2016.11.30 Wednesday
編者マルガ・フォイクト氏の「刊行に寄せて」を読むと、この手紙集の構想は、2007年にベルリンで持たれた、ローザ・ルクセンブルク財団主催のクラーラ・ツェトキーン生誕150年シンポジウム「クラーラ・ツェトキーンとその時代」に端を発しているとのことである。このことを私は初めて知った。このシンポジウムには私も出席していたが、その時マルガ・フォイクト氏には会ってはいない。フォイクト氏をはじめて知ったのは、2006年に東北大教授(当時)大村泉氏の紹介で、ベルリンのSAPMOでお世話になったロルフ・ヘッカー氏が、2011年再びSAPMOに行った私に紹介して下さったときであった。
フォイクト氏は、これまで、ツェトキーンの生誕100年を記念し、1957-1960年にかけては、3巻本の選集、1957年のレーニン、クルースプカヤとツェートキンの文通を冒頭に置く『レーニンの思い出』が出版され、その他1970年代に2点ほどの出版があるが、クラーラの手紙集のみが欠けていたことを指摘している。それは事実であり、私も不便を感じていた。 フォイクトによれば、ツェトキーンの手紙遺品は、1914年から1933年だけでも1000通以上の多くにのぼるが、本書は、第一次世界大戦100年にあたり、1914年から1918年までの戦争の時代に関する多くの学術的出版物を補足するものであり、本手紙集の中に、戦争に反対し平和のために戦ったクラーラ・ツェトキーンの政治的活動が反映されているという。まさにその通りであろう。そのあと、2014年に、別目的でドイツに行き、ミュンヘンの書店を覗いたことがあるが、1914年の第一次世界大戦に関する出版物が多く並んでいたのは印象的であった。
フォイクト氏は、本書は、国内では、ローザ・ルクセンブルク、フランツ・メーリング、カール・リープクネヒト、国際的には、イネッサ・アルマンド、アレクサンドラ・コロンタイ、へレーネ・アンケルシュミット、そしてアンジェリカ・バラバーノフへの、1914年8月から、1918年11月までの172の手紙と、27の葉書、電報等、その下書きやノートを収録したものであり、それらは、先に書いたモスクワ、ベルリン、アムステルダム、コペンハーゲン、ストックホルム、スイスのアルヒーフや図書館に在庫しているものから探し出したものであるといっているが、ローザ宛は1918年11月17日付け1通で他ローザ関係10通は秘書のマチルデ・ヤーコブ宛となっている。この重要な手紙は実は1969年に公表されていたと解説されていた。それなのに私は今回始めてみたのである。自分の研究の至らなさを思い知らされる。
編集方針について、フォイクト氏はこまごまとした説明を行っている。例えば、手紙の中での強調文字や、補遺の手書きの補充は、印をつけ、イタリックで表されるとか、手書きの手紙の判読できない箇所は[判読不可]と明記するとか、その他その他、多くの項目について説明している。もう気が遠くなるような仕事である。 この手紙集は、クラーラ・ツェトキーン研究にとって以上に、第一次世界大戦中に、反戦勢力がどのような努力をしたかを示す重要な資料を提供しているといえよう。 マルガ・フォイクト氏が本書の編集にかけた膨大な時間とエネルギーに敬意を表する。 今、私が勧めているのは、対象は日本。それなのに、まあなんと時間がかかることよ!! |
| Clara Zetkin 関係 | 00:56 | - | - |
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