2017.08.15 Tuesday
今日はあの戦争が終って72年。小学校一年生だったから、忘れるわけがない。
でも、思い出す時間もおしい。いろいろなことを「これ以下はないだろう」と思うほど粗雑にやって、とにかく今のテーマを前に進めることに集中したい。このところ、夜な夜な、私が仕事をしている後ろに、22歳と3ヶ月目を生きているフー吉がやってきて、遠慮がちに「ニャン」と声をかける。ふりむけば、「抱っこ!」というわけだ。左腕に抱いて、生きている温かみをかみしめる。 お互いに「生きているねー」と共感する。 でもそれどころでない。最終章に入ってもう半月。今、1950年代。「彼女」が、60歳ではじめて外国に出て、多くを書いている。 英国、ユーゴスラヴィア、フランス、イタリア、インド、タイ、中華人民共和国である。 私がはじめて外国に行ったのは1975年、国際女性年の時、ユーゴ、英、仏、伊だった。 インドは2001年、タイは1987年、中国は1991年、年代はバラバラだがとにかく、「彼女」が行った全ての国に行った経過があることは確かだ。しかし、いつ行ったか。何のために、どのくらいの期間、どこを見たかが問題となる。そこで、これらすべての国の歴史を調べて「彼女」が、どういう歴史的段階でそこにいたかを知らなければならない。 例えば、ユーゴである。私が行ったのは1975年だが、ユーゴの歴史書3冊くらい並べて、読み比べ、私は1940年代の始めチトーの後ろに付いてバルカンの山岳地帯をドイツ兵とゲリラ戦をやらなければならないというわけである。寝ても覚めてもその気になっていた。 やっとそれが終ると、それで、「彼女」が行った時どうだったかになり、私が行ったときとの歴史的距離感覚をはからなければならない。 そして、考えをまとめて書くことは1ページばかりか。それを各国についてやる。 毎日発見があり非常に面白いといえばそのとおりである。しかし、単なる興味・関心でその本を読んでいるわけではないのだ。 「何でこういうことを、私は今まで考えなかったか」の自問自答が始まる。もういいかげんにしろ。 「彼女」を1980年まで追わなくてはならないのだし、これまでの章も「寝かせたまま」にしてあったり、気づいたことから振り返って書きなおしたり加筆すべきことが多々あり、忘れたらどうする!。
フーちゃんごめん。「抱っこ」は終わり。とそっと降ろす。「彼」は、もくもくと自分の寝場所に帰っていく。 私は、思考能力の停止寸前まで、あれこれ考える。
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