らせると、他のポイントと関連付けられて、書こうとすることがあふれます。その時間を何とか3月に確保したい。それが今の切なる願いです。 3月、4月、雑草が出て、時間が奪われないように、庭に白い石を敷き詰めました。 我ながら、反自然的なことをやっているといささか、雑草の生命力にたいし、かなり良心が咎めます。 下の写真のようなこんな感じです。まるで雪が積もったよう。それに木も根こそぎ切って、庭は藪から砂漠に近くなりました。 |