2016.06.29 Wednesday
私の長い間のメイン学会、社会政策学会(http://jasps.org/)にそろそろサヨナラしようかと思う。 大学院時代から、かかさず「列席」していて、1969年、30歳でやっと入会を許された(当時は敷居が高かった)。 1990年代に、全国幹事8年(1992年に開催校の大会実行委員長)、代表幹事2年(1998-2000)のあと会計監査6年務めた。 2014年に、50年にわたるクラーラ・ツェトキーン研究に第20回学会学術賞を授与され、2015年に名誉会員になり、今年から、会費免除(学会誌購読料は有料)、大会参加費免除、そして学会のすべての義務から免除された。 今年春大会(132回大会)は明治大学駿河台キャンパスで6月25-26日に開催され(上写真)、総会で代表幹事に遠藤公嗣氏が承認された。 懇親会で、なぜか私が乾杯の音頭をとるはめになった。 乾杯の音頭は、もう10年ほど前、札幌での大会懇親会で、先輩2人に逃げられ、一度やった経験がある。 その時、こういう役は一生に一度かと思って、ついに来たと思ったが、2度も当たるとはちょっとー。 3度目が来ないように、もう学会にも出席しないことにしようと決心した。 でも名誉会員という名は生きている限りついて回る。退会ということはない。 でも研究は別だから研究を続けていればよい。誰もやっていない研究だから自分でやる!
1972年にあっさりと入会させていただいたサブ・メイン学会、(一社)日本家政学会は、関東支部会役員とか、理事とかを務め、20年にわたる生活時間研究にたいし1994年に日本家政学会賞をいただき、国際交流関係の委員をやって、2010に学会功労賞をいただいた。日本家政学会の部会である生活経営学部会では、何年やったか忘れるくらい幹事とかに選出されて、部会長を2度やり(名称変更とかあってやむを得なかった)、それも2010年に名誉会員となってお役御免となった。こうして、いろいろな義務から解放されて、残るものは研究の継続のみである。 なんという有難い身分だろう。ところで、その研究だが、二つの問題に直面する。 第一は、何のための研究かということで最終的に統一される問題ではあるが、どういう時間配分を選択しているかの信念にかかわる問題。 第二は、加齢に伴う身体の変化に対応する努力、そのために支出する時間を敵視したくなってしまうという問題。まあこれも、何のためにということで最終的に統一される。 研究という仕事は、狂気の部分があって、時間割通りにはいかないことが普通である。 配分の規則性や予定時間の絶対量は常に破られる。それは、人の常識的生活と矛盾し、多くは理解されない。 私は、誰もが普通にやる常識的なことに時間を使いたくないという傲慢さがあるので、最低限取り繕ったり無視したりと苦労する。 それに研究には、頭の働き、ひらめき、思考能力、分析能力、まとめる力、同時に多様なことを処理する力、こまごまと作業する根気、持続させる時間の長さ、間を置いた後の戻りのスムーズさ、精神的安定などが必要とされる。 記憶力、眼、耳、立ち居振るまいの身軽さ、億劫がらない事、など、など。ことごとく加齢に伴って失われるのが常識の事態に逆らわなければならない。そのためには、食事の留意、運動、体の定期的補修が必要である。
この頃、ずっとやっている太極拳(2004以来)、水中ウォーク(2002以来)、背骨コンディショニング(2011以来)などスポーツクラブでやれることはもちろんだが、週1回のチラシポスティングなどと兼ねる散歩や反原発パレードも身体的運動の一つとカウントし、特養老人ホームへの傾聴ボランテイア往復(坂道)もそれに加えている。 しかし反面、無駄に疲れることは避けなければならないが、そうもいっていられないのが日常である。 眠くなる。そういう時は時間にかまわず寝るしかない。 睡眠のコントロールは難しい。寝る時間に、興に乗ったらとてももったいなくて寝られない。そしてその反対の興に乗ったのに、他のことで中断しなくてはならないこともある。なかなか乗らず待たなければならない時もある。 数日前、もう20年以上もお世話になっているホームドクターと研究継続に関する話していたら、「もうピークは去っているんだから」という表現をされた。「私はそういう考えをしない」と反論したら「これまでの経験や蓄積を生かして工夫すればいい」と言い変えられた。結局、自分が切り拓くということだ。何だって、これまでも「私の前に道はなかった」わけだから。
八王子には、1月の市長選から半年を経て今年2度目の選挙が近づいている。そして東京にはその次の選挙が待ち構えている。 そのための社会的活動時間も考慮に入れて、今年後半の時間配分には慎重でなくてはならない。 もう前半は、早くも終わった。
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