伊藤セツ研究BLOG

このブログは、当初は、勤め先の教員紹介に付属して作成されていたホームページ。定年退職後は、主に、教え子たちに、私の研究の継続状況を報告するブログに変えて月2-3回の更新。
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72年前の記憶は鮮明だが先へ進むしかない

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今日はあの戦争が終って72年。小学校一年生だったから、忘れるわけがない。

 

でも、思い出す時間もおしい。いろいろなことを「これ以下はないだろう」と思うほど粗雑にやって、とにかく今のテーマを前に進めることに集中したい。このところ、夜な夜な、私が仕事をしている後ろに、22歳と3ヶ月目を生きているフー吉がやってきて、遠慮がちに「ニャン」と声をかける。ふりむけば、「抱っこ!」というわけだ。左腕に抱いて、生きている温かみをかみしめる。

お互いに「生きているねー」と共感する。

でもそれどころでない。最終章に入ってもう半月。今、1950年代。「彼女」が、60歳ではじめて外国に出て、多くを書いている。

英国、ユーゴスラヴィア、フランス、イタリア、インド、タイ、中華人民共和国である。

私がはじめて外国に行ったのは1975年、国際女性年の時、ユーゴ、英、仏、伊だった。

インドは2001年、タイは1987年、中国は1991年、年代はバラバラだがとにかく、「彼女」が行った全ての国に行った経過があることは確かだ。しかし、いつ行ったか。何のために、どのくらいの期間、どこを見たかが問題となる。そこで、これらすべての国の歴史を調べて「彼女」が、どういう歴史的段階でそこにいたかを知らなければならない。

例えば、ユーゴである。私が行ったのは1975年だが、ユーゴの歴史書3冊くらい並べて、読み比べ、私は1940年代の始めチトーの後ろに付いてバルカンの山岳地帯をドイツ兵とゲリラ戦をやらなければならないというわけである。寝ても覚めてもその気になっていた。

やっとそれが終ると、それで、「彼女」が行った時どうだったかになり、私が行ったときとの歴史的距離感覚をはからなければならない。

そして、考えをまとめて書くことは1ページばかりか。それを各国についてやる。

毎日発見があり非常に面白いといえばそのとおりである。しかし、単なる興味・関心でその本を読んでいるわけではないのだ。

「何でこういうことを、私は今まで考えなかったか」の自問自答が始まる。もういいかげんにしろ。

「彼女」を1980年まで追わなくてはならないのだし、これまでの章も「寝かせたまま」にしてあったり、気づいたことから振り返って書きなおしたり加筆すべきことが多々あり、忘れたらどうする!。

 

フーちゃんごめん。「抱っこ」は終わり。とそっと降ろす。「彼」は、もくもくと自分の寝場所に帰っていく。

私は、思考能力の停止寸前まで、あれこれ考える。

 

| 近況 | 11:02 | - | - |
時計は2017年8月1日を示した

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遼寧省撫順からきたアサガオの種、我が家で3代目が花を咲かせている。これは昨年放っておいたのが、一人で芽を出して窓に巻き付いて咲いたもの。アサガオって野生なんだろうか。すごい生命力。繁殖力!

 

8月が勝手に来てしまった。

仕事はまだ完成度は高くはないが、最後の章に入ろうとしている。

いろんなことを調べ、とりこんだけれど、まだまだ不十分。全く、自分で切り上げない限りきりがない。

考えてみるに、このテーマって本当に難しいのだ。少なくとも私にはそう思える。

私が設定した問題意識で書くというのがそもそも難しいのである。

そして私にはその問題意識でなければ、今やる意味はない、時間を使う意味はないとさえ思ってやっているのだし。

傲慢だな。

何事も起きないで順調に進んで、本が出たとして、しかし、誰が読む? 誰が買う?

私にはたとえようもなく重要な問題意識だが、そう思ってくれる人はいるのだろうか?

ひょっとして誰もいない? いなくたっていいのだ。それでも書く。書いておかなくてはならない。なぜだろう。

重要な問題だと私が思うからだ。いや、私が思うだけでなく客観的に誰かが研究しておかなければならない重要なことだからだ。

 

だったら、同じ問題設定で今誰かが、どこかでもっと高い水準でやっているかもしれない。

架空の、まだ見ぬその人と、水準と時間の競争をしよう。

 

| 近況 | 00:53 | - | - |
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