2016.12.30 Friday
クラーラ・ツェトキーンを脱稿してから、もう4年も私は、書斎を持たず、この家を建てた1982年からの、2階の狭い専用空間で仕事をしている。クラーラの欠陥の多い校正もここでやり、資料を次のテーマと徐々に階下と交換しながら、決して快適とは言えないごたごたの机でPCに向かっている。もう21歳にもなったフー吉は、3年前に20歳のタラと別れ、その半年後にラオスから来たまだ3歳半のイクラとも別れて、私の横でこうして日向ぼっこしている。猫と人間との交感!なんだかすっかりわかりあっているようだ。
2016年が終わろうとしている。今年は八王子市長選に明け、私も日本の歴史的市民連合の小さなさきがけを体験した。その結果「平和・くらし・環境 八王子学術平和の会」が生まれ、運営委員として、知事選や、古びた八王子「市歌」の問題を突く要請行動などをして、これまでの枠を超えた新しい友人もでき、目を見開くいろいろの体験をした。市民運動の必要からFBをやるはめにもおいこまれた。 これらの経験から私は、これまでにない希望がわくのを感じることが出来た。この情勢だというのに、光が見える気がするのである。みんな怒っているというのに、そう感じていることは事実なのだ。 市民連合と野党共闘、これこそ希望である。2017年の展開に私の部署で(研究も運動も)私なりの責任を持ちたい。
ところで、11月いっぱいを、1919年という年にかけてもすっきりしなかった研究は、12月に1920年代の1927年まで進んで区切り悪く新年を迎えようとしている。山川菊栄をやろうとして山川均を抜きにして進めることは出来ず、均関係の資料がスペースも頭の中をも埋めはじめ、全集だ、山川イズムだ、労農派だと、ぐるぐる回っている。自伝はとっくに読んでいるが、そう一筋縄でいくものではないことは当たり前だ。今年はあと1日しかない。ここで12月を終える予定ではなかった。 掃除だ、買い物だとしている時間は全くない!毎年欠かさずやっていた家じゅうのカーテンの洗濯はどうする?来年する!? とりあえず、今読んでいる本だけでもあと数10ページ終えなくてはー。
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