伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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ドクダミのエネルギー・たくましさ
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お隣の境目の塀と砂利の隙間から、何事もないように、ドクダミが顔を出し、花を咲かせている。
この光景っていいなあ。種も蒔かず、水もやらないのに平気!このたくましさには毎年感心している。

今の研究、かなり行き当たりばったりにやっている感じ。
修士論文は、昔風に言えば、「400字詰め原稿用紙400枚以上」と言われて頑張った。
博士論文は、約1000枚書いて、出版してから提出した。約500ページの本になった。
当時は本当に原稿用紙に万年筆書きだった。
そして、「心中」の覚悟だった前著は、もちろんパソコンでだったが、400字に換算して2000枚にもなって、本は1000ページを超え、最後は殆ど著者の私が制御できなかった。

その次、つまり今、前著と「心中」しそこねたので、1000枚以内くらいで、と思い、A4を1600字に設定して書きはじめたところ、10章中、序章も入れて5章までで、またまたすごく長くなってしまっている。
書きながら、いつもの通り、序章を何べん直したかわからない。
この仕事とまともに向かいはじめたのは(準備は前から)、前著の後始末が何とか終わった2014年5月の社会政策学会の前後だったから2年が経とうとしている。

99歳まで書き続けた野上彌生子は若いときから言っている。
「自分の絶対に排斥しなければならないもの、社交、冗語、睡眠不足、飽食、家事的のごたごた、あまりにうれしきこと、あまりに腹立たしきこと、あまりに悲しきこと」
そのとおりね。と思いながらも私は、これらを「排斥」できない。
なぜなら、私は、定年時決意して自ら飛び込んだ地域活動と、そのあとの情勢の展開から学んだ市民運動の一員であることの重要性とを知って、大事にしているから―。
「あまりにうれしきこと」以外はほどほどにあるからー。

今の仕事、何年かけるに値するのか。いやかかるのか。書き下ろしだしー。
でもこれまでのノーハウもあるわけだし、生涯生活時間の残りも少ないから、それなりの努力で、ドクダミの葉の緑と、白い可愛い花に、今後何年もこのテーマへのエネルギーをいただかないで、終わりにもっていきたいものだ。
しかしノーハウなんて信用できない。そこに留まるわけには行かない!新しい境地へむかわなければ・・・

それに野上は追い打ちをかけるように言う。「決してらくな仕事をしてはならない」「精進を欠いてはならない」「練り直しこそ大事なものだ」とー。











 
| 近況 | 01:16 | - | - |
山川菊栄の30年を隔てた2つの選集
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このきれいな紫陽花は何? 誰かさんが書いてしまった facebook 効果で、「50年のお祝いです」と思わぬところからいただいたもの。要するに、「金婚」(「式」はつかない)の日が刻々過ぎていっているということ。

このところ、1981-82年と約30年後の2011-12に、岩波書店から出た菊栄の選集(『山川菊栄集』
全10巻、別巻(田中寿美子・山川振作編)と、『新装・増補版 山川菊栄集 評論篇』全8巻 別巻(鈴木裕子編))を、詳細に対比し、考察している。
新装・増補版では、編、改題・解説、年譜、著作目録のすべてが、鈴木裕子氏の手で行われている。

かって私は、最初の版を参照しながら、論文を書いたり、クラーラ・ツェトキーンの本の1984年版を書いたが、今は、その後30年の研究成果も取り入れた鈴木裕子氏の努力から学びたく、増補新装版を全巻手元に置きたいと思い、今そろえつつある。

今頃?と思われるかもしれないが、新版がでたとき、私は、クラーラ・ツェトキーンの2013年版を終えようとするときで頭が回らなかった。それを終えるやいなや、新しいテーマに取り組もうとして、菊栄研究をスタートさせた。
当初鈴木裕子氏の新しい編集は、それほど変わっていないように見え(7巻までは同じ)、私は8巻と、別巻をだいぶ前に購入して「よし」としていた。
しかし、このところ、新しい解題をじっくり読み込むためには、やはり全巻必要だと思うようになり、古書で入手しようと矢も盾もたまらなくなった。少しは安く手に入るが、間違えて古い版が送られてきたりする。電話をかけて返金してもらったが、古い版はそのままあげるから送り返さなくていいという。他にもいろいろ、いらいらしたりしながらも、とにかく自分の傍においておきたいのだ。私にとって研究は、合理性で説明も解決もできないところがある。

その他、一定の(かなりの)時間が、何かを私に気づかせると、「矢も盾もたまらない現象」が起きる。
何度もそれを経験し、クラーラ研究の時のように空中分解をおそれ、いくつもの修羅場を超えて、少しづつ進むしかないのだろう。

選集は、菊栄の全著作の9分の1にすぎないという。以前からそうであったが当然、選集でよしとすることはありえない。
それにしても、菊栄のすごさ、鈴木裕子氏の全体を把握した手ごたえのある仕事ぶりには、私はまだまだ及びようがない。
研究を進展させること以上に私に喜びをもたらすものは少ない。
| 山川菊栄関係 | 00:34 | - | - |
50年の記念に、何度目かの、研究環境を整えて
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やっと、書物・資料が、ほぼあるべきところに置かれたかなあと思うまで4月いっぱいかかり、5月1日、この少女たちと、八王子の緑の中を歩き回った。
この4月の終わりに、私たちが札幌で家庭を営み始めた日から、50年の記念の日がやってきたので、ほぼ3年ぶりに我が家に来てくれたのだ。私たちは50年のうち八王子に34年も住んでいたことになる。7人家族だった。それが、5人になり、やがて2人になった。

今、やっと、何度目かの研究環境を整える作業をやったので、あと最低10年は続けなければ、気持ちの元手は取れまい。
何分、世間に、「断捨離」とかが流行っている時に、私たちは、仕事手段に対してその反対をやらなければなりたたないのだ。

これまでで、研究生活は半世紀をこえているが、4月から私は、難所に差し掛かっていてなかなか抜け出せないでいる。
今、調べている所、先行研究者は複数いる。複数の論文がある。しかし、「なぜ、そこをはっきり書かないのだ?なぜ飛ばすのだ?わかりにくい。何を言おうとしているのかわからない。」あるいは、「そう簡単にわかったように書かないでほしい。そういうことではないだろう。そう単純ではないはずだ。何かある!」その他、その他。
だったら、「これだ!」というようにおまえが書けばいいだろう。書けるものならー。
もちろん、そうしたい!抜け出して先に進みたい。まだまだ先は長い。
しかし、時間がかかるのだ。「これだ」といえるまで、いつまで時間がかかるのかわからない。
締め切りがある仕事ではない。給料のうちの仕事ではない。お金になる仕事でもない。しかし、私が信じるに、今やらなければならない社会的テーマなのである。その一点が、私を急がせる。

先行研究者の後から、先行研究に納得いかないものは、すべてを検討し、組み合わせ、複数の先行研究者がかけた時間を繰り返すように時間をかけなければ、「これだ!」とはいえない。
この思いの中で、50年の記念日が過ぎ、50年以上の研究者としての日々が過ぎていく。

少女たちは、私の背丈をもう追い越さんばかりの勢いである。


 
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