伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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2016年はあと1日

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クラーラ・ツェトキーンを脱稿してから、もう4年も私は、書斎を持たず、この家を建てた1982年からの、2階の狭い専用空間で仕事をしている。クラーラの欠陥の多い校正もここでやり、資料を次のテーマと徐々に階下と交換しながら、決して快適とは言えないごたごたの机でPCに向かっている。もう21歳にもなったフー吉は、3年前に20歳のタラと別れ、その半年後にラオスから来たまだ3歳半のイクラとも別れて、私の横でこうして日向ぼっこしている。猫と人間との交感!なんだかすっかりわかりあっているようだ。

 

2016年が終わろうとしている。今年は八王子市長選に明け、私も日本の歴史的市民連合の小さなさきがけを体験した。その結果「平和・くらし・環境 八王子学術平和の会」が生まれ、運営委員として、知事選や、古びた八王子「市歌」の問題を突く要請行動などをして、これまでの枠を超えた新しい友人もでき、目を見開くいろいろの体験をした。市民運動の必要からFBをやるはめにもおいこまれた。

これらの経験から私は、これまでにない希望がわくのを感じることが出来た。この情勢だというのに、光が見える気がするのである。みんな怒っているというのに、そう感じていることは事実なのだ。

市民連合と野党共闘、これこそ希望である。2017年の展開に私の部署で(研究も運動も)私なりの責任を持ちたい。

 

ところで、11月いっぱいを、1919年という年にかけてもすっきりしなかった研究は、12月に1920年代の1927年まで進んで区切り悪く新年を迎えようとしている。山川菊栄をやろうとして山川均を抜きにして進めることは出来ず、均関係の資料がスペースも頭の中をも埋めはじめ、全集だ、山川イズムだ、労農派だと、ぐるぐる回っている。自伝はとっくに読んでいるが、そう一筋縄でいくものではないことは当たり前だ。今年はあと1日しかない。ここで12月を終える予定ではなかった。

掃除だ、買い物だとしている時間は全くない!毎年欠かさずやっていた家じゅうのカーテンの洗濯はどうする?来年する!?

とりあえず、今読んでいる本だけでもあと数10ページ終えなくてはー。

 

 

 

| 近況 | 23:30 | - | - |
図書館・研究所

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外国の名だたるアルヒーフは勿論であるが、国内でも大きな図書館・研究所の資料室ほど心躍る場所はない。

行って来た日は、興奮している。

今日は、いくつかの課題を抱えて、メールで予約をして、大原社会問題研究所に行った。

1963年、私が研究というものを始めたときから、札幌から上京して、初めて大原社研を訪ねて以来、クラーラ・ツェトキーン研究の時も、今のテーマでも何度もお世話になっている。今の研究は、日本を舞台とした研究であるから、この研究所の蔵書は、とりわけ私にとって宝物のように尊くありがたい。

 

今年の11月は、1919年の<あること>を考え続け、終わってしまった。1919年を書くのに1か月かかっては、この研究はいつ終わるとも知れない。まだ不十分のままだが、いろいろ発見もあったので、1919年にサヨナラして先に行くことにした。

12月は、1927年、28年の事にかかり切り、年内終えようと思っているところまで到達しない。この2年はこの研究にとって重要な年なのだ。この2年のいろいろなことに引っかかってどうしようもないので、何とか解決して前に進めようとして大原社研に行ったのだ。

 

しかし、何という知の誘惑!いろんな資料を見て、あれもこれもに目がいって、あれもこれも知らなかったではないかということを思い知らされ、うちのめされる。

 

とにもかくにも直接目的だったものはコピーし、前回コピーを飛ばしたべージも何とか埋めた。

 

え?ここに何でクラーラのコミンテルンでの演説の翻訳があるんだ。知らなかった!しかも「上」だけ?「下」は?

「もうそれはいいから」と別な自分が私を引っ張る。

 

ここで仕事をしている間に、社会政策学会の会員と4名も出会う。会ってあたりまえの場所にいるから会うのだがー。

でも、ここを仕事場としている人はいいな。給料ももらっている。まだ現役なんだ!

いや、研究に終わりはないから、現役もへちまもない。

 

今やれることをやって終わりのない研究生活を黙々と続けよう。

そう思って、懸念事項だった資料をおしいただいて帰ってきた。

さあこれからじっくり料理しよう。

何かがわかる、そして何かがひらめくということは無上の喜びだから!

 

 

 

| 近況 | 18:42 | - | - |
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