2016.05.26 Thursday
お隣の境目の塀と砂利の隙間から、何事もないように、ドクダミが顔を出し、花を咲かせている。 この光景っていいなあ。種も蒔かず、水もやらないのに平気!このたくましさには毎年感心している。 今の研究、かなり行き当たりばったりにやっている感じ。 修士論文は、昔風に言えば、「400字詰め原稿用紙400枚以上」と言われて頑張った。 博士論文は、約1000枚書いて、出版してから提出した。約500ページの本になった。 当時は本当に原稿用紙に万年筆書きだった。 そして、「心中」の覚悟だった前著は、もちろんパソコンでだったが、400字に換算して2000枚にもなって、本は1000ページを超え、最後は殆ど著者の私が制御できなかった。 その次、つまり今、前著と「心中」しそこねたので、1000枚以内くらいで、と思い、A4を1600字に設定して書きはじめたところ、10章中、序章も入れて5章までで、またまたすごく長くなってしまっている。 書きながら、いつもの通り、序章を何べん直したかわからない。 この仕事とまともに向かいはじめたのは(準備は前から)、前著の後始末が何とか終わった2014年5月の社会政策学会の前後だったから2年が経とうとしている。 99歳まで書き続けた野上彌生子は若いときから言っている。 「自分の絶対に排斥しなければならないもの、社交、冗語、睡眠不足、飽食、家事的のごたごた、あまりにうれしきこと、あまりに腹立たしきこと、あまりに悲しきこと」 そのとおりね。と思いながらも私は、これらを「排斥」できない。 なぜなら、私は、定年時決意して自ら飛び込んだ地域活動と、そのあとの情勢の展開から学んだ市民運動の一員であることの重要性とを知って、大事にしているから―。 「あまりにうれしきこと」以外はほどほどにあるからー。 今の仕事、何年かけるに値するのか。いやかかるのか。書き下ろしだしー。 でもこれまでのノーハウもあるわけだし、生涯生活時間の残りも少ないから、それなりの努力で、ドクダミの葉の緑と、白い可愛い花に、今後何年もこのテーマへのエネルギーをいただかないで、終わりにもっていきたいものだ。 しかしノーハウなんて信用できない。そこに留まるわけには行かない!新しい境地へむかわなければ・・・ それに野上は追い打ちをかけるように言う。「決してらくな仕事をしてはならない」「精進を欠いてはならない」「練り直しこそ大事なものだ」とー。 |